【8.5】塔の上の彼女
その祭りの夜、アリスは真っ白な祭り装束に身を包むと、頭から白いベールを被り、そして彼女は部屋を出て行った。
部屋を出ると、一人の老婆が立って居る。濃い色のローブに深めの帽子を被った、背の低い老婆だった。しわくちゃの顔をそっと緩ませると、彼女は手をそっとアリスに差し出す・
おそらく、その老女が今夜の儀式の付き添いなのだろう。
「アリス嬢ちゃん、準備は出来たかい?」
「はい、魔術師長様」
アリスは穏やかな口調で、彼女に答える。
「はっはっは、よしとくれよ……。 バーバ、バーバ・ヤーガでいいさ、昔の様にそう呼んでおくれ」
「そうですね、バーバ。では、行きましょうか」
城の中はひっそりと静まりかえり、アリスとバーバ・ヤーガ以外に誰も見つけられない。
「静かですね……」
アリスは、そう一言つぶやいて、その歩みを進める。彼女は、しっかりと一歩ずつ、自分の足を確かめるように、歩いていた。
どうして城の中に誰もいないのだろうか、それは、アリスとシビーユが会った晩に遡る。シビーユはアリスの部屋から出た後、ギー達と話し合いをしたのだ。
祭りの、儀式の当日はアリスを一人にすると、シビーユは提案した。無論だが全員が反対をした、しかし、シビーユは頑として聞かず、アリスが別れを悲しむだけだと、そう言った。その言葉に、誰もが、何も言えなくなった。
今は城の下働きやメイド達は、全員が城外へ出ている。ギーやシビーユ達は大広間で、ただ儀式が終わるのを待っていたのだった。
だが、結界を修復するための魔法を、正確には魔方陣を作ったバーバ・ヤーガだけは別であった。それは、魔方陣を起動するために、どうしても立ち会う必要があったのだ。
それでも、シビーユは取り付く島もなく、魔方陣を起動した後で彼女も塔を離れる様に命令した。苦しむアリスの最後の姿を誰にも見せたくはないと、その言葉にバーバ・ヤーガは眉をひそめ、うなずくだけだった。
コツコツと塔の階段をアリス達は上っていく、少し振るえる足を誤魔化して、一歩ずつ昇っていく。真っ暗な闇の中で、ただバーバ・ヤーガの手が温かかった。
僅かに塔の外から、祭りの音が聞こえてくる。そして、アリスは、少しだけほっとした。
階段を上りきると、部屋に着いた、それはアリスが一度も入った事のない場所だった。部屋の中には濃密な魔力がこもっている、そして、足下には大きな力が、結界の力が張り巡らされていた。
彼女はすぐに直感した、それが結界修復のための魔方陣であることを。そして、自分が何をすれば良いのかを、分かってしまった。
滅多に使うことはないが、アリスは魔法が得意だった、それも特に結界を作る魔法が。ギーやシビーユは、その事を知ると、それいらい悲しい声でアリスに語りかける事が多くなった。
最初は、その理由が分からなかった、自覚したのは三年ほど前だったのだから。最初は泣いた、沢山泣いて、喚いては、死にたくないと叫んだ。
だが時が経つにつれ、その悲しみも薄れていった……。
ある日、アリスは姉に頼んだ、城の外に出てみたいと。今まで殆ど城から出たことがなかったアリスだったが、いつしか、その興味は向いていた。
知りたかったのかもしれない、自分が守らなければならない人達は、どんな事をして、どんなふうに暮らしているのか。見ることは出来ないが、少しでも感じてみたかったのだ。
自分が犠牲になることで、誰が救われるのか、自分の犠牲に、どんな意味があるのか。
「アリス嬢ちゃん? どうしたんだい?」
ふとかけられたバーバ・ヤーガの声に、アリスは我に返った。
「あっ、バーバ、すみません。 少しだけ、考え事をしていました」
「少し休むかい?」
「だっ、大丈夫です、大丈夫ですよ。 それでは、始めましょうか」
「そうかい、分かったよ。 なら、魔方陣の中央に立っておくれ」
そう促されて、アリスは部屋の中央に向かっていった。
魔方陣の中央に立つと、とても温かく優しい、目には見えなくても、そんな光にアリスは包まれているようだった。
「いいかい、それじゃあ一回だけ深呼吸をしな」
そう言われて、アリスは胸を大きく膨らます。
「力よ、彼の地に集え、綻びよ、その姿を正せ……」
先ほどまでアリスが感じていた温かい光は、ぐっと密度を増すように重く感じられた。
「我らが国を、我らが大地を守る結界よ、今一度その姿を作り直せ」
アリスは強まる力を、その身に一身に受けると、周囲に暴れ出した魔力を魔方陣に納め様と力を込める。
「かの者を依り代とし、今ここに、聖女の大結界よ、完成せん」
その瞬間、大きな力がアリスを通っていく、それは止めようも無く、拒みようもない大きな力だった。そして、自分を中心に魔方陣へ広がっていくのを感じる。
そして、その魔力の流れと同時に、自分の命も一緒に魔方陣へ流れ出していく。少しずつ、少しずつ命が削り取られていく。
膨大な魔力を結界の修復に使うため、今までは減衰していく結界の力を戻す程度のことしか出来なかった。それは、依り代が保たないからであった。
だが、不運にもアリスは結界魔法、そして大結界との親和性が高かった。そのため、結界へ流し込める魔力の量が多かったのだ、その身を犠牲にすれば、それこそ結界を修復できる程に。
何百年と結界を直すために塔に蓄えられていた魔力が、止めどなく流れ込んでくる。
「はぁ……。 はぁ……。 はぁ……」
アリスは息を荒くして、苦しそうに胸を押さえると、そのまま床に座り込んでしまった。いったい、どれだけの時間がかかるのだろうか、少しずつ、少しずつ、体に力が入らなくなっていく。
そして気がつくと、バーバ・ヤーガの気配が消えていた、彼女は部屋を出て行ったのだろう。
しばらくすると、塔の外から大きな音が聞こえ、振動が床に伝わる。何が起きているのか、ここにいるアリスには分からない。
少しずつ、少しずつ、意識が薄れていく。自分がここで何をしているのか、何をしていたのか、分からなくなっていく。自分は、誰だろうか、それすらも薄れていく……。
しばらくすると、コツン、コツンと音が聞こえてきた。誰かの足音だった、誰かの……。
何故、足音が聞こえてくるのか、その足音は止まったり、聞こえたり、とても不安定だった……。
そして、その足音は部屋の扉の前で止まった。
そして、ゆっくりと扉が開くと、声が聞こえてくる。
「遅くなったな、アリス。 忘れ物、届に来たよ」
その声の方へ、アリスは顔を上げた。
何故か、さっきまでの胸の苦しさが少し和らいだ様だった。
そして、悲しくないはずなのに、アリスは気がつくと涙を流していた。
一瞬、彼女は困惑したが。
アリスの口元は緩み、微笑んでしまうのだった。




