第6話 初めての寄り道
「玲司ー! 朝倉も来るって!」
橘の声が教室に響く。
廊下にいた藤堂がこちらを見た。
「分かった」
そう言って、小さく手を上げる。
「…………」
やっぱり今から断ろうかな。
そんな考えが頭をよぎった。
ほんの十秒前。
俺は確かに、
『一時間くらいなら』
と言った。
自分の口で。
言ってしまった。
「じゃ、行こうぜ」
「あ……うん」
橘が鞄を肩に掛ける。
逃げ道がなくなった。
別に拉致されるわけじゃない。
クラスメイト二人と駅前へ行くだけ。
普通の高校生なら、何でもないことだ。
それなのに。
教室を出る俺の心臓は、ゲームの最終局面よりうるさかった。
◇
校門を出る。
俺の右を橘。
左を藤堂が歩いている。
「…………」
「…………」
何を話せばいい。
天気?
今日は暑いな、とか?
いや、急に俺がそんなことを言ったら不自然じゃないか?
部活?
二人とも運動部だけど、俺は帰宅部だ。
そもそも藤堂とはほとんど話したことがない。
橘とは最近数学のことで話すようになった程度。
「…………」
やっぱり来るんじゃなかったかもしれない。
「朝倉」
「っ、何?」
「今日バイトとかないの?」
「…………!」
思わず橘を見る。
「なんで?」
「え?」
「なんでバイト?」
「いや、例えばの話」
「あ……」
焦った。
学校には秘密にしている。
もちろん橘が知っているはずはない。
「部活ない奴って放課後何してんのかなって」
「……ゲームとか」
「へえ。朝倉ゲームするんだ」
「まあ」
「何やる?」
「FPS」
俺が答えると。
それまで黙っていた藤堂がこちらを向いた。
「FPS?」
「……うん」
「何やってる?」
ゲームの名前を答える。
すると。
「俺もやってる」
「え」
「マジ?」
なぜか橘まで驚いている。
「玲司、お前それやってんの?」
「やってるけど」
「知らなかった」
「言ってないから」
「俺にも言えよ!」
「聞かれてない」
「そういう問題?」
藤堂は表情をほとんど変えない。
でも、橘とはかなり仲がいいらしい。
「朝倉、ランクは?」
藤堂に聞かれる。
「今は――」
答える。
藤堂が少しだけ眉を上げた。
「高いな」
「そう?」
「普通に高い」
「玲司は?」
「俺は――」
「……同じくらいじゃん」
「少し朝倉の方が上」
「お前ら強いの?」
橘が割って入ってくる。
「陽斗はやらないの?」
「FPSは無理。敵どこにいるか分からん」
「慣れ」
「その慣れるまでに心折れるんだって!」
橘が笑う。
「…………」
不思議だった。
さっきまで。
何を話せばいい。
沈黙したらどうしよう。
そんなことばかり考えていた。
でも。
ゲームの話になった瞬間。
少しだけ。
息がしやすくなった。
「朝倉、武器何使う?」
「最近は――」
俺は答える。
「俺もそれ」
「でも近距離弱くない?」
「サブで補う」
「ああ、それなら」
会話が続く。
俺からも質問できる。
ゲームという共通点が一つあるだけで、こんなに違うのか。
俺は初めて、藤堂玲司というクラスメイトを少しだけ知った。
◇
「ここ」
橘が立ち止まった。
駅前のファストフード店。
「…………」
「どうした?」
「いや」
もっと何か、おしゃれな店にでも行くのかと思っていた。
高校生が三人で寄るなら普通か。
店に入る。
「俺ポテトとバーガー」
「俺コーヒー」
「玲司、それだけ?」
「腹減ってない」
「部活前だもんな」
「朝倉は?」
「……ポテト」
「それだけ?」
「うん」
「遠慮すんなって。奢らないけど」
「じゃあ言うなよ」
「お」
橘が俺を見る。
「何?」
「いや」
ニヤッとする。
「朝倉、意外と普通にツッコむんだな」
「…………」
しまった。
Yuuと話しているときの癖が出た。
「別に」
「なんだよそれ」
橘が笑う。
藤堂もほんの少し口元を緩めたように見えた。
注文を済ませ、三人で四人掛けの席に座る。
橘が俺の正面。
藤堂が隣。
「そういや朝倉」
「何?」
「なんで部活入ってないの?」
「…………」
少しだけ身構える。
「陽斗」
藤堂が低い声で言った。
「ん?」
「そういうの聞くな」
「え?」
「理由あるかもしれないだろ」
「あ」
橘が気まずそうな顔をする。
「悪い。別に深い意味なかった」
「……大丈夫」
俺はポテトを一本取る。
「単純に、入らなかっただけ」
嘘ではない。
全部を話していないだけだ。
「そっか」
橘はそれ以上聞かなかった。
「…………」
藤堂を見る。
コーヒーを飲んでいる。
たぶん。
俺が一瞬答えに詰まったのを見て、止めてくれたのだろう。
ゲームでもそうだ。
周りを見ている奴は、味方の動きをよく見ている。
「藤堂」
「何?」
「……ありがとう」
「別に」
短い。
でも。
嫌な感じはしなかった。
◇
「そういやさ」
橘がバーガーを食べながら言う。
「朝倉って黒瀬と喋ったことある?」
「…………なんで?」
心臓が一瞬だけ跳ねた。
「いや、別に」
「急すぎるだろ」
藤堂が言う。
「今日さ、莉央たちと話してたら朝倉の名前出たから」
「俺?」
「数学教えるの上手いって話」
「……誰が?」
「琴葉」
「小宮山?」
「この前プリントか何かで話したんだろ?」
「話したっていうか……」
消しゴムを拾ってもらった。
プリントを渡された。
その程度だ。
「で、黒瀬が『朝倉君ってあんまり喋らないよね』って」
「…………」
黒瀬が。
俺のことを?
「それだけ?」
「それだけ」
「…………」
なんだ。
「何ちょっと残念そうな顔してんの?」
「してない」
「してた」
「してない」
「黒瀬気になる?」
「ならない」
即答した。
本当に。
黒瀬由香は、俺とは住む世界が違う人間だ。
クラスで一番目立って。
いつも誰かに囲まれて。
俺とはまともに話したこともない。
「黒瀬かわいいじゃん」
橘が言う。
「まあ」
「ほら!」
「見たら分かるだろ」
「タイプ?」
「知らない」
「なんだよそれ」
「喋ったことないんだから分からない」
俺がそう言うと。
藤堂が横から言った。
「正論」
「玲司まで!」
橘が頭を抱える。
「高校生男子二人集めて恋バナできないとか終わってるだろ」
「お前が勝手に始めただけ」
「朝倉!」
「何」
「好きな人は?」
「いない」
「玲司!」
「いない」
「…………帰ろうかな」
「帰れば」
「玲司冷たくない?」
思わず。
「ふっ」
笑ってしまった。
二人が俺を見る。
「…………何?」
「いや」
橘が笑う。
「朝倉、笑うんだな」
「失礼だな」
「いやだって学校でいつも寝てるじゃん」
「寝てない」
「え?」
「…………」
言ってしまった。
「寝てない?」
「……寝たふり」
「なんで!?」
橘が爆笑する。
「声でかい」
「いや、だって! 寝たふりって!」
「笑うなよ」
「ごめん! でもなんで!?」
「…………話す相手いないから」
一瞬。
橘の笑いが止まった。
しまった。
言わなきゃよかった。
空気が重く――。
「じゃあ俺らのとこ来れば?」
「…………え?」
思っていたのと違う言葉が返ってきた。
「休み時間」
橘は何でもないことのように言う。
「玲司いるし」
「なんで俺基準なんだ」
「俺だけだと朝倉疲れそうじゃん」
「…………」
妙に鋭い。
「別に毎回来いって意味じゃないけどさ」
橘がポテトを食べる。
「暇だったら来れば?」
「…………」
返事が出なかった。
俺の中では。
休み時間に誰かのところへ行く。
それはものすごく難しいことだ。
理由もなく人の輪へ入るなんてできない。
でも。
橘はまるで、
『席空いてるから座れば?』
くらいの調子で言う。
「……考えとく」
結局。
それだけ答えた。
「おう」
橘も、それ以上は何も言わなかった。
◇
一時間。
そう言ったはずだった。
「…………」
店を出たとき。
時計は一時間二十三分を示していた。
「じゃ、俺部活行くわ」
藤堂が言う。
「おう。頑張れー」
「陽斗も来いよ」
「俺今日オフ!」
「知ってる」
「じゃあ言うな!」
藤堂が俺を見る。
「朝倉」
「ん?」
「今度ゲームやろう」
「…………」
一瞬。
返事に詰まる。
でも。
「うん」
「ID、あとで聞く」
「分かった」
「じゃ」
藤堂は学校方面へ戻っていった。
「俺らも帰るか」
「うん」
橘と駅で別れる。
「じゃあな、朝倉」
「…………」
一瞬。
迷った。
「……また明日」
「おう。また明日!」
橘が手を上げる。
俺も小さく手を上げた。
そして。
一人になってから気づいた。
「…………」
また明日。
自分から言った。
いつ以来だろう。
いや。
高校に入ってから、初めてかもしれない。
◇
家に帰った。
PCを起動する。
ゲームを開く。
Yuuはまだいない。
「…………」
スマホを見る。
なんとなく。
メッセージ画面を開く。
何かを打とうとして。
やめる。
「ログインしてからでいいか」
夕飯を食べる。
風呂に入る。
午後九時。
もう一度ゲームを開く。
Yuu。
オンライン。
すぐに通知。
『こんばんは!』
『こんばんは』
『今日遅かったね』
「…………」
俺は少し考えて。
『寄り道してた』
と送る。
『え!?』
「なんで驚くんだよ」
『友達と!?』
「…………」
そこ。
俺も分からない。
橘と藤堂は。
友達なのか?
クラスメイト。
たぶん今は、それが一番近い。
『クラスの奴』
『友達じゃん』
『分からない』
『一緒に寄り道したんでしょ?』
『した』
『じゃあ友達!』
「判定雑すぎるだろ」
『そんな簡単?』
『簡単簡単』
『俺の友達の定義もっと重いんだけど』
『重っ笑』
続けて。
『でも良かったじゃん!』
「…………」
『何が』
『学校で話す人できたんでしょ?』
俺は少し考える。
『まだ分からない』
『またまたー』
『本当に』
『でも楽しかった?』
「…………」
今日のことを思い返す。
最初は帰りたかった。
何を話せばいいのか分からなかった。
緊張した。
でも。
FPSの話をした。
ポテトを食べた。
橘にツッコんだ。
笑った。
藤堂とゲームする約束をした。
そして。
『また明日』
と言った。
『まあ』
打つ。
消す。
もう一度。
『楽しかった』
送った。
『よかった!』
すぐに返ってくる。
『友達の練習の成果だね』
「…………」
『Yuuのおかげってこと?』
『そういうこと!』
『調子乗るな』
『ひどい!』
笑う。
『でも』
俺は打つ。
『ありがとう』
送信。
返事が少し遅れた。
『……どういたしまして!』
なぜか「……」がついている。
『何その間』
『急に素直だからびっくりした笑』
『じゃあ撤回』
『ダメ!』
「…………」
また笑った。
◇
その頃。
俺の知らない場所で。
一人の女子高生がベッドに寝転がりながら、スマホの画面を見ていた。
『ありがとう』
その短いメッセージを。
もう一度読む。
「…………」
少女の口元が、少し緩む。
「友達、か…」
そして返信する。
『ダメ!』
送信。
すぐに返ってくる。
『なんで』
「ふふっ」
少女は小さく笑った。
机の上には、学校の教科書。
その上に置かれたノート。
端に書かれている名前は――。
◇
翌朝。
教室へ入る。
いつも通り。
黒瀬たちはすでに集まって話している。
俺は自分の席へ向かう。
鞄を置く。
椅子を引く。
そして。
机に突っ伏そうとして――。
「朝倉、おはよ!」
声がした。
顔を上げる。
橘陽斗。
「…………」
「何?」
「いや」
俺は少しだけ迷って。
「……おはよう」
「おう!」
橘はそのまま自分の席へ向かった。
「…………」
それだけ。
たったそれだけだった。
でも。
俺は机に突っ伏すのをやめた。
スマホを取り出す。
何となく、ゲームのメッセージを開く。
昨夜のYuuとのやり取り。
『でも楽しかった?』
『楽しかった』
『よかった!』
「…………」
友達。
まだ。
橘や藤堂をそう呼んでいいのかは分からない。
でも。
もしかしたら。
いつか。
そう呼べるようになるのかもしれない。
「由香、おはよー!」
「おはよ!」
黒瀬由香の声。
俺は一瞬だけそちらを見る。
いつも通り、友達に囲まれている。
笑っている。
俺とは違う世界。
そう思っていた。
だけど。
ほんの少しだけ。
本当にほんの少しだけ。
その世界が以前より遠くないような気がした。




