【2】さよならとただいま
「さてと、帰るか……」
ユウはそう言って一度体を伸ばすと、おもむろに立ち上がった。あの事件から一ヶ月は経っただろうか、ここ最近は本当に騒がしい毎日を送っていた。
レックスとはよく話す様になり、時々横からツッコミを入れるシンイに笑わされている。
エドワードからも四六時中ちょっかいを受ける様になり、あれから何回か手合わせをしているが、その度に強くなっていく彼の才能に驚かされている。
もし師匠が生きていれば、喜んで手合わせしていただろうか、また違った結末もあったかもしれない……。
また、あれ以来ロキから怒られる回数も減ってきている、それに孤児院の子供達も倒れたユウを心配して、以前よりもお手伝いを積極的にする様になっていた。
事件の後、数日は騎士達の質問に付き合わされたが、特に疑われることもなく解放された。自分は病気で寝込んでいたので、何も見ていない、何も聞いていないと、その説明を数回するだけだった。
いくらかは怪しんでいるとは思ってはいるが、今は組合の灰色とユウが同一人物だという疑惑には至っていないのだろう。
やはり、時々つけられている気配はするが、騎士達が何か行動を起こす兆候はなかった。
それとは逆に、灰色として組合に顔を出した時の方が問題だったのだ。
なぜ一人で悪魔と戦ったのか、どうして騎士団に報告しなかったのかと、あの白髪交じりの男に問い詰められた。
そこで、女が怪しい事には気がついたが、上手く説明が出来ず、説得に時間がかかると思案したこと。学生や騎士、そして最悪は病院や患者達も危険にさらされる可能性があったと伝えた。
王国に着いて悪魔の動向を探り、すぐさま王国の騎士に伝えようと考えていたが、事態は急を要する場面であったため、そのまま戦いになったと説明した。
それから、白髪交じりの男がキースと言う名前だと初めて知った。彼は今にも斬りかかってくるかと思われる程に激高していたが、周りに居合わせた他の色付きに止められて事なきを得たのだった。
トリニティー達を言い訳にしたのは心苦しかったが、それだけ、白髪交じりの男の追及は激しかった。最後には報奨金を受け取らずに出て来ざるを得なかった程に。
どこまでが本気で、どこまでが演技なのか、ユウには判断がつかなかった。だが、祭りを、王都の結界祭について酷く気にしている様だった。
そこから、今日に至るまで組合には顔を出してはいない。ほとぼりが冷めるまでは、距離を置こうと決めている。
しかし、王都の大結界を張り直すと言われているが、どれ程の大事なのだろうか。数少ない王国の魔術師達をかき集めて行われるそうだが、国民は至って普通のお祭り気分である。
今度、ロキにでも聞いてみよう。そう思いながら、ユウは騎士学校を出たのだった。
いつもの帰り道を歩き、夕食の材料を買い、そして孤児院に帰っていくのだが。今日はその前に病院に足が向かっていた。
ユウはある病室の前で立ち止まると、一瞬だけ緊張した表情を浮かべ、そして無理に笑顔を作ると病室に入っていくのだった。
「こんにちは、トリニティー! 調子はどう?」
そう病室のベッドに寝ている老人に話しかける。
「おぉ、ゆうじゃないか。 きょうもきてくれたのかぁ」
「何言ってるんだよ、トリニティー。 当たり前だろう」
話かけたユウの方を、トリニティーは顔だけ向けて会話を始める。あの夜以来、彼の調子は悪くなっていく一方だった。
段々と立ち上がれなっていくトリニティーを見て、ユウは何度も力を使おうとしたが、その度に強く断られる。もうユウから提案出来なくなるほどに、その時だけは、トリニティーは毎回怒るのだ。
だが、それでも、ユウには見ていられなかった。それ程までに、彼の姿は弱々しく、あの夜の戦いが嘘だったかの様に思えた。
そんな中、思い詰めた表情をするユウを見て、トリニティーはベッドから右手を出すと、こう言ってきたのだった。
「なぁ、ゆう。 これを、もっててくれないかぁ……」
「これって、なに? 腕輪か何か?」
「あぁ、そうだ」
「どうすれば良いんだ、トリニティー? いつまで持っていれば……」
そうユウは言いかけて、トリニティーの言葉が遮る。
「ずっとだよ、ゆう」
その言葉に、ユウは驚いた表情を浮かべ、酷くやるせなく答えるのだった。
「なっ、何言ってるんだよトリニティー、ずっとって、おかしいだろう」
「おかしくはないさぁ……」
「おかしいだろう、トリニティー。 俺は、俺はあんたに感謝してるんだ! だから!」
「ゆう、わたしもおなじだよ……。 だけどなぁ、あやまらないといけないなぁ……」
「いいんだよ! そんな昔の事!」
そう狼狽えるユウの手に、トリニティーはそっと腕輪を手渡す。
金色の細い金属で出来たそれには、細かな文字が刻まれている。手に持つとほんのりと温かく、それはトリニティーの体温か、それとも別の何かなのか、ユウには分からなかった。
「それはなぁ……。 むかし、わたしの、つまがくれたものなんだぁ」
「そんな、そんな大事な物、受け取れる訳が……」
「だいじだからなぁ……。 ゆうに、もっててほしいんだぁ」
「トリニティー! トリニティーは奇跡を信じるだろ?」
そうユウは、泣きながら叫ぶ。だが、トリニティーはじっと真っ直ぐユウの目を見つめ、そして少しゆっくりと首を振る。
「トリニティー!」
「そのうでわならなぁ……。 すこしは、ゆうのちからになってくれるとおもうんだぁ」
「良いんだよ、そんな、そんなこと……」
横になったままのトリニティーは、一度大きく深呼吸をすると、そして、こう続けるのだった……。
「ゆう、ゆうはゆうだぁ……。 きみは、きみを、みうしなうな……。 わたしのように、なってはいけない……」
ユウはただ、涙を堪える様に口を結ぶと、そのトリニティーの言葉を聞いている。
「ありがとう、ゆうぅ……。 この、じんせいのさいごに、わたしに、きせきを、おこしてくれて……」
「あぁ……。 トリニティー、こちらこだよ。 ありがとう、俺もトリニティーに救われた」
「はっ、はっ、は……。 それは、なによりだよ、ゆうぅ。」
「これは、これは大事にするよ、トリニティー」
ユウは手を震わせながら、右手に腕輪をはめる。その細い腕輪からは、柔らかく優しい温かさが伝わってくるのだった。
「それじゃあぁ~。 それじゃあなぁ~、ゆうぅ……」
トリニティーは、そう言ってゆっくりと眠りに落ちていった。そして、それからユウはどんなに話しかけたが、彼が目覚めることはなかった。ただ、スヤスヤと穏やかに眠っているだけだった。
そして、その日の夜、トリニティーは息を引き取った。
そして、彼の最後の顔は、とても穏やかで、安らかなものだった。
教会と病院をマザー・クラリスたちが慌ただしく行き来していた。ユウはすっかり直った教会のベンチに一人腰掛けていたが、そんなユウを見て、誰も声はかけられなかった。
教会の中は、まるであの日の様に蝋燭の灯りが揺らめいていた。その灯りを、ユウはただ黙って見つめている。
そして、しばらくすると、ユウは立ち上がり、教壇に向かって歩いて行った。教壇の前には棺桶が置かれている、その中ではトリニティーが安らかに眠っていた。
次の瞬間には、おはようと起きてくるかもしれない、ユウはそう思った。
そんな奇跡が起こるかもしれない。
だが、知っていた。
どんなに願っても、どんなに祈っても、そんな奇跡は起こせない。
それは、ユウ自身が知っている。
そんな奇跡は起こらない。
それが、この悪魔の後悔なのだから。
そして、ユウは堪らずに駆け出していた。
心配そうに声をかけたロキの制止を振り切って、そのまま、彼は王国の城壁を越えて行った。
誰かに見られただろうか、そんな事を考える余裕も無かった。
ただ、走っていた、何も考えずに、何も考えないように。逃げ出したかったのだ、ただ、それだけだった。
少しずつ、夜が明けてくると、ユウの息も切れていた。
大きな街道の中心に、そのまま大の字に寝そべると、ユウはただ黙って泣いた。
泣いて、泣いて、泣き止むと、ユウは起き上がった。
どんなに願っても、どんなに泣いても、どんなに叫んでも……。
すでに終わった事を後で悔やんでも、取り返しはつかない……。
そして、ユウは一人もと来た道をトボトボと歩いて帰った。
ユウが孤児院に着く頃には、もう夜がすっかり明けていた。そして、孤児院の中に入っていくと、食堂にはロキが一人で起きて待っていたのだった。
そして、彼はユウを見つめると、優しく笑ってこう言った。
「おかえり。 そうだ紅茶でも煎れようか、ユウ好きだったでしょ?」
そして、ユウはこう答えた。
「あぁ、ただいま。 それじゃあ、頼むよ」




