EP10 ぷー太郎、異世界にて定める
前略、北からアホが来た。
平和とはいかないまでも、表面上の均衡を保ちながら暮らしていた俺とアドリアンさん。王都の屋敷は、どうやら使用人を除いてはアドリアンさんが一人で暮らしているようで、立派な大人といえどもやはり寂しさはあったのか妙に距離感が近付いた彼に戸惑いながらも、抗えぬ父性に惑わされたりもしていた。
そんな平和を壊すために派遣されてきた男こそ、人類代表阿呆レフ・トールギストである。
「やぁやぁ、随分と久し振るのではないかなライトぉ!」
客人が来たと言われるがままに玄関へ向えば、目に飛び込んだ見慣れた顔。手に握られた鞄は妙に膨らんでおり、何か大量の荷物が詰め込まれて虐待されていると語っている。
「えぇと……何してんの、お前は。お義父さんなら仕事で王城の方だけど」
「何? アドリアンさんのことお義父さんって呼んでんの? 俺がいない間にそこまで進んじゃった感じ? 式には呼んでって言ってない! 言ってないな……」
「いやさ、ノエルさんと籍をいれたとかではないからな? いやまあ、戸籍的にはセントリアの子飼いではあるけども……じゃなくて! 何の用なのさ。下手にサボってたら、ロランさんに殴られるぞ」
「そのロランさんからの出向命令なのさ~」
「ロランさんが……?」
取り敢えず、怪しいものの怪しい奴ではないので中へ通して、使用人の方にお茶を入れてもらって話を聞く。
「お前の身体について、俺の持ってる資料も併せて学院の准教授殿と調べるようにってハナシ。あの人、あれでお前を巻き込んだの結構悔いてるんだからね?」
「身体についてねぇ。ロランさんも、どうにも……」
「言わない。ミセス暴力が領主って仮面着けて、頑張って自分を制御しようとしてるんだから」
「お前、それロランさんの前で言ってみろよ」
「死ねと?」
准教授の元へ、か。丁度、俺の脚の刀傷も治り、痛み無く歩けるようになったのでいずれ行こうと思っていたのだ。都合が良い。きっかけがあれば、動く気にもなるというもの。
とはいえ、折角入れてもらったお茶を粗雑に飲み干しては悪い。レフも、長時間のフライトで疲れているだろうし、少しだらけてから向かうとしよう。
「そういえば、知っているかレフ。二人の馴れ初め」
「知らんな。まるで予想もつかん……」
「昔、二人は隊長と隊員の関係だったらしいのだが、ある事件を鎮圧して少しいざこざが発生して義父さんの心がやられてしまったらしいんだ。そこに強行突撃をしてきたのがイチ隊員だったロランさんで、無理矢理に肉体関係を持たされて立ち上がらせられたそうだ」
「マジか……その、凄いな。凄いって言葉しか出ない」
「ああ。だけど、平民出身の義父さんと、伯爵令嬢のロランさんでは釣り合わないだろうと高を括っていたようなんだけれども……セントリアの名をあげるからどうか貰ってくれって、婿に入れられたらしい」
「ふっ……ふふふ、はーっ! はっはっはっ、腹が痛ぇや。そんなぁ……そんなことがあるんだね。コワー人間社会」
「山奥の化け物かよ」
このあまりにも強すぎるセントリア夫婦のエピソードを皮切りに、紅茶を飲み終えるまでレフとの話を楽しんだ。まともに話したのは合コンの日以来で、実は大分久し振りだったので、どうにも話が弾んでしまう。
楽しさに様々話してしまい、おそらく一時間は経ったのではなかろうか。しばし、イイ具合な切れ間が生まれたので、俺はそこでお茶会を切り上げて学院に向かおうと進言し、レフもこれを受諾した。
学園への道中、俺が自信満々に前進して盛大に迷子になったのはここでは語らないでおこう。
道すがらでレフがノエルさんへと連絡を行い、正門にて待ち合わせて合流する。俺もレフも、この奇怪な学園内を歩いて准教授の立て籠もるあの塔へ辿り着けるとは、到底思えなかったのだ。それに、こうして三人で集まるなど、実はノエルさんと初めて出会ったダンジョン以来なのだ……だから何だということはないが、集まりたいではないか。
「お嬢もお久し振りますね。元気そうで何よりです」
「そう? ちょっとやつれたんじゃないです? 折角の美人が台無しですぜ」
「そう……ですかね? よく気付けますね、ライトさん。少々、研究が立て込んでいて睡眠時間を削ってはいますが、健康状態に問題はありませんよ」
「ダメですよぉ、それじゃあ。無茶なんてしたら、あとでどんなぶりっ返しがくるかわからないんですから……」
「それを、お前が言うか……」
レフの呆れに、ノエルさんが困ったように眉をハの字に曲げて微笑する。だが、俺は何が何だかわからずに頭をハテナと傾げた。
俺に無茶をした記憶と言えば、記憶に新しいのは合コンでのわんこ酒だが——いや確かに酷い二日酔いで苦しみもがいた気がするな。俺も言えたものではないな。
「でも、そうですね。無茶をしてもその場しのぎですからね……じゃあ、手伝ってくれますか? ライトさん」
「そりゃ、ごすずんのためなら東奔西走なんのその。言ってくれれば、俺はどんな手伝いだってしますよ。……勿論、常識の範囲内で」
「じゃあよぉ、パン買ってこいよ。ダッシュな?」
「誰がテメェの分まで聞くって言ったアホ。というか、それは手伝いじゃなくてただのパシリじゃねぇかよ」
「何だよ口だけかよ、ろくでもね〜」
「ろくでなしに何言われても響かんわ!」
キーキーと、みっともなく言い合う俺達を見て、ノエルさんは口元に手を当てて声を漏らして笑っていた。正直、後になって考えるとそれ程感情的になるようなことではないのだが、自制心の無い俺の悪態とはげに恥ずかしきものである。
そんなこんなで歩いていたものだから、道を覚えるなどできずに、気付けば見知った部屋の扉へと辿り着く。定期検診とかがあるならば、いちいちノエルさんに頼るのもよろしくないので一人で来られるようにならなければなるまいに、しでかした。
悔やんだところで後の祭りだ。ノエルさんとの短なデート理由を見つけたと、ポジティブに考えよう。
「では、私はここで失礼しますね」
「はい、ありがとうございます……それと、俺のこと、じゃんじゃか頼ってくださいね」
「……ふふっ…………頼りにさせてもらいます、ライトさん」
「ある程度のことならば、喜んで」
廊下を行くノエルさんの姿が人波の中に消えていくのを見送った後で、俺は隣に立つレフに視線を送る。これに準備完了の頷きを返され、俺の意図としては先に行くようにという行動だったのだが、と内心でわかり合えない悲しみとかは特になく、ただ何でこんな簡単な意思疎通もできないのかと隣のボンクラに対する苛つきを覚えつつも扉を開いた。
目を疑った。
「は?」と声が出ていたかもしれない。
「わーぉ」だったかもしれないが、これはレフの声だった気もする。
ただ、純然たる事実として、理解不能な状況に意識が一度処理を拒み、適応・再起動に一分前後の時間を要したのだ。その間に俺の目にした事態は大きく様変わりして、意識を吹き返した時には、さも平静という風に戻った研究所が広がっていた。
——グレイマン准教授が、研究所で女性の胸を揉んでいた。
女性は、恐らく生徒だろう。教員という年齢には見えなかった……もしかしたら職員だったのかもしれないが、羞恥に顔を紅潮させて階下へと降りてしまった故に再びその顔を見聞して年齢を推測することはできない。
「どうしたんだい? 入り給えよ」
平然と語る准教授に、未だ万全の脳内環境とは言えない俺達は言われるがまま「失礼します」と口にして塔内へと足を踏み入れた。
「君がライトくんの研究をしていたという……レフくん、だったかな? 話は聞いているよ。私はリント・グレイマンだ。よろしく」
「レフ・トールギストです。よろしくお願いします」
腰掛けていた椅子から立ち上がり、ツカツカと近付きながらも挨拶をした准教授にレフも挨拶を返し、つい先程まで胸を揉んでいた手と握手をする。軽く上下された後に離されると、准教授が「こっちへ」と短く口にして席に座るよう促すものだから、俺も流されて席に着いた。俺とレフで並び、向かいに准教授が腰掛ける。
レフは、気にならないのだろうか。今し方この場所で行われていた行為が。
准教授は気にならないのだろうか。自らの行いが見られた件について。
互いに研究者故の切り替えの早さなのか、この世界での常識的な行為なのか、あるいはそんな事実は無かったのだと現実逃避しているのか。腫れ物でしかないあの光景を、おそらく、三者三様の腫れ物扱いしている。
「これが、俺が今まで集計したデータです」
「成る程……これはこれは。良くまとめられてはいるが、独自裁量が目立つな……独学かな? そちらが俺のものだ。コピーだから、持って帰ってもらって構わないよ」
「ありがとうございます」
持ち寄ったデータを交換し合い、資料に目を通し始めた二人。俺は二人とは違いこちらの世界に於ける学がないものだから話にはついていけず、それ故に、先の光景を引き摺った。
「……ちょっと待ってください」
「何かな? キミのプライバシーに関しては、無論、気を配らせてもらうが……」
「そこじゃないですよ! レフ、お前は気にならないのかよ。准教授がおっぱい揉んでたんだぞ」
「……あれ、現実だったのか」
「ふむ。二人が口にしないものだから、特段気にかけてもいないのかとも思ったのだが……そうか。だが、これと言って説明する責任がある訳でなければ、説明のしようもないのだがね」
「まあ、かもしれないですけど……かもしれないですけど! 流されるにしては、余りにも気になり過ぎるんですよ!」
「……そうか」一瞬、悩むような素振りを見せた准教授は、何か納得したように頷いて口を開いた。「ンン……感情を語るのは苦手とするところではあるし、自覚なく現れるものだから口に出して語るというのはどうかとも思うのだが、敢えて口にして、どうしてもルッキズム的な話になってはしまうが、やはり、俺は金髪碧眼で胸の大きな人物が好きだということだ」
「そこじゃないでしょうに!」
堂々たる宣言に度肝を抜かれながらも、俺は声を張り上げることで自らの理性を証明する。
「胸だなどと……僕は、スラリとしていながらも確かな肉付きを感じられる脚が好きです」
「お前のは訊いてねぇ!」
「何だライト、お前だけ口にしないというのかよ。ムッツリ三助なのかよ」
「俺は……正直、可愛い子ならどんな子だってタイプなんだよ」
「え〜不純〜」
「何が不純だよ。選り好みしないだけ真っ当な人間だろ」
「いやいや、キミ……それは選り好みしないと言うのではなく、自らの認識不足というんだ。何事であれマイニングすることを忘れては、思慮・視界は霞むものさ」
「准教授までも⁉︎」
そんな意味不明な話をしながらも資料を読み進めていく二人は、凄まじい速度で瞳を左から右へ流し、上から下へと辿れば紙を捲る。隣のレフが持つ資料を横目に見たところで、ただでも慣れない文字がギッチリと詰まった資料はグラフや図があったとて何が何やらわかったものではない。
完全なアウェイな空気がそこにはあった。
「そう、俺の全力蹴り――ああ、あれをクリスタルストライクって名付けたんだけれども――アンダーテイカーには効いたんだ。だけど、こう……多分、自分の魔力で俺の魔力を必死こいて塞き止めて、切られちゃったせいで片腕しか崩せなかったんだけど……」
「シスターには、効かなかったんだったっけ?」
「うん、そうなんだ」
「全力蹴り……」
「七枚目のものです」
「クリスタルストライク……」
「ああ、これか。……成る程、循環器励起状態での蹴りと吐出による…………面白いな。蹴った対象が魔石結晶に――富魔力化か。ああ、ああ。素敵だな、心が躍る」
紙を捲り、読み進める准教授。
意気揚々といった雰囲気で、興奮を隠さずに俺の蹴りについてまとめられているらしい項を読み耽る准教授を尻目に、俺は話を続けた。
「どうしてだと思う? どうして、アンダーテイカーには有効に働いて、シスターには逆に俺の魔力を利用されることになったのか……」
「仮定の話だが……蹴りを入れた時、アンダーテイカーは人の姿をしていて、シスターはデカイ熊みたいな姿だったんだよな? だとして、人の姿に化けていたことを考えると、そのサイズ差の分だけ循環器が増えていた――とは、考えられないかい?」
「恐らく、レフくんの仮説は正しいだろうね。魔族というものは、ネブ・ノウブ人の姿を象った人間態、人の姿を崩し怪物に変貌した怪物態、この二つの中間に当たる怪人態の三つの姿を持つ。人間態では元となったであろう人物の持っていた賦質魔術を、怪物態では肥大した肉体と魔力による質量攻撃を、怪人態ではその双方をそれなりに扱うんだ」
「つまり、怪物態では純粋に魔力量で押し負けた……ってことになるんですかね?」
「おそらくは」
だが、人間態であれば質量負けしないために結晶化を引き起こせる――と。
とすると、今回のようにトカゲの尻尾切逃げられる可能性を考慮して、首や頭など自切不可能な部位か、機動力を奪う目的で脚などを狙うべきか。
「……それと、全力での蹴りなんですが、今回、二度行ったら脚が戻っちゃったんです」
「それなら、ダンジョンでもそうだったな」
「ふぅむ……魔剤だけでなく、ノエルさんの手で励起させたとて同じ結果が出たとなると、純粋に魔力量の問題なのだろう。現在、十全に扱えているものが脚部のみであることも考慮して、キミのクリスタルストライクは、左右で一度ずつ――計二回が限界なのではないだろうか」
「二回……」
真っ当に循環器を開こうとするとノエルさんに居てもらわねばならず、魔族の怪物態には効かず、一度の変身で必殺技は二回だけ。
異世界へやって来て、こうも制約の多い能力などとは。もっとこう、面制圧能力にも長けてやたらめったらに強くて使ってもケロッとしていられるものじゃないのか、こういうのは。もっとカッコ付けているだけで話が良い方向へと流れて、息してるだけで女の子にチヤホヤされて、戦いも魔法で遠くから決着して特段自分の手を汚した自覚なく皆から持ち上げられるような、そんな異世界ライフがよかったのに。
でも、カードが配られた以上は例えブタであれコールしなくてはならない。
そうだ。たった今決めたが、俺のこの変身能力――名を【ダブル・ダウン】としよう。
AとJでなくとも、この2を俺がKになって補おう。そこから先は運否天賦、賭けにリスクは憑き物だ。
「ふふっ……」
カッコイイ名前を付けてしまい、つい微笑みを漏らしてしまう。
そんな俺を、レフが何か酷く不気味なものを目撃してしまったような驚愕の顔で見てきた。ので、視線を合わせてやると、声に発さずに口の動きだけで気持ち悪いと、無駄に技巧派な煽りをしてきやがる。かなりムカつくが、俺は大人で今は気分がいいので許してやることにする。
「俺は、この辺で。レフは?」
「僕は残るさ。このままお前を丸裸にしてやる」
片手を軽く挙げて答えても、視線は准教授と交換した資料に落とされたままであった。
この、俺だけ取り残されている寂しさに耐えかねて出て行く訳では決してないが、まるきりその感情が排斥されて、別の行動目的でのみ動いているのかといえば、それは否定される。俺だけ知らない漫画で盛り上がってるトリオみたいで、気まずいんだもん。
「では……」
「ああ、あの薬はまた用意しておこう」
「あれ、滅茶苦茶痛かったんですけど」
「そうか」
挨拶をして研究室を後にする。
後にしたところで何かすることがあるのかと自らに問えどもそんなものは無く、朧げな記憶を頼りに見覚えがありそうなものを辿り正門を目指す。廊下を歩きながらも道行く部屋をはたと見れば、ハリーッポッターのような幻想的なものとは異なる、実に理系らしい授業風景がちらりと見える。
黒板に書き出された理論、導き出される結論、それらを表すであろう波状グラフ。
もっとファンタジスタな授業をして、俺に異世界感を味合わせてくれというのは傲慢なのだろうか。否、これは真っ当な意見の筈だ。
太陽は一度てっぺんへと登り、そうして少し傾きだす。廊下の人通りが少ないのを見るに、先程までが昼休みであったのだろう。
だとすると、もしや、俺達を研究室へと案内するという些事で貴重な昼休みの時間をノエルさんに浪費させてしまったのだろうか……それは、いけない。重罪では済ましてもらえないかもしれない。王立騎士隊の面々を使って俺を包囲・捕縛、尋問してくるかも……いや、秘密裏に誘拐されて捕まり、殺されてどこかの山中に遺棄されるかもしれない。アドリアンさんにバレるのは相当のリスクと見るべきか……ッ!?
悶々。本来ならばら学生である俺が言うのもおかしな話ではあるが、学生であるノエルさんの学業の邪魔立てをしてしまったことがアドリアンさんに知れたらと身を震わせる。この程度で怒る人ではないとわかって……いや、本当に怒らないだろうか。五分五分だな。
「あれ? あー! ライトさんでは無いですか」
と、左側の脇道からこちらへ曲がってきた彼女が立ち止まり、口にした。
「おや、モニカちゃん……あぁ、そうか。そうだよね。そりゃ、いるか」
「どうしたんですか、何かご用事で? ウチならここで、リェンちゃんなら多分第五研究室……ノエルさんですと、寮の方だと思いますケド」
「君に会いに来たと言ったら、どういう顔をするかな?」
「照れますね。そして一人の男性を狂わせてしまった自らの美貌に恐怖します」
「ならば、そう口にはすまいよ。……まあ、レフを世話になっている准教授の元に案内してね。その帰り掛けってところだよ。モニカちゃんは?」
「空きコマです」
適当な敬礼をしながらも口にするモニカちゃんに、しばし考えた後で「飲み物くらいならば奢るけれど、少し暇潰しに興じないかな?」と誘う。上手く誘い、そこそこ話して見送りなノリで正門まで案内されればと思っての誘いに、裏の事情を知らないモニカちゃんは肯定を返した。
「いいんですか! では、ゴチになります」
ではでは、とモニカちゃんに引かれて行った先は、中庭らしき場所であり、そこには移動販売らしき屋台が設営されている。売店らしきその屋台はパン類や飲み物、お菓子などの軽食をメインに扱っているらしいが、並べられたトレーには、最早何も残っておらず、寂しく値札が風に揺られていた。
とはいえ、飲み物はその限りではないらしく、モニカちゃんが瓶を二つ手に取って見せ先のオヤジに手渡し、しゃがれた声で合計金額を口にするオヤジに金を渡す。各々で一本ずつ手にしたそれを握り、またしてもモニカちゃんに腕を引かれて移動する。
「おぉ……」
つい、歓声を上げる。
連れられた先は連立する箱型施設の屋上であり、身長よりも高い柵に囲まれてはいるものの高所故の見晴らしは健在であり、吹き抜ける風も心地が良い。
円形の花壇の縁を取り囲む形で伸びるベンチに腰を下ろして、並び、瓶の蓋を開ける。シュッと圧が抜ける音がして開いた瓶に口をつけて煽ると、口内に甘ったるい味が広がる。どうやら、リンゴジュースだったらしい。
「お世話になっている准教授って、誰なんですか?」
「グレイマン准教授だよ。リント・グレイマン。なんて言ってたか……材料魔力学? だかの」
「うわぁ……グレイマンですか」
モニカちゃんが、ベンチに片手を着いて俺とは逆の側へ体重を移動させた。だらけたように見せて、その実、距離を取って逃げ腰になっているようだ。
ちょっとショックではあるけれど、敢えて言及もしないし逃げたいのならば逃げればいい。学校組織・生徒という立場には、生徒なりの社会が存在するのだから、部外者の俺が土足で踏み込んでは、社会という田んぼに折角植えた稲を駄目にしてしまう。
「……グレイマンには噂があるんですよ」
「噂……?」
「えぇ、まあ…………けれど元宮廷魔術隊員で、研究室での千年難題の解体も誰よりも進めているので何も言えないんです。外面は猫被っていますし………………関わらずにいられるのなら、関わらないに越したことはないと思いますよ」
思い出されるのは、やはり、研究室に入った瞬間の光景。
あれがもし、生徒だとしたら……となると、どうしてアドリアンさんはそんな人に俺を紹介したのか。元宮廷魔術隊員という話で繋がりがあると見て、だとして、他の人物でなく彼だった理由は。考えるに、またしても餌として使われているのだろう。
なぜ伝えないのかなんて疑問は、単純な話、半信半疑の段階なのだろう。確証を得るために兎を放ち、それがライオンか否かを断じる。
そう考えるとレフの出向命令というのも合点がいくな。どのような人物であれ、才能があるのならばギリギリまでその才能を絞り、俺の身体について調べさせて、いざ確証が得られればノエルさん、俺、そしてレフの三人がいる学園からはそう易々とは逃げられまい。
いやらしい人だ、アドリアン・セントリア。
「ま、大丈夫だよ。なんかあったら、泣きつかせてもらうから」
「やめてくださいよ! なんで巻き込むんですか⁉︎」
「何だよ、俺らの仲じゃない」
「いやいや、遠慮しますよ。困るのならば、どうか一人で困ってください」
「………………酷くない?」
まあ、そりゃ嫌か。
俺だって、良くない噂がある教員に困らされている友人など助けようとは思わない。話を聞いて、指を指して笑うのが精々だ。
「ま、いいや。……じゃあ、代わりにだけれども、ノエルさん、どうにも無理しているみたいだから。気に掛けてくれないかな?」
「言われましても……最近、見かけませんし」
「モニカちゃんは、寮には入っていないの?」
「入っていますが、個人での研究室を兼ね備えている都合、簡単に他の人の部屋に行くってのはできないんですよ……まあ、だからこその安全性ってヤツでして」
「そうなんだ……」
「でも、見かけましたら、不祥モニカ・ヒル、全力で!」
「うん、お願い。俺がやれればいいんだけれど、相手は女の子だし、なかなかね」
「……女の子になっては?」
「……酷いことを言う」
顔を左右に勢いよく振りながらも否定の言葉を返せば、モニカちゃんはふふふと不穏な笑みを浮かべる。
「でも、もうすぐに文化祭ですから、研究をガッツリ進めておきたいんじゃないですかね?」
「だとして、無理をしなければ進められないのであれば、それは元より計画が破綻しているのだよ」
「体育会系な考え方ですね」
「理系じゃね……?」
瓶を振り、中のリンゴジュースを眺めるモニカちゃん。
何かを考えているのは何とは無しにわかるけれど、切り出さんとしているのならばと口を噤んでいれば、よしっと軽い意気込みを経て、俺の側へ向き直り、じっと瞳を見つめられる。丸い瞳を見つめ合い、彼女の裸眼を観察するというのがどうにも過恥ずかしくて視線を右往左往させるが、意気込んだ割になかなか切り出されない。
「楽器って、何かやれますか……?」
「楽器ぃ? まあ、ギターならば触りくらいは……でも、音が出せる程度で、何か曲が弾けるって訳ではないからね?」
「いえ、充分です。ギターならば、丁度!」
先程、グレイマン准教授の話題で離れた分、今度はこちらへ近付いて、ずずぃっと顔が近付かられた。よくこうなった時に女の子の甘い香りが〜とか表されるが、しかし、今感じるのは女の子発の甘い香りではなく、絶対的に、リンゴジュース由来の甘い香りであったのだからムードなどない。
「教えてくれませんか、ギター!」
「俺が? ……そりゃ、烏滸がましいにも程があるだろう。俺のギターなんて、あれだよ? 音楽の授業でやった程度のもので、ホントに音出して楽譜通りに弾くのが精々だからね?」
「だとしても、このままでは……文化祭の舞台で引くのが、ウチらのバンドは、ジャズになるんですよ!」
「イイじゃないの、ジャズ。俺は好きだよ?」
「ドラムとキーボードと、ウチが出来るのなんてトランペットだけなんです! 文化祭ですよ、文化祭! そこで、その舞台で……しっとりした曲なんて、空気を読めてないって目で見られて………………終わります」
「終わるまでいくかい⁉︎ なら、ノリノリなジャズでいけばいいじゃん。何かあるでしょ、ほら、何があるか知らないけど」
「だとして、ロックがやりたいんです。スクールオブロックしたいんです」
「んー……教えるのはやぶさかではないのだけれど、俺で力になれるとは思えないんだけど。他の人に頼んだ方がいいよ」
「いるのならば、この話をあなたにしてはいませんよ」
「失礼だな」
「失礼を承知で言いますが」
「どんな倒置法の使い方だ」
「ウチがこれだけ頼み込んでいるんですよ?」
「頼み込んでいるって風には見えないがね」
「全く……いくらですか? 金なんでしょう? それとも、身体ですか……? 汚らわしい」
「いいよ、何も。まともにできなくともそれで良いと言うのならば、それで。対価なんて貰えるレベルの話じゃ、無いんだから」
ため息を吐きながらも首に手を回して、承諾する。
ギターなんて、本当に弾き方を知っている程度で、それ以上でも以下でもない。高校の音楽で「海の見える街」をギターで弾けるようになれと課題を出され、その時に必死で覚えた程度の付け焼き刃だ。
「構いません。では、明後日ここに来てください! 実は穴場なんです、ここ!」
「そうなんだ……ギターは?」
「ウチが用意しますので、ご安心召されよ」
「ご安心召されるよ。うん、じゃあ……俺は帰るから、折角だし、正門までどうかな?」
「構いませんよ。リンゴジュースで春を売ったウチですので、お付き合いいたしましょう」
「やめなさい、女の子なんだから」
「差別的ですね」
立ち上がり、両手を絡ませて大きく伸びをするモニカちゃんを見上げた。
未だ、太陽は高い位置にいるらしい。
「そうだよ、俺は差別主義者なんだ」
瓶に残ったジュースを飲み干して、俺も立ち上がる。
俺達二人は、校門に向かい雑談を重ねるのであった。




