【終章】屋上の焦燥
王都リジニャンに来て一ヶ月は経っただろうか、今日もユウは孤児院の仕事をしながら思い返していた。元々はあまり人の名前を覚えるのが苦手であったが、ようやく人の顔と名前が一致し始めてきた。
クラカタ病院と孤児院の責任者であるロキ・クラカタは女の子みたいな可愛い顔をしているが、れっきとした男であり、初対面では驚いてしまい名前はすぐに覚えた。
両親は自身の領地で大きな病院を経営しており、また各地方でもいくつか経営しているとの事。この王都の病院と孤児院は祖先から引き継がれているものらしく、子息を修行に出す事が先祖代々の習わしだそうだ。
それから、来年にはロキが騎士学校へ通うと言う。貴族の子息や息女たちは十六歳になると通うようになるそうだ。そういえば、自分も来年には十六歳くらいにはなるなと、うろ覚えな記憶を思い出していた。
そして、孤児院の院長であるマザー・クラリス。この国では、こうした職業の人の名前にマザーと付けるらしい。またマザー・クラリスは、元々は聖職者でもあったとの事で、たまに病院と孤児院の間にある小さな教会でミサなどを行っている。
マザー・クラリスは病院の先生たちとも会議をしており、実質的な責任者であると思われた。年齢は不明だが、まさしく名前の如く皆の母親の様であった。
孤児院の子供たちとは最初に会った時は酷く警戒されてしまい、すぐに懐いてはくれなかった。最近ではミーと呼ばれる女の子が、よく話しかけてくれるようになって来たが、まだまだ仲良くはなれていない感じを受ける。
だが、毎日ご飯を作っている間に、少しずつではあるが皆が美味しいと言うようになった。掃除や洗濯もたまに女の子たちが手伝ってくれる様にもなっていたが、まだぎこちない。もう少し、馴染むには時間がかかるのだろう。
どうにも、前任者が色々と問題があった人だったらしい。詳しくは知らないが、子供たちが初対面の人に警戒をするのも、それが原因であったと思われる。
さてそれはそうと、今日から病院でも働くことになったのだ。そう思いながら、ユウの足は孤児院を出て病院に向かっていた。
「こんにちは、隣の孤児院でお世話になっていますユウと言います。 本日から、こちらの病院でも働く事になりました、よろしくお願いいたします」
そう一言紹介を済ませると、まずは看護師長の女性が声をかけた。
「はい、よろしくお願いします。 それで、ユウ君?で良かったかな、まずは院内の掃除をお願いしたいのだけど良いかしら?」
彼女はエリーと言う、ぱっと見て二十代前半と思われる外見に対して、実際は四十歳近いと後から聞いて驚いた。そんな彼女から掃除用具の場所と、掃除する場所を簡単に教えられると、そのまま作業に向かっていた。
一階は昼間の診療所があり、医師が数名控えている、また奥には手術室もあった。基本的には内科を主としており、薬を出すこともあれば、回復魔法を使った治療も行うという、さずがに世界が違うのだ。
そうして、ユウは一階の廊下を掃除すると、次に階段を上り二階に向かった。
二階以上は入院している患者の病室であった、ここでは、老若男女様々な人たちが入院している。療養を含め長期で入院している人たちが大半であり、長期的に魔法治療を続けているそうだ。また年老いた人たちが、最後の瞬間を迎えるために入院しているとの話である。
そう看護師長のエリーに、一番最初に聞かされていた。もし何か話しかけられたら、仕事の合間にでも、出来るだけ会話をして欲しいと伝えられていたのだ。
ユウが二階、三階と掃除を続けていると、ふと妙な視線が気になった。振り向くと、一人の老人がこちらを見つめている。だが、その瞳には明らかな怒りや憎しみが込められているようであった。
何か気に障る事でもしたのだろうか、だが気がついた途端に、その老人は戻っていってしまったのだ。ユウは、あとでエリーに聞いてみようと思いながらも、そのまま掃除を続けた。
掃除が終わると、エリーは屋上に干してあるシーツを回収してきて欲しいと頼まれたのだった。ユウは二つ返事で了解すると、そのまま階段を上って屋上に向かった。
屋上の扉を開けると、強い日差しに照らされてユウはうっと顔をしかめる。このところ、だいぶ暑くなってきたのだ、もう少しすると夏がやってくるのだろう。シーツが一面に干された屋上で、ふうと両手を腰について一息つくと、そのまま一枚ずつ回収を始めたのだった。
半分くらいは回収しただろうか、持ってきていたかごには沢山のシーツが綺麗に畳まれ、積まれている。さてと、このまま屋上にいたら干上がってしまうなと思いながら、また作業を続けていると、後ろで屋上の扉が開く音がした。
誰だろうか、そう振り返ると、ユウはそのまま床に倒されてしまったのだった。
「こっ、このぉ!」
ユウの目に飛び込んできたのは、鬼のような形相をした先ほどの老人であった。枯れた声で叫ぶ老人は、ギリギリとユウの首をそのしわくちゃの両手で締め上げる、それは老人とは思えない力であった。
「ころして、ころしてやる!」
ユウは思いがけない老人の言葉に一瞬取り乱したが、その両手を振りほどこうと手をかけた。
しかし……。
「あくま、あくまめ! ゆるっ、ゆるざない!」
悪魔、そう言われてユウは理解したのだった、この老人は自分の正体を知っていると。そう思うと、ユウは振りほどこうした手を止めて力なく老人を見つめ返した。
ユウは思ったのだった。もう良いのではないかと、これ以上生きても仕方がないと。王都に来て一ヶ月経った、今の暮らしは悪くはない、だがこれ以上周囲に偽って生きていくのも面倒くさいのだ。
どうせ、この人生はおまけみたいなモノだ、ここで終わっても、もう惜しくはない。そうして、ユウの意識は少しずつ薄れていくかに思えたのだが……。
「ぐっ、ごほっ……。 こんな、こんなところで……」
そう老人が咳き込むと、その両手は力なく離れた。そして、そのまま老人は倒れ込んでしまったのだった。そのまま苦しそうに胸を強く握りしめ、憎しみを込めた表情でユウを見つめている。
とっさの事に驚いたユウだったが、力なく倒れ込む老人を見つめると、隣に落ちていたシーツを一枚畳んでその上に老人を寝かせるのだった。
老人は次第に苦しむ様子を強めていく、そして、ユウは誰か助けを呼ぼうとして立ち上がったが。老人の手がユウの足を掴んだのだった。
「まっ、まて、にがさない、あくまめ」
そう憎しみを込めた声で、老人はうなりを上げる。そんな彼を見つめ、ユウは意を決した様に語りかけるのだった。
「なぁ、あんた奇跡は信じるか?」
「きっ、きせき……。 しんじるさぁ、ごほっ……。 このさいごで、あくまをあくまに、であったのだ」
苦しそうに咳き込みながら、老人は続ける。
「なら、何か望みはあるのか?」
「はっはっ、のぞみ? あるさ、あくまをころすんだ、いっぴきでも、ころすんだぁ」
「そうか、そりゃいいな。 叶うと良い、いや叶えてくれよ、ははは」
そうユウはつぶやいて、そして少し笑ったのだった。
「なんだ、きさまあっ」
「落ち着いてくれよ爺さん……。 もう大丈夫だ。 力よ、かの者に集え、その傷ついた魂に安らぎを、傷ついた肉体に癒やしを。 我が魂を代償に、今ここに一握りの奇跡を!」」
そうユウは唱えると、ゆっくりと老人の体が光に包まれていく。あっという間の出来事だった、その光がゆっくりと収束していくと、さっきまで苦しそうにもがいていた老人の表情は晴れ、落ち着きを取り戻していたのだった。
「そのまま少し寝てた方が良いよ、爺さん。 ちょっと待っててくれ、とりあえずシーツ取り込むから」
そう言ってユウは、再び作業を始める。その後ろ姿を彼は黙って見つめていたが、ゆっくりと体を起こすと、その場に座り込んでしまった。
「そういえば、よく分かったな爺さん。 俺が悪魔だって」
ユウは作業を続けながら、老人に話しかけた。そして、彼は力なくこう返す。
「おまえは、なにものなんだ?」
「何者って、悪魔だよ、人の姿をした悪魔だ。 と言っても、何がどう悪魔なのか説明が難しいけどな。 特別な力を使えるから? それとも記憶をもう一つ持っているから? どんな定義かは詳しくは知らないけどな」
「なら、わたしに、なにをした?」
「何をした?って、まぁ力を使っただけだよ、それが、おれの特別な力だ」
「わたしの、からだを、なおしたのか?」
「そこら辺もよく分からないけどな。 昔に知り合いが死にかけた時があって、その時、自分でも気がついたら出来るようになってたよ」
「なんだ、きせきって。 それに、おまえは、じぶんのいのちをつかうのか?」
「分からないよ、その言葉も頭の中に勝手に浮かんできたものだしな。 それに、実際どのくらい自分の命を削るのかは知らないよ。 使いすぎると、あと規模が大きいと体の力が抜けて意識がなくなるけど」
「どうして、わたしを、たすけた」
「いや、だって。 そう願っただろう?」
そう言ってユウは作業を終え、老人の振り返って答えたのだった。
「大丈夫か爺さん、とりあえず体は苦しくないだろう?」
老人はユウをみて、呆けたように見つめている。
「大丈夫そうだな、なら、俺を殺してくれ爺さん! もういいんだよ、あんたが望むなら、俺を殺して、その願いを叶えてくれ」
ユウは笑って、そう老人に語りかけた。その表情は、ユウ自身が気がつかない程に、とても歪で、とても悲しそうな笑顔だった……。
そんな笑顔を見つめながら、その老人は何かを理解した様に一瞬だけ顔を歪ませると、ゆっくりと話しを始めた。
「わたしのなまえは、とりにてぃーだ」
「そっか、トリニティー。 俺はユウって言うよ」
「わたしは、むかし、あるくにで、まじゅつしをしていた」
「そりゃ凄いな、俺は魔法が上手じゃないんだ、魔力がうまくまとめられなくてね」
「つまがいて、こどももひとり、へいわにくらしていた」
「奥さんと、子供が一人か、それがどうしてこんな所にいるんだ?」
「ころされたよ、あくまに」
「そっか……」
そうして、トリニティーは黙り込んでしまう。ユウは彼を見つめて少し心配そうな顔すると、再び話を始めるのだった。
「なぁ、トリニティー。 ここは暑いだろう、とりあえず室内に入ろうか。 それに、ここじゃまずい、どこか人目につかない所が良いだろう?」
「ひとめに? なぜだ?」
「そりゃあ、俺を殺すためだろ?」
「おまえは、こんなことを、つづけているのか?」
「あぁ、これが、たぶん俺の後悔なんだよ」
トリニティーはそれだけ聞くと、ゆっくりと立ち上がって屋上から出ていく。その様子を、ただユウは黙って見つめていた。
それからだった、ユウとトリニティーは屋上で話をするようになった。トリニティーはおぼつかない声で、自分の過去を色々と話すのだ、それをユウは黙って聞いていた。次第にトリニティーの口調は優しくなっていき、ついにはユウ自身の事を心配するようになっていった。
そしてある日、トリニティーは自分を殺したいのだろうと、ユウはそう聞いたのだが。
しかし、トリニティーは笑ってこう言うだけであった。
「私が憎んでいるのは悪魔だ、ユウ、君じゃないんだよ」
力を使ってトリニティーの病気を抑え込んだとは言え、彼も老いには勝てない。日に日に少しずつ弱っていく彼だったが、その時のトリニティーは、とても力強く、はっきりとした口調で、落ち着いた慈愛に満ちた様な優しい声であった。
そうして、世界が真っ白に染まっていく、ゆっくりとユウの意識はまた消えていく。
ふとユウが目を覚ますと、そこは物置小屋の部屋だった。
ついさっきまでトリニティーと初めて会った時を思い出していたのだろう、薄らと彼の目には涙が滲んでいた。
「まったく、本当に面倒くさい世界だよ……」
そうつぶやいたユウの言葉は、小さな部屋の中にただ消えていった。窓の外は真っ青な空が広がっており、夏が本格的にやって来たのだと、そう感じさせる青空であった。
ここまでが前半です。




