【1】束の間の平穏
その早く起きた朝、ユウは着慣れた紺色の制服に身を包むと、その姿のまま食堂で朝ご飯の支度をしていた。すると、後ろから誰かが近づいてくる足音がパタパタと聞こえてくるのだった。
「ユウ! いつ起きたの!? もう体は大丈夫なの?」
「あぁ、大丈夫だ。 あんまり寝ていると体が鈍るし、それに朝の支度があるからな」
「いいよ、僕がやるよ。 これでも多少は料理出来るんだから」
「あぁ、でも。 ロキは……。 焦がすのが専門だろ?」
ユウは振り向いてロキを一瞬見つめると、そう伝えたのだが。
「ユウ……。 朝から良い度胸だね……。 って、ははははは、なんか前にもこんな事あったよね」
そう言うユウの後ろで、ロキはお腹を抱えながら笑っている。
「そうだな……。 そう言えば、あの後どうなったんだ?」
「うん、なんとか騎士達は誤魔化せたと思う……。 まだ数人の騎士が教会で見張りをしてるけど、尋問って言うか、そういうのは昨日で大体終わったと思う。 ユウの事は病気で寝ているって誤魔化したけど、もしかしたら、ユウも何か聞かれるかもしれない……」
「そっか、それで、俺は何日寝てたんだ?」
「今日は、倒れてから三日目の朝だよ。 本当にマザー・クラリスのミーたちも凄く心配したんだから」
「それは、その……。 すまない」
「何てね、そんなこと良いんだよ、ユウが元気になったんなら。 そう言えばさぁ、アリスって誰なの?」
「はっ?」
唐突なロキの質問に、ユウは完全に呆気にとられた。思わず手に持っていたフライパンを床に落としそうになるほどに。
「ロキ、お前なんでアリスの事を知ってるんだ?」
「えぇ、ユウは倒れる直前に言ってたんだよ、アリスってさ」
ロキはニヤニヤとしながら、そう、ユウをからかうように言ったのだった。
「あれ? もしかして、本当に愛しの君なのかい?」
殴りたい、そう思わせるほどにロキの顔はニヤついている。そんなロキに対して、ユウはぶっきらぼうに、こう言うのだった。
「違う、ただの用務員だ」
そういうユウを見て、ロキはさらにニヤついて笑っていた。
朝からそんな冗談を交わしながら、食事の支度を終えたユウは、いそいそと食事をテーブルに運び始めたのだった。いつもの様に、質素なスープと軽く炙ったパンを並べ終わると、良い香りに誘われて子供たちが起き初めて来る。
そんな様子をユウは眺めつつも、一息ため息をついて部屋へ戻っていこうとする。
「あれ、ユウの朝ご飯は? また食べないの?」
「今朝は食べないよ、あまりお腹も減ってないし」
「本当に大丈夫なの?」
「あぁ、言っただろ、そう言う体質だって。 そう言えば、トリニティーはどうしてる?」
そうユウは質問をすると、ロキは少し悲しそうな顔で答えるのだった。
「あれからトリニティーはよくなくて、ずっと寝てるよ。 でも、きっとユウの顔を見たら元気になるって!」
「そうか……」
悲しそうな表情を浮かべるロキを尻目に、ユウはそう言い残して部屋に戻る。そして部屋の中の机の脇、置いてあった小さな布の鞄を手に取ると、ため息をまたついて部屋を出て行くのだった。
そして、孤児院を出て行こうとするユウを、またロキが後ろから声をかけてきたのだった。
「ユウ! 今日も遅刻なの?」
「そうかもな」
「アリスさんに会うから?」
「うるさい!」
そう言って、ユウはまたため息をつくと、入り口の扉を開けて出て行く。騎士学校への道のりは、いつもと変わらないはずなのに、今日は少し軽かったとユウ自身そう感じるのだった。
十分ほど歩いて行くと商店街が見えてくるのだが、まだ朝は早く、商店街の店員たちが開店の準備をしている。いつも買い物をする肉屋のおばちゃんも、今日も、せっせと店の前を箒で掃除していたのだったが、ユウを見かけると声をかけてきたのだった。
「あら、ユウちゃんおはよう! 何か病院であったんでしょう、大丈夫だった?」
「おはよう、おばちゃん。 あぁ、まぁ、その大丈夫だよ」
そう聞いた肉屋のおばちゃんは、心配そうな顔をしてユウを見つめると、こう言った。
「ユウちゃん、本当に無理をしてはダメよ!」
「大丈夫だよ、本当に」
「まったく、ユウちゃんは。 もっと自分を大切にしないとダメよ!」
「ありがとう、おばちゃん。 そうだ、今日は帰りに買い物に来るからさ」
「本当に、あなたの親友は、いつも無理をしますね……」
ユウは笑顔を浮かべて返事をしたが、おばちゃんは別れ際にそう小さくつぶやいたのだったが。その声はユウには届いてはいなかった。
ユウは大きな病院の横を通り過ぎ、その先に組合が見えてきた。さすがに、悪魔を討伐した後で灰色として顔を出さない訳にもいかないだろう、そう思いながらも、その足は騎士学校に向いていた。
そうして商店街を抜けると、大通りの石畳に突き当たった……。
もう騎士学校が見えている、このまま行ってもアリスが来るにはまだ早い時間だろうか。ユウは少し肩をすくめると、また歩き始めるのだった。
騎士学校の門をくぐり抜けると、石とレンガでくみ上げられた大きな、立派な建物が目の前に立ちはだかる。そんな事には気にも止めずに、またいつもの様に校舎裏に回っていった。
そして、校舎の裏庭にある、ベンチを見つける。
さてと、アリスが来るまで狸寝入りでもしているか、そう考えていたユウは、不意打ちの様な衝撃を後ろから受けた。
気がつけなかった死角からの一撃に、ユウはため息をついた。そうして、ユウの背中には温かく、柔らかい感触が伝わってくる。
「ぐすっ、すん、すん」
何か鼻をすする様な、泣いている様な声が聞こえる。
「おい、どうしたんだ? おい、そこの泣き虫な用務員さん」
「ぐすっ、ちが、違います……。 ぐすっ、アリスです、わっ、私の名前はアリスです」
そう言うアリスは、ユウの背中にしがみついて離れようとしない。
「おい、暑いぞ、それに……」
「約束、約束しました……。 ぐすっ、嵐が過ぎ去ったら、また会えるって」
「悪かったよ、ちょっと体調を崩して寝込んでたんだ」
「ぐすっ、寝込んでったって、大丈夫なんですか?」
「あぁ、もう大丈夫だ」
少しずつ泣き声が収まっていく、どうも、アリスも多少は落ち着いてきた様だ。
「それに……」
「それに?」
「さっき、何か言いかけました」
「あぁ、それはな……」
「ぐすっ、何ですか?」
「いや、その、お前の胸が背中に当たってるって……」
そうユウが言った途端、バッとアリスが勢いよく離れた。
ユウは恐る恐る、後ろを振り向くと、そこには顔を真っ赤にしながら、目に涙を浮かべたアリスがいた。両手を胸の前で交差させ、ワナワナと震えながら、こちらを向いている。
「もう、もう知りません、嫌いです!」
アリスはそう大きな声で叫ぶと、そのまま勢いよく走り出そうとし、そして躓いたのだが。ユウは、そんなアリスを抱きとめたのだった。
その勢いで、アリスの頭から麦わら帽子がハラりと落ちていく。それをユウは見つめ、そうして、こう言った。
「前にもこんな事あったよな」
そのユウの言葉に、アリスは少し間をあけてから、こう小さくつぶやいた。
「はい……。 ありがとうございます」
抱きとめたアリスは、とても柔らかくて、そして少し懐かしい、甘い香りがした。それから、少しだけ彼女はユウに体重を預けると、二人はそのまま会話もせず、そうしているのだった。
「もう、大丈夫ですから」
しばらく時間が経つと、アリスはそう言ってユウから離れていった。すこし名残惜しい気もしたが、ユウはアリスを見つめると、そして今日もこう切り出すのだ。
「それで、アリスさん。 今日は、この私に何のご用ですか?」
だが、いつもとは違い、今日のアリスはとてもしおらしい。
「今日は、今日は、二人でのんびししませんか?」
そう少し微笑んで、ユウに顔を向けたのだった。
いくらか時間が経っただろうか、二人はいつものベンチに腰掛けていたが、なにぶん会話が続かない。それに、いつもは近すぎる距離まで迫ってくるアリスが、ユウから少し離れて座っていたのだった。
まだアリスの顔が赤かったが、それが照れているのか、暑いからなのかユウには分からない。ただ、彼女のうなじを流れていく汗が、とても扇情的ではあった。
もう一限目の授業は始まっている、今日も教室に戻ればロキに怒られ、いや今日は冷やかされるのだろうか。そう思いながら、ユウは悪い気はしていなかった。
だがそうしていると、肩にコツンと重さを感じるのだった。
「おい、アリス?」
そう言いかけたユウが隣を見ると、その重さはズルっと落ちていき、膝の上に収まっていった。アリスはスヤスヤと寝息を立てながら、そのままユウの膝を占拠してしまっていた。
そんなアリスを見て、ユウはこうつぶやいた。
「普通、こう言うのって男女逆だと思うけどな……」
そんな事を言いながらも、ユウはズレてしまった麦わら帽子を少し動かして、アリスの顔に日光が当たらないようにすると。そのまま自分も目をつむり、少し眠りに落ちていくのだった。
どれだけ時間が経ったのか、遠くからキーン・コーンと鐘の音が聞こえてくる。そして、膝の上に感じていた重みが、ゆっくりと軽くなった。
ユウが目を開けると、アリスはもう立っていて、そして彼女は振り返らずにこう言うのだった。
「その、今日は、すみませんでした……」
「あぁ、気にしてない」
「寝込んでたって、本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ」
「なら、また明日会えますか?」
「あぁ、会えるよ」
「ありがとうございます」
アリスは最後にそう言って、そのまま立ち去って行った……。
ユウはアリスを見送った後、ふぅとため息をついて立ち上がった。どうやら、ちょうど一限目と二限目の間だった様だ、また休み時間には廊下に生徒達が溢れ、思い思いに会話を弾ませている。
「なぁ、なぁ、もう少しで結界祭だぞ、本当にお前は誰を誘って行くんだ?」
「お前なぁ、前にも言ったけど国の一大行事なんだぞ」
「知ってるよ、でも、俺は! 俺は彼女が欲しいんだあぁぁっぁぁ!」
ふっと、ユウは少し笑ってしまった。
「あぁ、今日のエドワード様も格好いいわっ!」
「本当に格好いいよね、エドワード様って!」
「何言ってるのよ! 私はレックス様だわ、遠征では大変だったみたいだけど、でも前よりも一段と男らしくなった気がするの!」
「まったく、ロキくんよ! 彼にスカートを履かせて……」
こんなこと、ロキが聞いたら卒倒するだろうな。
「大通りに出来たケーキ屋ね、凄く美味しかったの、今度一緒に行こうよ!」
「はぁ、早く冬にならないかなぁ。 俺も剣闘大会に出てぇ!」
そんな生徒達の喧噪を抜け、ユウは教室の前に着くと、またガラガラとドアを開けて教室の中に入っていく。そして、今日はニヤつくロキの視線が目に入ったのだった。
「ユウ! 何か嬉しそうだね」
「うるさいぞ、ロキ」
「まったく……。 毎朝毎朝、問い詰められる僕を差し置いて……」
「あぁ、それは本当にすまないと想ってるよ」
そして、いつもの如く現れたのは金髪だった。
「ロキ、そいつに何言っても分かんねぇよ。これだがら、平民様の脳みそ……」
「ユウ、お前もう大丈夫なのか?」
そうレックスがユウを心配そうに見つめながら、横から入ってきた。
「あぁ、まぁ、いつも通りだよ」
「そう、良かった……」
すると、隣で一言シンイがつぶやく。そんな自然なやり取りを目の当たりにして、教室に居た全員が唖然として四人を見つめていたのだが……。
さらに今日は、この教室に珍入者が現れるのだった。
「ユウ君! ユウ君はいるかい! 僕だよエドワードだよ、君のエドワードだ! さぁ、今日も僕たちの剣で語り合おうではないかっ!」
教室の後ろの扉を開けて、駆け込んできたエドワードはユウの手を握りしめて、そう語るのだった。そして、その言葉に教室の女子たちが黄色い悲鳴を上げる!
「おい、誰かこいつを止めろ!」
たちまち、ユウは周りに助けを求めるが。そんな二人を、ロキも、レックスも、シンイも、生暖かい目で見つめるだけだった。
そうしていると、ロキが笑いを我慢できずに、こう言った。
「まったく、いつの間にか賑やかになっちゃったよね」
「おい、ふざけるなよ。 離れろエドワード、俺の手を握るなあぁ!」
そんな茶番が繰り広げられる中、あの金髪は口をパクパクとさせながら、唖然とした表情でエドワードを見つめていた。そして、収集がつかなくなった教室は、いつも以上に賑やかになっていく。
そして、その喧噪は、マクベスが教室に入って来るまで続けられたのだった。




