第3話 ゲーム以外の話
人間というのは、思っていたより簡単に習慣が変わるらしい。
少なくとも、俺はそうだった。
少し前まで。
学校から帰ったらゲームをする。
それだけだった。
ゲームがしたいから起動する。
飽きたらやめる。
勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。
ただ、それだけ。
でも最近は少し違う。
ゲームを起動する。
そして最初に見るのは――フレンド欄。
「…………まだか」
Yuu。
オフライン。
時刻は午後七時十二分。
今日はバイトがなかったから、いつもより早く帰ってきた。
夕飯も食べた。
風呂にも入った。
宿題も――まあ、最低限は終わらせた。
あとはゲームをするだけだ。
「先やるか」
一人でマッチングを始める。
でも。
試合中も、ときどき右下に出る通知が気になる。
一試合目。
Yuuは来ない。
二試合目。
まだ来ない。
三試合目の途中。
敵を倒して装備を漁っていた、そのときだった。
ピコン。
画面の端に小さな通知。
Yuuがオンラインになりました。
「……来た」
無意識にそう呟いていた。
「…………」
いや。
待ってない。
別に待っていたわけじゃない。
ただフレンドがオンラインになったから確認しただけだ。
それだけ。
……最近、自分に対する言い訳が増えた気がする。
◇
試合を終えてロビーへ戻る。
その瞬間。
ピコン。
『こんばんは!』
「早いな……」
俺も返す。
『こんばんは』
『今終わった?』
『終わった』
『やる?』
『やる』
『よし!』
すぐにパーティーへの招待が届く。
承認。
最近は、これが当たり前になっていた。
どちらかが先にログインしている。
もう一人が来る。
誘う。
一緒にゲームをする。
最初の頃は誘うだけでも妙に緊張していたのに、今では俺からYuuを誘うこともある。
ほんの数日前までなら考えられなかったことだ。
『今日こそ3連勝しよ』
『無理だろ』
『やる前から諦めないで!?』
『昨日も同じこと言って一戦目で死んだだろ』
『あれは事故』
『一人で突っ込んだのを事故とは言わない』
『今日は違うから』
『昨日も聞いた』
『うるさい!笑』
「…………」
気づけば、こういうやり取りも増えた。
最初は必要なことしか話さなかった。
敵がいる。
どこへ行く。
何の武器を使う。
それくらい。
でも今は。
どうでもいい話をしている時間の方が長い気がする。
◇
『右いる』
『了解』
俺が建物の裏へ回る。
Yuuが正面から敵を牽制。
一人がこちらへ逃げてくる。
「来ると思った」
照準を合わせる。
撃破。
もう一人がYuuへ詰める。
俺はすぐに高所へ移動して撃つ。
敵の注意が俺へ向いた。
その瞬間、Yuuが距離を詰める。
撃破。
『ナイス!』
『そっちも』
もう、細かい指示はいらない。
俺が右へ行けばYuuは左。
Yuuが前へ出れば俺は少し下がって周囲を見る。
俺が回復していればYuuが前を見る。
逆なら俺がカバーする。
VCは一度も使っていない。
それなのに、不思議なくらい噛み合う。
「なんで分かるんだろうな」
俺が呟く。
当然、Yuuには聞こえない。
終盤。
残り二組。
人数はこちらと同じ二人。
俺が敵を一人削る。
Yuuが詰める。
俺も追う。
敵の一人を撃破。
残り一人。
逃げた敵をYuuが追う。
「そっちは――」
危ない。
そう思った瞬間。
Yuuの体力が一気に減った。
「だから言ったのに……!」
もちろん聞こえていない。
敵がYuuを倒そうとする。
俺は遮蔽物から飛び出した。
敵が振り向く。
撃つ。
相手も撃つ。
体力が削られる。
それでも構わず撃ち続ける。
そして――。
WINNER
「……っし」
椅子の背もたれに体を預ける。
チャットが来た。
『ありがとう!!!!』
『突っ込みすぎ』
『反省してます』
『絶対してないだろ』
『してるしてる』
『じゃあ次からやめろ』
『善処します』
「してないな、これ」
思わず笑った。
◇
何試合か終わったところで、Yuuからメッセージが来た。
『ちょっと休憩しない?』
『いいよ』
『飲み物取ってくる!』
『了解』
俺も席を立つ。
冷蔵庫から麦茶を持ってきて、部屋へ戻った。
まだYuuは戻っていない。
椅子に座ってスマホを触る。
数分後。
『戻った!』
『おかえり』
『ただいまー』
そのまま次のマッチが始まると思っていた。
でも。
『Nagiってさ』
メッセージが続く。
『学生?』
「…………」
指が止まった。
今まで、お互いのことを聞いたことはほとんどない。
ゲームの話ばかり。
せいぜい「明日早い」とか「今日は遅くまでできる」とか、その程度。
初めてだ。
ゲームとは関係ない、俺自身について聞かれた。
別に答えて困る質問ではない。
『学生』
送信。
すぐ返ってくる。
『やっぱり!』
『なんで』
『ログインする時間がそれっぽいから笑』
『そっちも学生?』
送ってから、少しだけ驚いた。
俺から質問した。
普段の俺なら、聞かれたことに答えて終わりだ。
学校でもそう。
「昨日の宿題やった?」
「やった」
終了。
「次の授業移動だよ」
「分かった」
終了。
会話を続けようという発想がない。
なのに。
Yuuには自然と聞き返していた。
『学生だよ!』
やっぱり。
『大学?』
『違う』
『じゃあ高校?』
『そう!』
「高校生……」
俺と同じか。
『何年?』
『2年』
「…………」
思わず画面を見る。
『俺も』
送信。
数秒。
『え!?』
『同い年じゃん!』
続けてメッセージが来る。
『なんとなく年上だと思ってた笑』
『なんで』
『落ち着いてるから』
『ゲームで分かるのかそれ』
『分かる分かる』
『適当だろ』
『バレた?笑』
「…………」
同い年。
それが分かっただけなのに、急に距離が近くなった気がした。
日本のどこに住んでいるのかも知らない。
本名も知らない。
顔も知らない。
それでも。
同じ十七歳。
同じ高校二年生。
それだけで、さっきまでより相手の輪郭が少しだけ見えた気がする。
『Nagiって部活してる?』
『してない』
『帰宅部?』
『そう』
『私も!』
「へえ」
帰宅部。
高校二年。
ゲーム好き。
共通点が一つ増える。
『じゃあ放課後すぐゲームできるじゃん』
『週3は無理』
『なんで?』
ここで、指が止まった。
バイト。
そう打とうとしてやめる。
学校に秘密にしていることを、わざわざネットの相手に話す必要はない。
『用事ある』
『なるほど』
それ以上、Yuuは聞いてこなかった。
少しだけ安心する。
『Yuuは?』
『私はだいたい暇』
『帰宅部だもんな』
『帰宅部を暇人みたいに言わないで』
『自分で暇って言っただろ』
『それとこれとは別です』
「何が違うんだよ」
また笑ってしまう。
その後も、なぜかゲームを再開しなかった。
『学校楽しい?』
急にそんなメッセージが来た。
「…………」
難しい質問だ。
嫌いではない。
いじめられているわけでもない。
勉強についていけないわけでもない。
ただ。
楽しいかと聞かれたら。
『普通』
結局そう返した。
『普通かー』
『Yuuは?』
『楽しいよ!』
即答だった。
なんとなく、Yuuらしい気がした。
『友達いるし』
その文字を見た瞬間。
ほんの少しだけ、指が止まった。
友達。
『いいな』
打って。
消した。
『そうなんだ』
それだけ送った。
『Nagiは?』
「…………」
来ると思った。
さて、どう答える。
嘘をつく必要はない。
でも。
『いない』
文字にしてみると、思った以上に寂しい。
送信するか迷う。
数秒。
結局、そのまま送った。
『いない』
返事が来ない。
「…………」
やっぱり言わなきゃよかったか?
高校二年にもなって友達ゼロ。
普通に考えれば、かなり変な奴だ。
Yuuだって引くかもしれない。
十秒。
二十秒。
「遅いな……」
すると。
ピコン。
『え?』
やっぱり驚かれた。
『一人も?』
『いない』
今度はすぐ返した。
少し間が空く。
そして。
『じゃあ私がいるじゃん』
「…………え?」
声が出た。
画面を見る。
『ゲームだけど笑』
続けて。
『一応フレンドでしょ?』
「…………」
フレンド。
確かにそうだ。
でも。
そういう意味ではなくて。
俺が言った「友達」は現実の話で。
Yuuはゲームの――。
そこまで考えて。
やめた。
『そうだな』
送信。
『でしょ!』
たった、それだけのやり取りだった。
なのに。
胸の奥に、何か小さなものが残った。
温かいような。
むず痒いような。
どう表現すればいいのか分からない感覚。
『じゃあゲームする?』
『する』
『今度こそ3連勝』
『まだ諦めてなかったのか』
『当然!』
マッチングが始まる。
いつもの画面。
いつものゲーム。
でも。
さっきまでとは、ほんの少しだけ違って見えた。
◇
翌日の昼休み。
「由香、それ何見てんの?」
「ん?」
水瀬莉央の声が聞こえた。
俺は少し離れた自分の席で弁当を食べている。
「なんかニヤニヤしてなかった?」
「してないけど?」
「してたって」
「してませんー」
「怪しい」
「何がよ」
いつもの会話。
聞くつもりはなくても、近いから聞こえる。
「昨日も遅かったんでしょ?」
「まあ、ちょっと」
「最近何してんの?」
「ゲーム」
「また?」
「悪い?」
「悪くないけど、由香ほんと好きだよね」
「面白いんだから仕方ないじゃん」
ゲーム。
俺の箸が、一瞬だけ止まった。
「…………」
そういえば黒瀬、ゲームするんだな。
知らなかった。
……まあ。
ゲームをする女子なんて珍しくもない。
それだけだ。
「最近ね、めっちゃ相性いい人見つけたの」
黒瀬の声。
「相性?」
「ゲームの話!」
「分かってるって」
「なんかね、全然喋ってないのに、こっちが何したいか分かってくれるの」
「へー」
「すごいやりやすいんだよね」
俺の箸が、また止まった。
「…………」
いや。
まさかな。
ゲーム人口が何人いると思ってるんだ。
FPSだって山ほどある。
それに黒瀬みたいな奴が、俺と同じゲームをやっているとも限らない。
「どんな人なの?」
「知らない」
「知らないの!?」
「名前も顔も知らないよ。ゲームのフレンドだもん」
「男?」
「それも知らない」
「何それ!」
二人が笑う。
俺は再び弁当を食べ始めた。
偶然だ。
似たような話なんていくらでもある。
そう思っているのに。
なぜか、ほんの少しだけ気になった。
黒瀬由香。
いつも友達に囲まれている。
明るくて。
誰とでも話せて。
俺とは正反対の人間。
そんな黒瀬と。
ゲームの中のYuu。
どう考えても結びつかない。
「…………ないな」
小さく呟いた。
「朝倉君?」
「っ!」
突然名前を呼ばれ、顔を上げる。
目の前に女子が立っていた。
小宮山琴葉。
黒瀬とよく一緒にいる女子だ。
「消しゴム、落ちてたよ」
「あ……」
俺の机の横。
確かに消しゴムが落ちている。
小宮山が拾って差し出してくれた。
「あ、ありがとう」
「うん」
それだけ言って、小宮山は戻っていった。
「…………」
危なかった。
何が危ないのか分からないけど。
俺は消しゴムを筆箱に入れる。
そして、もう一度だけ黒瀬を見る。
「由香、今日もやるの?」
「たぶん」
「ほんと好きだねー」
「だって楽しいし」
黒瀬が笑う。
俺は視線を戻した。
その日の放課後。
バイトを終えて家へ帰った俺は、いつものようにPCを起動した。
ゲームを開く。
フレンド欄。
Yuu。
オンライン。
そして数秒後。
ピコン。
『おつかれ!』
俺は少し考えてから返信した。
『おつかれ』
『今日遅かったね』
「…………」
待ってたのか?
そう聞こうとして。
やめた。
『用事』
『そっか!』
いつも通りのYuu。
俺は昼休みの黒瀬との会話を思い出す。
高校二年。
帰宅部。
ゲーム好き。
最近、相性のいいゲーム仲間ができた。
「…………」
いやいや。
そんな偶然あるわけない。
『どうした?』
Yuuからメッセージ。
『なんでもない』
『じゃあやろ!』
『了解』
俺はマッチング開始を押した。
このとき。
俺の中でほんの一瞬だけ結びついた二人の存在を、俺自身が否定した。
だって。
そんなわけがない。
ゲームの中で初めてできた友達が。
現実ではまともに話したことすらない――
クラスで一番人気の女子だなんて。
そんな出来すぎた話。
あるわけがないと思っていた。




