第四十五話 通しておいた針
コレットが、青い帳面の頁のあいだから、畳んだ紙を一枚抜きだした。
フォルンの家の書斎で、私の指から糸を受けて畳んだ紙だった。コレットはそれを、作業台の端の木箱に、いちばん上から重ねる。同じ大きさに畳まれた紙の包みが、それで十三になった。どの包みの中にも、縁の葉から抜いた糸が、抜いた順に寝かせてある。
灯りは、作業台の上のひとつだけにしてあった。ブロムさんは糊の桶に蓋をして、とうに引きあげている。王宮から一緒に戻ったミレイア様も、今夜は早く部屋へ上がった。帰りの馬車では、手袋から出た指を、ずっと一本ずつ折っては開いていた。
イルゼさんは、夜も更けてから、紫の外套の襟を耳まで立てて来た。
「陛下が、朝いちばんに持ってこいって。朝に本部まで歩くなんて、ごめんだもの」
丸椅子には掛けずに、木箱の縁に両手をかける。持ちあげると、片方の眉が上がった。
「軽いのね。十三枚ぶんで、これだけ」
包みのひとつに、指の先を当てる。すぐに離して、その指を袖の中へしまった。
私は、前掛けの物入れから手紙を出した。夕方、作業台で書いて、ひとつに畳んだものだ。ロウエンの綴りは書けないので、宛名は王都の字で、イェルダさん、とだけ書いた。ペンを置くまでに、一枚の半分も埋まらなかった。
イルゼさんは手紙を受け取って、裏に返した。返事の宛先には、北の、ヴァルトの館と書いてある。
「東の関所へ出る使いが、明後日、王宮から出るの。それに入れておくわ」
表に返して、紙の薄さを指でつまむ。
「一枚だけ?」
「はい」
イルゼさんの目が、手紙から、それを渡したばかりの私の指へ下りた。右の三本の爪は、湯に浸けても、先から半分が白いままになっている。
「それのことは、書いてないんでしょう」
私は、手を前掛けの下へ入れた。
イルゼさんは、手紙を紫の袖にしまった。
「十三とは、書いた?」
「はい」
「なら、いいわ。あの人には、それで足りる」
木箱を胸の前に抱えなおして、イルゼさんは中庭の暗がりへ出ていった。箱の底に回した両手は、外套の袖口の中へ引っこめたままだった。
コレットは、作業台の端で、帳面のいちばん後ろの頁を開いていた。
十三の家の名の横は、いちばん下のケルナー子爵家のところだけが、フォルンの家から戻ってからずっと白い。コレットは鉛筆を取って、そこに「お義母さま、ご自分で」と書いた。鉛筆の字は、すぐ上に四つ並んだ「団長様、ご自分で」より、少しだけ濃い。
「膝から下ろしたのは、お義母さまですから」
私の方は見ずにそう言って、コレットは帳面を閉じた。それから、開けたままの裁縫箱から、針山を自分の前へ引き寄せる。
「糸を、出してください。お姉さまの指だと、馬車の中では通りません」
私は、自分の絹糸の糸巻きから糸を引きだして、鋏で切った。コレットは針の穴を灯りにかざして、一度で通す。糸の尻をそろえて、針山に刺す。そのころには、私はもう次の糸を引きだしている。
針山に、糸を垂らした針が並んでいった。
「帳面は、私が持っています」
十本目を刺しながら、コレットが言った。
「殿下が、また礼服を持っていらっしゃいます。二目めを、私、まだ見ていませんから」
私は、十一本目の糸を引きだした。
朝、本部の門の前に、レオ様の手配した馬車が回してあった。団長様は、もう手袋をはめて、御者と並んで馬の脚を見ている。
ブロムさんが、帆布の遠征鞄を提げてきて、馬車の後ろに下ろした。関所から戻ったあと、洗いなおしてくれていたらしい。石鹸の匂いはするのに、地面に置かれた鞄は、立たずに、横へ傾いた。
「糊は、引いとらん」
ブロムさんは、傾いた鞄を起こしもしないで言った。
「北で濡れて凍ると、割れる」
それから、ブロムさんの目は、私の白い外套の裾から、六つの木のボタンを下から順に上がっていった。
レオ様が、脇に挟んでいた帳面を開く。鞄が括りつけられていくのを見ながら、行の頭に印をひとつ付けた。
「宿駅ごとに、馬を替えます。館まで、五日です」
団長様にではなく、私に向かって、レオ様はそう言った。
奥の棚から下ろしてきた麻布の包みは、御者が屋根の荷台へ押しあげた。トビくんの毛布は、麻布にくるんだまま、縁に目打ちを一度も入れずに持っていく。縄の結び目から下がった木の札が、荷台の端で揺れていた。
ミレイア様が、包みの角に手を添えた。指の開いた手袋の先で、麻布の上から、中の毛織りの厚みを押している。
「この厚さで、銅貨八つ。……羊毛を糸に紡ぐ手間賃にも、なりません」
団長様の目が、荷台の包みへ上がった。答える人はいなかった。御者が、包みの上に縄をもう一本渡す。
コレットは、青い帳面を胸に抱えて、門柱の脇に立っていた。
「ヴァルトの館へ、毎週、書きます」
「ええ。待ってるわ」
裁縫箱を片腕に抱え、もう片方の腕に灰色の毛織りを畳んで掛けて、私は踏み台に足をのせた。グレンツ家から祝いの品として届いた、ハーゲン家の一枚だった。
団長様は、いつものように、向かいの座席に腰を下ろした。
私は、腕に掛けてきた毛織りを、膝の上で広げた。膝掛けにしては大きくて、半分は私の膝からはみ出し、隣の空いた座席へ垂れる。縁の葉は、どれも、あの晩に私が抜いたときの穴のまま並んでいる。
団長様の目が、垂れた端に落ちた。
それから、天井に頭をかがめて立ちあがり、私の隣へ移ってきた。座席が、団長様のぶんだけ沈む。垂れていた端が、団長様の膝に載った。
開けた裁縫箱を、団長様は私の手から取って、自分の向こう側の膝に置いた。馬車が動きだすと、箱は揺れのたびに滑りかけて、そのたびに手袋の手が角を押さえる。
一度だけ、その手が上着の胸へ上がった。内ポケットの、口の開いたままのところに触れる。それから団長様の目が、私の肩のショールの縁へ来て、手は、また箱の角へ戻った。
私は、針山から、ゆうべコレットが通しておいた針を一本抜いた。針をつまんだ指の爪は、今朝も湯に浸けてきたのに、先が白い。
毛織りの縁は、私の膝から団長様の膝へ渡って、そのあいだで少したわんでいる。たわみのいちばん低いところの葉に、指の腹を当てた。穴だけになっても、葉の形は残っている。もう、冷たくはない。
針先を近づけると、車輪が石を拾って、先が逸れた。
「北門で、一度止まる」
団長様は、箱の角を押さえたまま言った。
私は、針を持った手を膝の上で待たせた。北門は、本部を出てすぐのところにある。門番の声がして、御者が手綱を引いた。車輪が止まり、揺れがやむ。
葉の根もとの穴から、糸一本ぶん外れた毛織りに、針を立てる。二人の膝のあいだで、裏へ抜けた針先を、指が探りあてる。引いていくと、私の糸が、最初の穴の縁へ、ひと目ぶん寄っていく。




