【序章】ある日の雪降る王都で
リジニャン王国、それは五百年もの昔から、聖女の残した結界を守ってきた王国だ。 その結界は、魔獣や悪魔達から人々を守るために存在していたが、その裏では、結界の維持に何人もの命が犠牲になっていたと言う。
そして、五十年毎に弱まる結界の力を繋ぎ止めるため、今年も選ばれた一人の少女がその身を犠牲にし、とある儀式を執り行うはずだった。
さらに不幸なことに、長年に渡り人々を守ってきた結界は、五百年もの歳月にその力を維持するのも困難な程に弱っていた。 そんな王国の、この大陸の窮地を救うため、選ばれた少女がアリスだった。
アリス・ド・リジニャン第二皇女、聖女の血を引き継ぎ、結界との親和性が歴代でも特に高いと言われていた人物だったが。 その姿を見たものは、ほとんどいないと言う。
彼女は王国の祭り、結界祭と呼ばれる祭りの日に、その儀式を執り行い成功させた。 その事は国王陛下より人々に直々に伝えられ、そして皆その成功に歓喜したのだった。
しかし、未だに観衆の前に現れぬアリスに、その関心は強く向けられていた。
そんな巷の騒ぎも知らず……。
王都の小さな孤児院の、小さな物置部屋に敷かれた布団の中に、一人の女の子が丸まってスヤスヤと眠っていたのだった。
すると、その女の子はゾモゾと体を動かしては、眠りから覚めて隣を見る。
「ううん……。 寒いです、とても寒いですよ……」
彼女は白息を吐きながら、ゆっくりと布団から起き上がった。
少し幼い外見のその女の子は、全体的に優しそうな顔立ちではあるが、目鼻立ちはしっかりしており。
上等な服に着替えてしまえば、貴族の令嬢と言っても遜色ないだろうか。
そんな彼女は、少し機嫌が悪そうに見えたが。 そっと窓の外に目を向けると、灰色の空からシンシンと振る真っ白い雪を見て、その口元を緩ませた。
「雪って、本当に白いんですね」
そう言って、よいしょと布団から出た彼女は、寒さを堪えて寝間着を着替える。 だが不意に開けられた部屋の扉に、ビックっと体を硬直させて、その向こうに立っていた青年と目が合った。
「おい、アリス。いい加減に起きないと……。 って、すまん!」
着替え途中で入ってきた青年は、アリスの下着姿を見て一瞬だけ固まると、慌てて扉を閉めてしまった。
「もう、ユウさん! 別に恥ずかしがらなくても良いじゃないですか、一緒に暮らしているんですから!」
扉の向こうに話しかけるアリスだったが、その向こうからは、少し慌てた様な声が聞こえてくる。
「あっ、あのなぁ……。 はぁ……。 少しは恥じらいと言うか、羞恥心を持てよ」
「一緒の部屋に住んでいるですよ、気にしていても仕方ありません。 それに、ユウさん! ため息をつくと、幸せが逃げてしまいますからね!」
「分かった、分かったよ。 とりあえず、朝飯の準備が出来たから、早く起きてこい」
そして、扉から遠ざかっていく足音が聞こえてくるのだった……。
その青年は、ユウは少しだけ慌てた様に孤児院の食堂に戻ってきた。
「あれ? どうしたの、ユウ。 ちょっと、顔が赤いよ?」
そう目の前で笑っている青年はロキと言う、いまユウが暮らしている家の主である。 背は低く、華奢な体格で、誰もが振り向くほどの美少女、ではなく、紛れもない青年だった。
「何でもない」
そんな彼を見て、ユウはぶっきらぼうに答えた。 彼らは王国の騎士学校の生徒であったが、今は冬の休みの時期である。 こんな休みの日は、特にユウは早起きをして孤児院の子供達に朝ご飯を作るのだが、そんな彼の仕事も今では奪われてしまっていた。
「あらあら、二人とも朝から中がよろしいのですね。 ところでユウ様、アリス様はお目覚めになっておりましたか?」
そう台所の奥から聞いてくるのは、メリルと言う一人のメイドだった。
そして、ある晩アリスと一緒に孤児院にやって来た彼女に、ユウのお株はすっかりと奪われてしまっていた。ユウが今までしていた仕事を、ほとんど彼女が肩代わりしてしまったのだ。
メリルは少しでもアリスとユウが一緒にいる時間を増やしたいのだろう、それが昔からアリスを見守ってきた彼女の償いでもあったのだろうか。 ユウ自身、ロキやアリスと一緒に暮らしていて不満はない。
だが、以前より暇になった彼の心は、何故か少しざわついていた。
「あぁ、起きてたよ、着替えてた」
「あぁ、そういうことか」
「うるさいぞ、ロキ!」
そんな賑やかな食堂の外は、昨晩から王都に降り始めた雪に、もう足の先まで埋まっている。 今年は例年より寒くなる、そう誰かが言っていたのを、ユウは椅子に腰掛けてふと思い出していた。
その頃、王都の外周にある大きな壁、その正門の門番達は、降りしきる雪を窓越しに眺めていた。 そして、たわいもない会話をして時間を潰している。
「こんな日に当番なんてついてねぇよな」
「お前も懲りないな、そうは言っても手当は出るんだからさ。 それに、こんな雪の日は誰も来ねえよ」
がしかし、そんな期待を裏切るかの様に正門に一人の人物が到着したのだった。
その人物は厚手のコートを着込み、すっぽりと頭から被ったフードには、しっかりと雪が積もっている。 こんな雪の日に、馬車も使わずに一人で街道を歩いてきたのだ。 門番達は慌てる様に外に出ると、その人物に向かって声をかけた。
「おい、あんた何してんだ、こんな雪の日に。 何の用で、ここリジニャンに来た、答えろ!」
すると、その人物は深く被ったフードの奥から声を出す。
「弟に……。 弟に会いに来たのよ……」
その声に門番達はハッと息を飲んだ。 その声は、とても澄んだ、とても綺麗な声だった。
「あんた、とりあえず、そのフードを……」
そう言いかけた門番達だったが、その人物がフードを脱ぐと、皆が揃って絶句していた。
肩まで伸びる長い金色の髪がふわりとなびいて、真っ白い肌と、凜と整った目鼻。 そして、少し長い耳の先は、長命種と呼ばれる種族の特徴に似ている。
だが、そんな事よりも、おとぎ話から出てきた妖精のお姫様の様な姿に、その場に居た全員が目を、心を奪われていたのだ。
「私はリーリス、リーリス・アルティス。 ねぇ、あなた達、クラカタって病院は知っている? そこに、行きたいんだけど?」
そう聞いた彼女に、門番達はこぞって案内を申し出るのだが。 彼女は場所だけ聞くと、コートを颯爽と翻して、王都に消えていくのだった。
「こんな日に当番で良かったなぁ、何だよ、あの美人」
「あれだろ、エルフってやつだ。 あんな美人がいるのか、行ってみてえな、大森林て所によお!」
「お前が行っても犬死にだろう、何でも野獣や魔獣が多いらしいぞ」
「そんな所から、来たんだから、あの別嬪さんも強いんだろうな……」
「それにしても、またクラカタの病院か……」
そんな門番達の会話も、もう彼女には届いていない。 彼女は、リーリスはフードを深く被り直して、雪の降りしきる王都を歩いて行った。
シンシンと降る雪は、辺りの音を飲み込んでは、ただ自分の吐く息の音だけを聞かせている。 そして、白い息がふわっと、リーリスの目の前に広がっていった。
彼女は目的地に向かって歩きながら、そして、段々と深刻そうな表情をしていく。
「ユウ、今度は、今度こそは……。 お姉ちゃんが絶対に守ってみせるんだから!」
そうつぶやいた彼女の言葉も、また雪に飲み込まれては、灰色の王都の空に消えていくのだった。




