第4話 友達がいる日常
友達とは、何をするものなのだろう。
遊びに行く。
一緒に飯を食う。
学校でくだらない話をする。
休みの日にどこかへ出かける。
たぶん、そんな感じだ。
少なくとも、教室を見ている限りではそう見える。
なら。
毎日のようにゲームをして。
くだらない話をして。
相手がログインしていたら少し嬉しくなって。
いなかったら、ちょっとだけ残念に思う。
そういう相手は――。
友達と呼んでもいいのだろうか。
◇
「朝倉」
「……はい」
「ここ」
数学教師が黒板を指す。
「次、解いてみろ」
「…………」
最悪だ。
俺は椅子から立ち上がった。
黒板の前まで歩き、教師からチョークを受け取る。
二次関数。
別に難しい問題ではない。
途中式を書いて、答えを出す。
「はい、正解。戻っていいぞ」
「はい」
席へ戻る。
ただそれだけ。
それだけなのに、妙に疲れた。
人前に出るのは苦手だ。
クラス全員が俺を見ている気がする。
実際には誰も大して興味なんてないのだろうけど。
席に座ると、斜め前の男子が振り返った。
「朝倉、頭いいじゃん」
「……普通」
「いや、俺あれ全然分からんかった」
橘陽斗だった。
サッカー部。
クラスの中心にいる男子の一人。
誰とでも普通に話すタイプ。
つまり俺が一番苦手とする人種だ。
「あとで教えてよ」
「え」
「そこ」
陽斗が黒板を指す。
「俺、途中から意味分からん」
「……いいけど」
「マジ? 助かる」
それだけ言って前を向いた。
「…………」
何だったんだ。
俺はもう一度ノートへ視線を落とした。
ああいう奴はよく分からない。
俺みたいな奴に普通に話しかけてくる。
クラスには他にいくらでも聞ける奴がいるだろうに。
◇
昼休み。
いつものように一人で弁当を食べる。
イヤホンを片耳につけ、スマホを開いた。
通知が一件。
「…………」
ゲームのアプリからだった。
Yuuからメッセージが届いている。
『今日できる?』
時刻を見る。
十二時十八分。
「昼に送ってきたのか」
いつもなら、ゲームを始めてから話す。
ログインして。
どちらかが誘って。
そこからチャットする。
でも今日は違った。
ゲームをしていない時間に、向こうからメッセージが来た。
俺は返信する。
『今日はバ――』
途中まで打って止める。
バイト。
まだYuuには話していない。
一度消して。
『今日は用事あるから遅くなる』
送信。
すぐ既読になる。
『了解!』
続けて。
『何時くらい?』
『9時半くらい』
『じゃあそのくらいに行く!』
「…………」
俺は画面を見つめた。
そのくらいに行く。
つまり。
俺が来る時間に合わせてログインするということだろうか。
「…………」
なんだこれ。
変な感じだ。
「湊君?」
「っ!?」
反射的にスマホを伏せた。
顔を上げる。
小宮山琴葉が立っていた。
「……何?」
「あ、ごめんね。びっくりさせた?」
「いや」
「先生がこれ、朝倉君に渡してって」
プリントを差し出される。
「あ……ありがとう」
「うん」
小宮山は柔らかく笑って、自分の席へ戻っていった。
俺はプリントを机の端へ置く。
そして、もう一度スマホを見る。
『じゃあそのくらいに行く!』
まだ表示されている。
俺は少し考えて。
『分かった』
とだけ返した。
「…………」
待ち合わせ。
というほどのものではない。
ただゲームする時間を決めただけ。
それでも。
誰かと「何時に」と約束したのは、いつ以来だろう。
◇
「朝倉」
五時間目が終わったところで声をかけられた。
顔を上げる。
橘陽斗。
「さっきの数学」
「ああ……」
「ここ」
ノートを持ってきた。
本当に来た。
「これ、なんでこうなる?」
「……これは」
俺は陽斗のノートを見る。
「ここで因数分解して」
「うん」
「それから代入すれば」
「あー……」
陽斗がノートへ書き込む。
「なるほど」
「多分それでいける」
「朝倉、説明分かりやすいな」
「そう?」
「先生より分かりやすい」
「それは言いすぎ」
「いやマジで」
陽斗が笑う。
「ありがとな」
「うん」
「また分からんかったら聞いていい?」
「……別に」
「助かる」
そう言って戻っていく。
「…………」
俺はその背中を見送った。
何だったんだろう。
別に嫌ではなかった。
むしろ。
人に何かを教えて「ありがとう」と言われるのは――。
悪くない。
「湊」
「……え?」
今度は別の声。
いや。
俺ではない。
「陽斗、湊じゃなくて奏太!」
「あ、悪い!」
「名前間違えんな!」
近くで男子たちが笑っている。
「…………」
一瞬、自分が呼ばれたと思ってしまった。
馬鹿みたいだ。
俺はノートへ視線を戻した。
◇
放課後。
俺は学校からそのままバイト先へ向かった。
「いらっしゃいませ」
夕方の店内はいつもより混んでいた。
注文を取る。
飲み物を運ぶ。
空いた皿を下げる。
「朝倉君、四番お願い!」
「はい」
時計を見る暇もない。
午後七時。
八時。
ようやく客足が落ち着いた。
「今日忙しかったね」
店長が厨房から顔を出す。
「ですね」
「もう上がっていいよ」
「分かりました」
着替えて店を出る。
スマホを見る。
午後八時五十八分。
「……間に合うか」
自転車に乗る。
ペダルを踏む。
少しだけ速く。
別に急ぐ必要なんてない。
九時半くらい、と言っただけだ。
一分遅れたところで何もない。
それでも。
約束したから。
俺はいつもより少しだけ急いで家へ帰った。
◇
午後九時二十六分。
ゲーム起動。
フレンド欄を開く。
「…………」
Yuu。
オンライン。
その横に表示されている状態は――。
ロビー。
試合をしていない。
「まさか……」
数秒後。
ピコン。
『おつかれ!』
「…………」
俺がログインした瞬間だ。
『待ってた?』
打つ。
でも。
「…………」
消した。
なんか自意識過剰みたいだ。
代わりに。
『おつかれ』
と送る。
『用事終わった?』
『終わった』
『じゃあやろ!』
『了解』
いつものようにパーティーへ入る。
でも。
なぜか今日は少しだけ違う。
俺が来る時間を、Yuuは知っていた。
そして俺がログインしたとき、ロビーにいた。
偶然かもしれない。
だから聞かなかった。
◇
三試合目。
俺たちは開始直後に全滅した。
『最悪』
『Yuuが突っ込むから』
『違う!あれは敵が多すぎた!』
『見たら分かるだろ』
『いけると思った』
『昨日も聞いた』
『今日は昨日じゃない』
『屁理屈』
『Nagi最近言い方ひどくない?笑』
「…………」
確かに。
最初の頃より遠慮がなくなっている気がする。
俺は基本、人と話すときに言葉を選ぶ。
変なことを言わないように。
嫌われないように。
会話を早く終わらせられるように。
でも。
Yuuには、あまり考えずに返している。
『嫌ならやめる』
少しだけ冗談で送る。
すぐ返事が来た。
『嫌とは言ってない!』
続けて。
『むしろその方がいい』
「…………」
『なんで』
『友達っぽいから?』
また。
その言葉だ。
友達。
『そういうもの?』
『そういうもの!』
『知らない』
『あ』
「…………」
やらかした。
前に、俺には友達がいないと話した。
Yuuも思い出したのだろう。
『ごめん』
すぐメッセージが来る。
『別に謝ることじゃない』
『でも』
『本当に気にしてない』
少し間が空く。
そして。
『じゃあ』
『私で練習すればいいじゃん』
「……何を?」
『友達』
「…………」
意味が分からない。
『友達って練習するものなのか』
『知らない笑』
『適当だな』
『でも私もNagiとこうやって話すの楽しいし』
指が止まった。
『だから遠慮しなくていいよ』
「…………」
俺は、その文章を何度か読み返した。
遠慮しなくていい。
今まで誰かと話すとき。
俺はいつも、どこかで考えていた。
これを言ったら変じゃないか。
迷惑じゃないか。
早く会話を終わらせた方がいいんじゃないか。
だから話せなくなる。
だから自分から話しかけなくなる。
結果、一人になった。
でも。
Yuuは。
俺と話すのが楽しいと言った。
社交辞令かもしれない。
ネット上の軽い言葉かもしれない。
それでも。
『分かった』
俺は返した。
『よろしい』
『なんで上から』
『友達の先輩なので』
『同い年だろ』
『友達歴では私の方が先輩』
『うざ』
『ひど!?』
思わず笑った。
こんなことを人に言ったのは、初めてかもしれない。
◇
その日から。
少しだけ変わった。
『今日数学の小テストだった』
俺からそんなメッセージを送った。
ゲームとは何の関係もない。
送ってから。
「……何送ってんだ俺」
少し後悔した。
だが数分後。
『どうだった?』
返ってきた。
『普通』
『何点?』
『まだ返ってない』
『じゃあなんで報告したの笑』
「…………」
確かに。
『知らない』
『意味分からん笑』
でも。
会話は続いた。
翌日。
『今日体育でめっちゃ走らされた』
今度はYuuから。
『おつかれ』
『足痛い』
『運動不足』
『帰宅部に言われたくない』
『俺も帰宅部だけど』
『だから説得力ないってこと!』
さらに翌日。
『今日バイ――』
また止める。
消す。
『今日は遅くなる』
『了解!』
ゲームをしない時間にもメッセージが来るようになった。
朝。
昼。
放課後。
頻繁ではない。
一日に数回。
それだけ。
でも。
俺の日常に、Yuuという人間が入り始めていた。
◇
そして金曜日。
「朝倉、これ回して」
「ん」
前の席からプリントを受け取り、後ろへ回す。
それだけのこと。
「朝倉君」
「……何?」
小宮山。
「次、移動教室だよ」
「あ」
時計を見る。
「ありがとう」
「ううん」
教科書を持って立つ。
廊下へ出る。
前にはクラスメイトたち。
黒瀬由香。
水瀬莉央。
小宮山琴葉。
橘陽斗。
そして、その少し後ろを歩く俺。
黒瀬が楽しそうに笑っている。
何か水瀬に言われて、肩を叩いている。
「…………」
ふと。
Yuuのことを思い出した。
あいつも、学校ではあんな感じなのだろうか。
友達がいると言っていた。
学校も楽しいと言っていた。
だったらきっと。
休み時間に友達と話して。
昼飯も一緒に食べて。
放課後には「また明日」と言って。
そんな高校生活を送っているのだろう。
俺とは全然違う。
黒瀬みたいな感じだったりして。
「…………」
そこまで考えて。
前に聞いた会話を思い出す。
『最近ね、めっちゃ相性いい人見つけたの』
『ゲームの話!』
高校二年。
帰宅部。
ゲーム好き。
最近、相性のいいゲーム仲間ができた。
そしてYuuも――。
高校二年。
帰宅部。
ゲーム好き。
「…………いや」
ない。
さすがにない。
俺は一度も黒瀬とまともに話したことがない。
そもそも住んでいる世界が違いすぎる。
「由香ー!」
廊下の先から、別のクラスの女子が黒瀬に手を振った。
「おー!」
黒瀬も笑顔で手を振り返す。
「…………」
やっぱり違う。
あんな奴が。
『友達の練習すればいいじゃん』
なんて俺に言っているとは思えない。
俺はそのまま教室へ向かった。
◇
その夜。
Yuuとゲームをした。
何試合か終わり。
時刻は午後十一時前。
『明日休みだー!』
『そうだな』
『Nagi明日何するの?』
俺は少し考える。
『バ――』
また消す。
明日は昼からバイトだ。
『用事』
『また用事?』
「…………」
さすがに怪しいか。
『まあ』
『Nagiって意外と忙しいよね』
『そう?』
『帰宅部なのに』
『色々ある』
『秘密多いなー』
冗談っぽい文章。
でも。
俺は少しだけ考えた。
Yuuには。
話してもいいんじゃないか。
そんな考えが、初めて浮かんだ。
顔も知らない。
本名も知らない。
どこに住んでいるかも知らない。
それなのに。
クラスの誰よりも、最近はYuuと話している。
だったら――。
『実は』
打つ。
指が止まる。
『実は?』
Yuuから返ってくる。
「…………」
俺は少し迷って。
続きを打った。
『バイトしてる』
送信。
数秒。
『え!?』
『高校生だよね!?』
『そう』
『学校OKなの?』
「…………鋭い」
『ダメ』
送る。
『えええ!?』
続けて。
『それ大丈夫なの!?』
『バレなきゃ』
『悪い人だ』
『通報するなよ』
『どうしよっかなー』
『やめろ』
『冗談笑』
俺は少し笑った。
そして。
『なんでバイトしてるの?』
その質問に。
指が止まった。
「…………」
家庭のこと。
両親が離婚したこと。
母親と二人で暮らしていること。
自分なりに負担を減らしたくて働いていること。
そこまでは。
まだ言えなかった。
『欲しいものあるから』
嘘ではない。
自分の金で買いたいものだってある。
『なるほど!』
Yuuは、それ以上聞かなかった。
『じゃあ学校には秘密なんだ』
『そう』
『了解』
そして。
『私も秘密にしとく』
「…………」
画面を見つめる。
当たり前だ。
Yuuは俺の学校を知らない。
誰かに言いようがない。
それでも。
『頼む』
と返した。
俺には初めて。
友達と共有する秘密ができた。
ゲームの中だけの友達。
そう思っていたはずなのに。
いつの間にか俺たちは、ゲーム以外の話をして。
学校の話をして。
今日あったことを話して。
そして。
俺は、自分の秘密まで一つ話した。
少しずつ。
本当に少しずつ。
Yuuはもう、ただ同じゲームをするだけの相手ではなくなり始めていた。




