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怠惰な彼に一握りの奇跡を  作者: とんぼとまと
第三章 姉の思いと彼女の思い
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【4】真っ赤な世界

「はぁ……。 くそっ、いつまで続くんだよ」


 その日ユウは雪山の中をひたすら走っていた、ただ必死に、一時も休むことなく。 たった一人の強行軍はどれだけ続くのだろうか、昨晩からの独走は、真っ黒だった空を僅かに明るくしていた。


 休むことは出来なかった、もし立ち止まれば……。


「足下がお留守だぞ?」


 どこからかかけられる声が、辺りの山々に木霊して響いていく。 ユウの体が僅かに硬直したかと思うと、とっさに彼は体を右に逸らして飛び退いた。


 すぐさま爆音と共に辺りの山肌がえぐられて、辺りに雪と瓦礫の山が出来上がっていく。 それを、ユウは戦慄した表情で見つめていた。


「ようやく分かってきた様だな……。 相手の太刀筋を、殺気を感じろ、分からなければ切られるだけだ」


 またどこからか声が聞こえる、それは少し楽しそうなキョウラクの声だった。


「くそ、いい加減にしろよ!」


 辺りを見回してユウは叫んだが、その声を無視するかの様に、今度は後ろから凄まじい衝撃が巻き起こる。 とっさに、身をかわそうとするのだが、もはや為す術なく飲み込まれていった。


「はぁ、はぁ……。」


 しばらくして、ユウは息を殺して崖の下に潜んでいた。 


 そして思い返す、このキョウラクの道楽は、まったくの無茶苦茶だった。 拾われてからと言うもの、毎日毎日ただひたすら彼の訓練に付き合わされていたのだ。 


 最初は剣の稽古だと言われた、もしかすると自分の気を少しでも紛らわそうとしてくれたのかと思った。 それほどまで、キョウラクとユウの実力はかけ離れていたのだ、彼にしてみれば子供の遊びくらいの気分だろう。


 ただのチャンバラごっこだと思っていた、だが次第にその内容は苛烈さを増していった。 


 今日も、いや昨日から夜通しキョウラクから逃げ続けている。 彼は言った簡単な鬼ごっこだと、ただし良いと言うまで終わらない、そう付け加えていた。


 どこが鬼ごっこなのだろうか、気を抜けば殺されるのではないか。 当たれば致命傷になりかねない一撃が、ひたすらユウを追い込んでくる。 


 どうやって、あのたくましくもない腕から、山肌を削る程の斬撃が繰り出せるのだろうか。 それは悪魔の力なのだろうか、そう理解するしかなかった。


「おい、聞こえるか? 上手く隠れたようだな……。 それでいい、相手の術中にはまるな。 俺と同じ土俵で相撲を取ろうなんて千年早いは」


 ユウは切り立った岩肌に隠れ黙って、キョウラクの声を聞いていた。


「お前は隠れるのが上手いな。 だがな、立ち止まるのは愚策だぞ?」


 そう声がしたかと思うと、辺り一面に無数の斬撃が広がっていくのだった。 呆気にとられたユウだったが、すぐさま大きな岩が崩れ落ちてくる。 もう慌てて逃げ惑うことしか出来なかった。


 必死に落ちてくる岩を避け続け、目の前に見えた林にユウは飛び込む。 そのまま林を駆け抜け、一層生い茂った木々の中で、またユウは息をひそめた。


 本当にいつまで続くのだろうか、だんだんと苛立ちが募ってくる。 そもそもキョウラクの殺気なんて分からない、攻撃された直後の音や視界の情報から判断して避けるしかないのだ。 


「いい加減、もう終わっても良いだろう……」


 ふと、そう口に出してしまったのだ。 一方的に攻撃され、こっちは相手の姿が一向に見えない、どこにいるか把握できれば、ギリギリで攻撃を避ける頻度も下がると言うのに。


「まったく、まだ甘い……」


 またキョウラクの声が聞こえた、途端すぐに逃げ出したユウだったが、また呆気なく吹き飛ばされてしまう。 そして地面に這いつくばり、もうこのまま倒れてしまえばと思った。 そして、うつ伏せのまま動かずにいると、前方から足音が聞こえてきた。


「だらしない……。 お前は、少しは戦う訓練をしていないのか?」


 足音は目の前まで迫ってきている。


「さて、人が鬼に捕まれば、どうなるか……。 分かっているのか?」


 つぶやいたキョウラクの声は、それこそ底冷えするような低く暗い声だった。 心臓を鷲づかみにされる様な恐怖をユウは感じた、それでも震えそうになる体を押さえ、必死に息を殺していた。


 すると、足音が止まった。 


 チャンスは今しかない、そうユウは決心した。 


 目の前の地面を強く掴んで、ユウは一気に起き上がる、目の前には刀をしまって中腰になっているキョウラクが見えた。 どうせ、こんな奇襲なんて読まれている、それは承知の上だった。


 もう疲れて力も入らない、それでも一歩、また一歩、足を踏み出していく。 


 その一瞬周りの音が消えた、僅かに降る雪も止まった様に見える、ただ目の前のキョウラクが鮮明に見えた。 そして、親指が鯉口をきったのが見えた。


 しかし、まだ数歩足りない、だが……。 


 間に合え、そう誰かが叫んだ気がした、とても悲痛な叫び声だ。 するとユウの視界が、真っ白な雪景色が、真っ赤に染まっていった、それは酷く不快な赤い色だった。 ゆっくりと動くキョウラクの右手が目に入る、だが彼の姿はもう目の前に迫っていた。


 強く握りしめた右手が、彼の顔面へ届く。 その一瞬で、ユウの意識は消えた。 


 バタリと倒れ込んだユウをキョウラクは見下ろしていたが、彼の口元は僅かにほころんでいた。


「これを見せるのは二度だけだ、三度目はない。 次は届かせて見せろ、でなければ死ぬだけだ……。」


 そう言って、意識を失ったユウを担ぐと、またキョウラクは屋敷へ戻っていくのだった。

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