【13】その悪魔の後悔
ストレス多めです。
それはこんな世界ではなかった、もっと別の世界、魔法も奇跡もない、そんな世界だった。
そこでは、ただの子供だった。戦う力もない、ただ普通の学生だった。
それでも、ただ毎日が穏やかに過ぎていく。それが幸せだった。
「ねぇ、優羽は高校卒業したらどうするの?」
ホームルームが終わり、唐突にそう聞いてきたのは幼なじみの藤沢恵理だった。彼女はくりくりとした目で優羽の顔をのぞき込み、心配そうな顔をしていた。
優羽達は来月で十七歳になる。もう夏休み前にさしかかり、すっかり受験シーズンに染まったクラスをボンヤリと眺めていた。
「母さんの事もあるし、俺は就職するよ。いくつか自動車関係の募集があるから、そこを受けてみるけど」
「そっか、皆で一緒に大学行きたいけど、私はさ。でも有紗さん、まだ体調は良くないの?」
「今年に入って少し悪くして、それからな……」
「うーん、そっか……。 元気出していこう、優羽! 今度お見舞い行くね、有紗さんも心配だし!」
「あぁ、今度な。それじゃあ、俺バイトあるから」
「うん、いってらっしゃーい」
少し気まずい感じがしたが、そんな気の抜けた様な声に見送られて、優羽は教室を出て行った。
そして下駄箱で靴を履き替えていると、今度はまた別の声に後ろから話しかけられるのだった。
「優羽、今日もバイトか?」
これも幼なじみの藤堂啓介だった、彼はサッカーのユニフォームを着て、片手にボールを抱えている、これから部活なのだ。
昔から一緒に遊んでいた彼だったが、いつ頃からかサッカーの特待生として、メキメキと頭角を現して今はクラブチームでも活躍している、部活にチームに忙しい奴だった。
「あぁ、新聞配達な」
「なぁ、恵理も心配してたけど、もう少しお前自身の事も考えろよな。俺たち高二なんだぞ」
「はいはい、ご忠告痛み入りますよ。お前も頑張ってこい!」
そう笑って手を振って、そのまま優羽は校舎を出て行く。
遠くのグランドでは、野球部が声を出しながらランニングしていた、そんな青春の真っ只中でも、彼は今日もバイトに勤しむのだった。
優羽は小さな長屋のアパートに一度帰ると、簡単にジャージに着替えてから家を出て行こうとするが。隣の部屋から起きてきた母親と、偶然にも出くわした。
「かっ、母さん、寝てないとダメじゃないか」
「優羽ったら、もう帰ってきたなら、ただいまをしないとダメよ。起こしてくれれば良いのに……」
年甲斐もなく口をとがらせて拗ねている母親を、優羽はさっさとなだめると、気を取り直して靴を履き替えた。そんな彼の後ろ姿を、母は見送っていると、こう声をかけてきた。
「優羽、今日もがんばっ……。 いってらっしゃいね」
「あぁ、ありがとう。いってくるよ、母さん」
そうして優羽は、夕刊の配達のために出かけて行くのだった。
物心着いた時には父親は居なかった、安アパートで母親と二人暮らしだったが、それでも自分には幸せだったと思う。自分を生んだ後から、母親の体調はよくなかったらしい、それは恵理の両親と母親が友達だったので聞かせてもらっていた。
どこかで、そんな後ろめたさもあったのだろうか、今ではもう分からない。ただ、それでも、こんな些細な日常が、ずっと続けば良いと思っていた。
高校が夏休みに入る頃、優羽は恵理や啓介達と図書館で勉強しながら、毎日新聞配達のバイトを繰り返していた。
その時はまだ何も、何も考えていなかったのだと思う、これからの事も自分の事も。
ただ、その日は啓介がサッカーの試合で、恵理も用事があると出かけていたのだった。そのため、優羽は早めにバイト先に着くと仕分けを終えて、いつもより早く配達を終わらせようと考えた。
ちょうど給料日なのだ、早く帰って母親に美味しい料理でも作ってあげようと、そんな事を考えていた。さっさと配達を終わらせて、いつもよりほんの少し早くバイト先に戻ろう、それだけだった。
優羽は自転車を漕いで、いつもの帰り道を通っていた、だがその先に煙りが見えた。
それが、運命の分かれ道だったのだと思う。
何かと思い、その先に向かうと、二階建ての小さなアパートが燃えていた。消防車は到着しておらず、近隣の住民が辺りでその様子を見守っている。
ゴーゴーと真っ赤に炎が燃えあがり、窓から黒い煙が吹き出すと、パラパラと屋根や壁が崩れ落ちていく。現実的な光景ではなかった、鼓動が早くなり、はっと息を飲んだ。
そんなアパートの目の前で、少し化粧の濃い女性が泣いていた。子供の名前を呼んで泣いていたのが見えた、その瞬間、優羽は自転車を乗り捨てて走り出していた。
「どうしたんですか?」
優羽は女性に声をかけると、彼女はすがるように服の裾を掴み懇願したのだった。二階の部屋に子供が寝ていたのだと、辺りを探しても見つからないと。支離滅裂になりながら、それでも子供の事を叫んでいた。
一瞬だけ頭の中が真っ白になった。
だが、目の前の燃え盛る炎を見て、体は動いていた。
無我夢中だったし、偶然も重なったのだろうと思う。二階の部屋の扉は運良く崩れ落ちていた、そこから身をかがめて急いで部屋に入ると、奥に子供がぐったりとして倒れていた。
音も聞こえず、熱も感じない、次の瞬間にはその子を抱えて燃え盛る炎から逃げた。部屋を飛び出して、ボロボロになった階段を転げ落ちる様に降りると、その瞬間建物が大きく崩れた。
ゾッとした、もう少しで死んでいたと思った。
その後で、消防車と救急車が来て子供と母親は病院に連れられて行った。一人立ちすくんでいると、消防士や警察からいくつか質問をされた。
そして、ようやく気を取り戻すと、自転車を押してバイト先まで戻った。
バイト先に戻ると、ススまみれになった姿を驚かれた、とても心配された。
それから家に帰ると、母親にも驚かれて、そして泣かれてしまった……。
次の日は夏休みの特別授業があった、学校に行くと校内は火事の話題で持ちきりだった。うちの高校の生徒が子供を助けた、数少ない生徒達の中でそんな話が広まっていたのだ。
「さすがは優羽、こう言うのって表彰されちゃうんじゃない? ヒーローみたいだよね!」
恵理はまるで自分の事かの様に自慢げに話していたが、啓介はあまり無茶するなと心配していた様だった。それから授業が終わると職員室に呼び出されて、消防署から表彰されると話をされた。
一度は断ったが、勇気ある行動だったと褒められたのが少し嬉しかった。
だが、それ以降も同じ市内で不審な火事が続いていたのだった。
夏休みが終わり、登校初日になって異変に気がついた、周りの自分を見る目が少しおかしかった。でも、その理由はすぐに分かった。
インターネットで噂になっていたのだった、火事で子供を助けたお手柄少年が、実は自作自演の放火魔と言うものだった。
恵理は怒っていた、啓介も激怒してクラスの同級生に一喝していた。自分は知らなかった、でも携帯電話やパソコンを持っていなかったのが幸いだったと思う。
そして、未だに放火魔は捕まっていなかった。
バイト先の店長も実は噂話を耳にしたらしい、でも励まされた、こんな事に負けるなと。そして少しずつだが、不穏な日常は落ち着きを取り戻していった。
ある日の朝、学校に出かけようとすると、珍しく母親が起きていた。
「おはよう、母さん。 今日は体調がよさそうだね?」
「そうなのよ、今日は久しぶりに、お母さんが夕ご飯を作っちゃおうかな!」
そう彼女は少し元気そうにはしゃいでいた、それが、とても嬉しかった。
「本当に?あんまり無理しないでね、それじゃあ、行ってきます!」
「優羽、いってらっしゃい!」
そう楽しそうに話していた、それが母さんと話した最後の会話だった。
いつもと変わらない日のはずだった、学校に行って勉強をして、友達と楽しく話をして……。だが、昼休みに恵理達とご飯を食べていると、先生が慌てて教室に駆け込んできたのだった。
家が火事になっている、落ち着いて、今から車で送る。たぶん、そう言っていたと思う。
でも、その瞬間には、駆け出していた。
自転車をこいで、信号も無視して、ただひたすら急いだ。
大丈夫だ、今日は珍しく、母さんは朝起きていたし、いつもより調子が良さそうだった。きっと逃げて、無事でいてくれる、
そんな奇跡を信じた。
家に着くとボロいアパートは燃えていた、消防車が放水を始めており、周りには野次馬達が大勢いた。
近くに消防士を見つけると、必死になって伝えた、あの部屋に母親と一緒に住んでいると。そして、辺りに向かって母さんと叫び続けた……。
大丈夫、きっと大丈夫だと、どこかで自分を落ち着けていた。全身に変な汗をかいていた、口の中はカラカラに乾き、少し手は震えていた。
きっと逃げて無事でいてくれる、もしかしたら怪我をして病院に居るのかもしれない。
そう願った。
しばらくすると、先生が迎えに来た。落ち着けと必死になって言っていたと思う。一先ず離れて落ち着こうと提案されただが、体はその場から動けなかった。
三時間もすると火災は鎮火した、辺りには焦げた匂いが漂っている。消防士達はアパートが崩れ落ちないか慎重に確かめつつ、ゆっくりと自分たちの部屋に入って行った。
そして、すぐさま担架が部屋へ運ばれていった、悪い予感がした。
その後、毛布を掛けられた担架が部屋から運ばれてきた。
とっさに口から声が出た。
「母さん、母さん!」
無我夢中で必死に担架に追いすがろうとしたが、周りの人達に止められた。彼らは皆、沈痛な面持ちで自分を見ていた。
もう、それ以降の記憶は、定かではない。
ある日、テレビで見たニュースで放火魔が捕まったと知った。そして、犯人はお手柄高校生の家をわざと燃やしたと自供したらしい。なんでも、その高校生が犯人扱いされて可哀想だったから、そんなふざけた理由だった。
「面倒くさい……」
そう言ったと覚えている……。
その後、自分はどこかで死んだのだ。
最後にユウはそう言って、また闘技場の空を見上げた。その目から大粒の涙を流し、僅かに口元が震えた。
誰もが黙って、ユウの話を聞いていた、そして沈黙が続いていく。大きな雲が流れていった、闘技場に、ただ風が吹き抜ける音だけが響いている。
「これが、俺の後悔だ……。叶わなかった奇跡を叶える、それが俺の悪魔の力だよ……」
キース達は、ただユウを黙って見つめていた。
しかし、唐突に彼が口火を切った。
「ならば、アリス様は何を願った?」
キースは微動だにもせず、ユウを見据えそう言った。
「あいつは、ただ俺に自分を許せと願った……。初めてだったよ、そんな願い。だから、何がどう叶ったのか、正直なところ分からない……」
フラつきながらユウは立ち上がると、そして右手で剣を構えた。
「ならば、アリス様を何故助けた?」
「大した理由じゃないさ……。ただ、何となく母さんに似ていた、懐かしい気がした、それだけだ」
ユウは少しよろけながら、一歩足を前に踏み出す。
「ならば、悪魔。お前は何故逃げなかった?」
「この世界に生まれてから、今回みたいな事は何回もあったさ。逃げたよ、その時はさっさと」
剣を持つ右手に、力が入った。
「だけどな、たまには良いじゃないか。自分の好きなようにやってみたって。それに、お前らはアリスをどうするつもりだ?」
「悪魔と通じた者を、王国は許さない、それだけだ!」
キースは目をカッと開いて、ユウを怒鳴りつけると、また短剣を構えた。
「なら、引くわけにもいかないな……。悪いがアリスはもらっていく、その前にお前ら一発殴ってからだがな」
そしてユウは、満身創痍の体で駆け出した。
いくつかの太刀筋が交錯すると、ユウはキースを交わして、またギーに向かって駆けていく。もう左手に力は入らない、片手で五人を相手にするには分が悪過ぎた。
その身は四方から切りつけられていく、おまけにギーもハオ達も一撃一撃が重いのだ。足もフラつき、剣撃を受け流すことも出来ない。
ギーの横薙ぎをギリギリで右手だけで凌いだが、また吹き飛ばされて、ユウは地面に這いつくばった。
それでも、その身を奮い立たせては、気力だけで立ち上がる。ユウは闘技場の大扉を背にし、最後の気力を振り絞って、駆け出そうとした。
その時、背にしていた扉が勢いよく開かれた。
「ユウさん!」
驚いて振り向くと、そこには、確かにアリスが立っていたのだった。




