【6】嵐の前の静けさ
Rev.1
孤児院の窓の外、ゴーゴーと強い風が吹き荒れては、ガタガタと窓枠を揺らしていた。 組合からの依頼を受けてから一週間近く経ったが、あれから毎晩ユウは北の農村部に赴き調査を続けていた。
しかし、未だに悪魔の情報を一つも得られないでいた。
悪魔の眷属や魔獣も姿を現してはいない、新しい死者も確認されていないのだ。 まるで何かを待っているかのように、恐ろしくも、静かな日々が続いてた。
そして、ついに昨日から、騎士団の遠征が王都から出発して行った。 何か仕掛けて来るとすれば、恐らくは、今日明日の嵐の夜に乗じてだろうか。 ユウは窓の側に立って、そんな事を考えながら難しい顔をしていた。
すると、ロキが話しかけてくるのだった。
「今朝からどうしたの? そんな難しい顔して、まさか愛しの君にフラれたとか?」
ニヤニヤと意地の悪そうに笑うロキを見て、ユウは反論する。
「何だよ、愛しの君って」
「だって、毎朝出かけていくユウは、いつも楽しそうじゃないか」
それは心外であると、ユウは思ったのだが。 彼はロキの表情を見返して、それが今一すぐれない事に気が付いた。 確かに、昨日はアリスが残念そうな顔をして、嵐が来るので雨の間はここに来られないと伝えてきたのだ。 そのため、週末は珍しく朝の孤児院に居たのだが、それをロキがからかったはずだった。
「それに最近は、この一週間は遅くまで出歩いて、夜遊びでもしてたんだろ! それともユウ、君は人に言えない様な事でもしてるのか?」
そう言うロキの口元は、何故か泣きそうな様に震え、そして酷く引きつっている。
「そんなんじゃ! ユウを好きになるんだから、きっと優しい人なんだろうけど……。 あんまり勝手にしていると、いつかは愛想尽かされるぞ!」
「違うって、そういうのじゃない!」
「なら、なんなんだよ!」
急にロキは泣きそうな声を上げると、そして、涙を堪えて真剣な表情でユウを見つめた。 エドワードとの一件以来、ロキの態度が明らかに変わってしまった、いや騎士学校の誰もがそうであった。
ただの平民が、天才と名高いエドワードを剣技で圧倒した。 出自も不明な男の正体は、いったい何者なのか、疑惑の目がユウに向けられていたのだった。
「お前、言ってることがメチャクチャだぞ……」
ユウは酷く寂しそうな顔をして、ロキから目を背けた。 そして力なく、続けてこう言うのだった。
「マザー・クラリスには伝えているが、今日から少し遠出する。 週明けまでには必ず戻るから、それまでは頼むよ」
「ユウ、君は……。 なんで何も言わないんだよ、僕たち友達じゃないのかよ」
「すまない……」
そのまま、ユウはロキと顔を合わせることも無く、そのまま物置部屋へ戻っていった。 ただ沈痛な面持ちで立っているロキは、これ以上はユウに声をかけることが出来なかった。
「ユウ、どうして、君は……」
ロキは悔しそうに拳を握り、ユウの後ろ姿を見送るしかなかった。
「はぁ……。 少し落ち着け」
物置部屋に入ったユウは自分にそう言い聞かせると、少し胸に支えたモヤモヤを感じながら、出発の準備を進めていった。 小さな布のバッグに小さな水筒、袋に入れた携帯食、数枚の布、少々の銀貨を詰めた。 そして、いつもの灰色のローブと真っ白な仮面を身につけると、誰にも見られず、そのまま静かに孤児院の窓から出て行くのだった。
ユウは迷いを振り切る様に、そのまま城壁の門まで駆け抜けた。 屋根から急に飛び降りたユウに、門番は一度は酷く慌てたが、通行書を見せるといつもの様に問題もなく通された。
パラパラと雨が少しずつ降り始めた街道を、ユウは一人とぼとぼと歩いて行く。 この調子で行けば、日が落ちる前には演習先の村に着く予定であった。
ロキの顔を思い出しながら、酷く重い気持ちで歩いて行く。 まるで、今日の天気の様にどんよりとした雲がユウの心に深くかかっている様だった。
次第に強くなっていく雨足が、ユウの足取りを一段と重くしていく。 そして、どれくらい歩いたのだろうか、気がつくと周囲の景色に畑が広がっていた。
いつもは気にもせず、影に紛れて走り抜けていたのだったが、今日はその景色に目がとまった。 吹き荒れる風と大粒の雨に負けじと、その小麦畑は懸命に踏ん張っていた。 ただ、仮面に空いた小さな目抜き穴から、その景色をユウは黙って見つめていた。
さらに雨音が増していく中、ユウは歩き続けた。 そして、もうすぐ村に着く所までユウは歩いて来ていた。 さて向こうに着いたら雨を避けて、どこかで少し休ませてもらえないだろうか、そう考えていた。
だが、そんな僅かな逡巡は、獣の怒号にかき消された。
街道の泥道、その遙か先に小さな村が見えた。 だが、その村の周囲に立てられた木製の柵、そこに大きな狼が群がっていた。
それを見つけたユウは、すぐさま急いで、その泥道を駆け駆け抜けていくのだった。
「くそっ、完全に日が落ちきっていれば。 来い、黒双!」
ドーン、ドーンと木製の柵に大きな塊が打ち付けられる音している、それが村の中に響き渡っているのだ。 さらに、その向こうからは獰猛な獣の声が、怒号の様に飛び交っていた。 そんな混乱した村の中で、隊長格の男が一人気を吐いて、雨音に負けじと叫んでいた。
「第一班、二班は武器を構えろ、三班は後方から結界を柵に向かって展開しろ、少しでも時間を稼ぐんだ! 四班は村人の避難を優先、村長宅を中心に守備を固めろ!」
「はい!」
「力よ、守れ盾よ、阻め我らの敵を!」
数名の騎士達が両手を広げて結界を張るのだが、どうにも力が不足していた。
「くっ、ゼール隊長、ダメです! もう押し切られます!」
ミシっと柵が大きく鳴ると、そのまま背丈が人の二倍はあろうかという狼がなだれ込んでくる。 大雨で視界の悪い中、それでも隊長は大声を張り上げる。
「目視確認! 敵の数を把握して、陣形を取れ!」
「大型の狼が四体! 各班で二体ずつ抑えます!」
「三班、引き続き索敵しつつ、後方より支援用意!」
「迎え撃て!」
号令と共に、狼に向かって騎士達が切り込んでいった。 一班五名ずつ、大剣の騎士が前方から牽制し、長剣を持った騎士が回り込んで、その体を切りつけていく。 騎士達はギリギリまで前方から迫り、相手の注意を引きつけては、狼の前足をいなして接近していくのだ。
「くっ、体が重い……」
「雨で体温が奪われているのか、手に力が……」
「全員気を引き締めろ、援護用意……。 今!」
後方から弓で援護射撃をするが、大雨のためか思うように狙いが定まらない。 数名が目の前に杖をかざし、魔法で出来た光の球体を狼に向かって放っていく。 一体の顔に当たると、狼はたまらずに顔を下に背ける。
その隙をついて、一気に騎士達が斬りかかった。 一体の狼を倒すと、そのまま少しずつ騎士達は狼達を押し返していく。
「うおおおお、このクソ狼がああぁ!」
「凌げええぇ!」
「その調子だ、用心しつつ柵まで押し返せ!」
そう隊長が言った瞬間、壊された柵から、さらに四体の狼が飛び込んで来る。 瞬く間に距離を詰める狼は、最初に大剣を持った騎士達を吹き飛ばすと、さらに一班、二班の陣形を瓦解させていく。
「各自撤退を、一度村の中央まで戻る。 三班は応援の伝令を四班に走らせよ、他の者は牽制しつつ先に後退、一、二班は負傷した者から優先して下がれ」
隊長は後退していく騎士を背に、先の三体の狼を牽制しながら下がっていく。
しかし、後から入って来た狼が一気に隊長を交わして、逃げ遅れている騎士に襲いかかるのだった。
「後ろだ、避けろおおお!」
逃げ遅れた騎士は後ろを振り向くと、眼前に狼の鋭い爪が迫っていた。 そのまま切り裂かれると思った瞬間、狼の腕は音も無く地面に落ちていった。
泣き叫ぶ様な狼の遠吠えが辺りに響くと、他の狼達は一斉に騎士団から距離を取る。 そして、腕を切り落とされた狼の眼前には、灰色のローブを着た真っ白な仮面の男が立っていたのだった。
「応援だ、全員下がらせろ」
一瞬だけ止まっていた隊長は、慌てて後退の指示を出す。 そして、瞬く間に灰色の男の前にいた狼は頭を切り落とされていた。 ボトッと地面に生首が落ちると、他の狼達はその男に向かって怒りを込めて吠える。
だが灰色の男は気にも止めずに隊長に向かって歩いて行くと、一言だけ告げた。
「組合の灰色だ、状況は?」
「あぁ助かるよ。 農夫より大型の野獣を目撃した証言があり、先発隊は次の村へ。 我々はこの村の護衛に残っていた二十一名だ、村人は全員で五十三名、負傷者を含め奥の村長宅周辺まで避難している」
「ここは抑える、けが人を下がらせろ。 残った者は周辺の警戒に当たれ」
「待ってくれ、あなた一人で相手にするのか?」
「あぁ、それが仕事だ」
そう言うと、灰色の男は残りの狼に向かって走り出していく。 雨でぬかるんだ地面をものともせずに、一体に狙いを定めると真っ直ぐ突っ込んでいった。
受けて立つとばかりに、狼も大きな口を開けてかみ殺そうと迫る。 だが、狼の目前で灰色の影が消えたかと思うと、一瞬で側面に周り込み、逆手に持ち替えた真っ黒な双剣を振り抜いた。
そうして灰色の影は、あっという間に狼の胴体を切り裂いてしまうと、そのまま倒れた狼を足場にして空に飛び上がる。
片方の剣を振り返りもせずに勢い良く投げ付けながら、そのまま二体目の背に飛び乗り、一瞬で頭を切断してしまった。 一方、投げ付けた真っ黒な剣は三体目の狼の眉間に深く刺さっていた。 狼は、その巨体を痙攣させながら、為す術無く倒れていくのだった。
「こいつら固いな、本当に野獣か……」
その後ろでは、瞬く間に三体の狼を殺した灰色の、そのユウを見て隊長は愕然としていた。
「これが組合の色付きか……」
だが雨はより強く降り続け、どんどん視界が悪くなっていく。 ずぶ濡れのローブを重く引きずりながら、ユウは残り四体の狼を見据えた。
どうも先に倒した四体と比べて、さらに異なった雰囲気を漂わせている。体格は同じくらいだが毛並みはどす黒く変色しており、強く魔法の力、魔力を秘めている様だった。
今回の騎士団派遣は、そもそも野獣の討伐であったはずだ。
しかし、目の前のこれは、獣の身でありながら魔法すら行使出来る存在、魔獣ではないかと疑われる。 悪魔の仕業、先ほどから感じていた違和感に気がついた時、ユウは騎士団に向かって大声で叫んだ。
「全員早く距離を取れ。 こいつらは魔獣だ、フェンリルの可能性がある!」
「魔獣……」
隊長格の男を残し、慌てたように騎士達は距離を取る様に走って行く。 だが、すでに四体の狼、いやフェンリル達は大きな口を開けてユウに向かって吠えていた。 雨音をかき消す程の咆哮、さらに少しずつ周囲に広がっていく魔法の気配。 途端に、その咆哮と共に大きな四つの衝撃波がユウに襲いかかる。
「ハウリングか、戻れ黒双!」
ユウは先ほど投げ付けた片方の剣を、その一言で自分の手に取り戻したのだ。 さらに、目の前で十字を切って衝撃波を受け止めてしまった。 直撃し、破裂した衝撃波は辺りの家を吹き飛ばし、地面を大きく震わせる程の威力であった。
それでも反撃と言わんばかりに、巻き上げられた泥と土の中から、黒い影が一気に吹き出した。 すると、瞬く間に一匹のフェンリルにまとわりついていった。
その巻き付いた影の中から、ユウは飛び出した。 そのまま両手の剣を同時に振り抜き、切りつけていくのだが、ハウンドよりも圧倒的に大きい体を持つフェンリルは、その身に宿す魔力も大きいのだ。
簡単には致命傷は与えられないのだろうが、それでも、先ほどから感じる手応えが弱かった。
「犬の次は狼かよ、くそ何だ手応えがない……」
ユウは騎士団が村の奥に待避しのを確認して、四体のフェンリルに再度向き直す。 そして、少しずつ焦りをにじませていくのだった。 すると、隊長格の男が剣を握りしめながら、ユウに少しずつ近づき大声を上げた。
「おい組合の、あんたは体に力は入るか?」
急にかけられた声にユウは少し慌てたが、フェンリルに睨みをきかせながらも、振り向きもせずに答える。
「お前下がってろ……。 いや、すまない、明らかに手応えが弱いな」
「俺たちもそうだった、雨で体力が奪われたかと思ったが、少しおかしい」
「何かの魔法か、呪い、まさかこの雨か?」
「何かあるかもしれない、気をつけろ」
「分かったよ、あんたも下がれ。 なるべく雨に打たれるな、できれば体を乾かしておけ」
「待ってくれ、お前、一人でやるのか!」
土砂降りの中、隊長格の男がユウに向かって吠えるが、そんな中でユウは少し笑っていた。
「あぁ、それが仕事だからな!」
そう言い切ってから、ユウはフェンリルに向かって走って行った。 もし雨が原因なら長期戦は不利になる、詳しい原因が分からない以上、ここは一気に片付けるしかない。 ユウは一体のフェンリルに狙いを定めると、そのまま低い姿勢を保って走り込んでいく。
四体のフェンリルは牙を剥き出しにしてユウを威嚇した。 また魔力を練り上げ、強烈な一撃を繰り出すための体勢を取ったのだ。 そして、向かってくるユウにめがけて、同時にハウリングを繰り出す。
衝撃波と共に爆音が轟く、直撃すれば肉片も残らないだろう程の衝撃が辺りに伝わっていく。 そして辺りの様子が収まると、地面には巨大なクレーターが出来上がっていた。
フェンリルはその獰猛な口元をニヤリと歪ませ、まるで目の前にいた男が死んだ事を確認するかの様に辺りを見回すと、次に村の奥を見つめた。
そして、一匹のフェンリルが狩りの再開とでも言うかのように、そう前足を踏み出した瞬間に地面から突き出た一本の黒い剣に貫かれた。 ピクピクとその巨大な図体を痙攣させると、ドーンと大きな音を立てて、その場に倒れ込む。
その倒れたフェンリルの足下にあった影は、さらにもう一匹のフェンリルに伸びていく。 異変を感じ取ったフェンリルが慌てて影から逃げようとするが、すぐさま影が混じり合うとハリネズミの様な鋭いトゲがフェンリルの前足を捉える。
グガァと唸るフェンリルは、そのまま前のめりに倒れ込む。 だが、その頭部をさらに太いトゲが一本貫いていった。 残りの二体は素早く後方に飛び退いたが、先ほどまでいた男の姿が見えない事に、まるで恐怖を感じているかの様に唸っている。
辺りには降りしきる雨の音と、グルグルと唸るフェンリルの声しか聞こえてこない。 さらに、じりじりと後退していくフェンリルは、ふと立ち止まった。
いや、後ろ足への違和感のため、立ち止まらざるをえなかったのだ。 そう、深々と突き刺さっている真っ黒なトゲによって。 フェンリルが唸ると同時に、後ろに気を取られて振り向くと、その視覚から影が飛び出して襲いかかる。
飛び出したユウは、体をくるりと回転させ勢いをそのままにフェンリルの顔へ双剣を突き刺す、顔面をえぐられ三体目のフェンリルがドーンと倒れ込むのだった。
さらにユウはフェンリルに刺さった双剣を引き抜くと、ゆっくりと地面に降りてから四体目のフェンリルに向き直った。 そうして、伝わるかどうかも分からないにもかかわらず、こう語りかけた。
「なぁ、だいぶ日も暮れてきただろ?」
四体目のフェンリルは辺りを見回して、影に注意をし始める。 この目の前の男は、この影を操るのだと理解していた。
フェンリルは思い返していた。 木の柵の中には餌がたくさんいたのだ、だが剣を持った少し強い餌もいた。 だから大型の狼たちを村にけしかけ、紛れ込み、剣を持った男達を弱らせて食べてやろうと思った。
この辺りは餌がたくさんいたが、昔は近づけなかった、南に行こうとすればする程に何かが自分の侵入を強く拒んでいた。 それが、この数年で近づける様になってきたのだ、これは幸運だった。
それに先ほどから降り続いている雨は、何故か自分達の力を高める、これも恵みの雨だった。
もっと、もっと南に、餌を、うまい餌を、さっき一口食べた柔らかい餌を、もっと喰いたいそう思っていた。 餌は弱いのだ、そんな餌を弄び、追い詰め、咀嚼する、それが快感であった。
それが、目の前の餌に全て狂わされた。 こいつは普通の餌じゃない、剣をもった餌でもない、強い餌でもない、獣でもない、同族でもない、おぞましい何かだった。
それが何かを吠えていた、意味は分からない、ただし腹の底が冷えるような何かだった。 そして、次の瞬間、自分の体が崩れ落ちた、全身に黒い剣が突き刺さっていた。 ゆっくりと意識が落ちていく、そうだ、思い出した、これは餌じゃない、これは……。
「くっ、かなり体力を消耗した。 この雨、毒に近い魔法か、まずいな同郷がいる、それも近くに……」
ユウは肩で息をしながら、その場に片膝をついた。 少しずつではあったが雨が弱まっていく、そして、雨から嫌な気配が消えていくのが感じられた。
「弱まってきたか、さすがに天気は操れないだろうしな。 とりあえず、あいつらと合流するしかないか」
そう言って、立ち直ると、村の奥に歩いて行った。




