第2話 ゲームの中だけの友達
翌朝。
目を覚まして最初に思い出したのは、昨夜のことだった。
『よろしく! 次も一緒に1位取ろ!笑』
「…………」
ベッドの上でスマホを眺めながら、昨夜届いたメッセージを思い返す。
たったそれだけ。
ゲームでフレンドになった。
本当に、それだけのことだ。
世の中にはフレンドが何十人、何百人といる奴だっているだろう。
別に珍しくもなんともない。
ただ――。
俺にとっては、初めてだった。
「……友達、なのか?」
口に出した途端、急に恥ずかしくなった。
「いや、違うだろ」
ゲームのフレンドだ。
友達とは違う。
そもそも相手の本名すら知らない。
男なのか女なのかも知らない。
年齢だって分からない。
そんな相手を友達と呼ぶのは、さすがに違う気がする。
……でも。
フレンドを日本語にしたら、友達なんじゃないのか?
「…………」
朝から何を真剣に考えているんだ、俺は。
スマホをベッドに放り投げ、制服に着替えた。
◇
教室に入る。
「おはよー!」
「今日の一限なんだっけ?」
「数学」
「最悪!」
いつも通りの朝だった。
友達と喋っている奴。
宿題を見せ合っている奴。
朝練から戻ってきて着替えている奴。
そして、そのどれにも属さない俺。
自分の席に座って鞄を置く。
机に突っ伏す。
これもいつも通り。
「由香、昨日何時まで起きてた?」
「んー、結構遅かったかも」
「また夜更かし?」
「ちょっとね」
少し離れたところから女子の声が聞こえてきた。
黒瀬たちだ。
「だから眠そうなんだ」
「眠くないし」
「いや、さっきからあくびしてるじゃん」
「してない」
「した」
「してませんー」
楽しそうな笑い声が聞こえる。
相変わらず朝から元気だな。
俺は顔を上げることなく、ぼんやりとそんなことを考えた。
昨日ゲームでフレンドが一人増えたところで、現実の俺に何か変化があるわけじゃない。
今日も俺は一人。
黒瀬はみんなに囲まれている。
俺たちは同じ教室にいるけれど、住んでいる世界はまるで違う。
――まあ。
別に、それでいい。
◇
その日の昼休みも、一人で弁当を食べた。
放課後になれば、誰とも話さず教室を出た。
ただ、いつもと一つだけ違うことがあった。
今日はバイトがない。
だから――。
「…………」
自転車を漕ぐ速度が、いつもより少し速かった。
いや。
別に急いでいるわけじゃない。
家に帰ったところで、やることはゲームくらいだ。
信号が青だった。
それだけ。
たまたま道が空いていた。
それだけ。
そういうことにしておく。
「ただいま」
返事はない。
母さんはまだ仕事だ。
制服から部屋着に着替える。
鞄を置く。
いつもなら冷蔵庫を開けたり、ベッドに寝転がってスマホを触ったりする。
今日はその前にPCの電源を入れた。
ゲームを起動する。
フレンド欄を開く。
「…………」
Yuu。
オフライン。
「……そりゃそうか」
まだ夕方だ。
学生なのか社会人なのかすら知らない。
いつログインするのかも分からない。
「別に待ってるわけじゃないし」
昨日に続いて、誰に対するものか分からない言い訳をする。
一人でデュオを始めた。
一試合目。
野良の味方が一人で突っ込んで、開始五分で全滅。
二試合目。
今度は悪くなかった。
最終盤まで残ったものの、三位。
三試合目。
味方と行きたい方向が噛み合わない。
俺がピンを刺しても、相手は別方向へ走っていく。
「そっち行くのかよ……」
仕方なく追いかける。
その先で敵二人に挟まれて終了。
「…………」
結果画面を眺める。
別に珍しいことじゃない。
野良なんてこんなものだ。
今までは、それで何とも思わなかった。
なのに今日は妙にやりづらく感じる。
「……昨日がやりやすすぎたのか」
俺が考えるより先にYuuが動く。
逆に、Yuuが何をしたいのかも何となく分かる。
あれに慣れてしまったせいだ。
次のマッチへ進もうとして――。
ピコン。
画面の隅に通知が表示された。
Yuuがオンラインになりました。
「…………」
思わずマウスが止まった。
フレンド欄を開く。
確かにいる。
Yuu。
オンライン。
さて。
どうする。
昨日フレンドになったんだから、誘ってもいいはずだ。
むしろフレンドになったのに一度も誘わない方がおかしい。
でも。
「…………」
誘うボタンにカーソルを合わせる。
押せない。
何だこれ。
学校でクラスメイトに話しかけるのと大して変わらないじゃないか。
もし向こうが別の人とやるつもりだったら?
ログインしただけで、まだプレイする気じゃなかったら?
誘って断られたら?
「いや、ゲームだぞ……」
何をこんなに緊張してるんだ。
昨日向こうからフレンド申請してきたんだから、嫌われているわけではない。
たぶん。
いや、絶対そうだろ。
……たぶん。
そんなことを考えているうちに――。
ピコン。
「うわっ」
突然の通知に変な声が出た。
画面を見る。
Yuuからパーティーへの招待が届きました。
「…………」
数秒固まる。
それから、承認。
すぐにYuuがパーティーへ入ってきた。
チャット欄が光る。
『こんばんは!』
俺もキーボードを叩く。
『こんばんは』
『今日できる?』
『できる』
送信。
数秒後。
『じゃあ昨日の続き!』
『続き?』
『1位取るやつ!笑』
「……覚えてたのか」
思わず口元が緩む。
『了解』
そう返した。
◇
そこから二時間。
俺たちはひたすらゲームをした。
一試合目。
二位。
『惜しい!』
『最後俺が前出すぎた』
『いや私もついていけばよかった』
私?
「…………女?」
一瞬、手が止まった。
いや。
一人称が「私」だからといって女とは限らない。
ネットだ。
深く考えない方がいい。
二試合目。
四位。
三試合目。
――一位。
勝利画面が表示された瞬間、チャットが飛んでくる。
『きたーーーー!』
「テンション高いな……」
『ほんとに取れた笑』
俺も返す。
『昨日も取ってるだろ』
『今日はフレンドになってから初1位だから別!』
「……そういうもんなのか?」
『じゃあ記念?』
『そう!記念!』
画面を見ながら、俺は小さく笑った。
ゲームのチャットでこんなに会話したのは初めてだった。
今まで野良の相手と話すとしても、
『敵いる』
『ありがとう』
『ごめん』
その程度。
必要なことしか打たなかった。
でもYuuとは違う。
試合と試合の間にも、どうでもいい話をする。
『さっきの武器強くない?』
『強いけど反動きつい』
『私あれ全然当たらない笑』
『練習すればいける』
『急に先生みたいなこと言うじゃん』
『じゃあ使わなくていい』
『見捨てるの早すぎ笑』
「…………」
楽しい。
そう思った。
たった数行の文字をやり取りしているだけなのに。
次の試合が始まる。
Yuuがピンを刺す。
俺が了承する。
同じ場所へ降りる。
敵を見つける。
戦う。
助ける。
助けられる。
勝てば喜ぶ。
負ければ反省する。
そして、また次の試合へ。
それだけ。
それだけなのに。
気がつけば時計は午後十時を過ぎていた。
『そろそろ終わる?』
Yuuからメッセージが来る。
『どっちでも』
『明日あるし今日は終わろっかな』
『了解』
明日。
ということは、学生か?
いや、仕事かもしれない。
『今日はありがと!』
『こちらこそ』
そこで会話が止まる。
「…………」
終わりか。
そう思ったとき、もう一度通知が来た。
『明日もいる?』
俺はその文章を見つめた。
『たぶん』
『じゃあ見つけたら誘う!』
返信しようとして、指が止まる。
見つけたら誘う。
それはつまり。
俺がゲームを始めたら、それに気づく人がいるということだ。
俺がログインしているかどうかを、確認する人がいる。
たったそれだけのことなのに。
妙な感じがした。
『分かった』
送信。
『おやすみ!』
『おやすみ』
Yuuがオフラインになる。
静かになった画面を眺める。
さっきまで何度も光っていたチャット欄も、もう動かない。
「……明日も、か」
呟いてからPCを落とした。
◇
翌朝。
いつものように教室へ入る。
自分の席へ向かう。
途中、何人かのクラスメイトとすれ違った。
誰とも話さない。
誰にも話しかけられない。
席に座る。
いつもなら、そのまま机に突っ伏す。
でも今日は――。
「…………」
スマホを取り出した。
ゲームのアプリを開く。
フレンド欄。
Yuu。
当然、オフライン。
学校なんだから当たり前だ。
俺はスマホを閉じた。
「由香、おはよ!」
「おはよー」
教室の入口から聞き慣れた声がする。
黒瀬由香が入ってきた。
水瀬莉央と何かを話しながら、自分の席へ向かう。
「由香、今日めっちゃ眠そう」
「昨日ちょっと遅くまで起きてて」
「また?」
「うん。楽しくて、つい」
「何してたの?」
「んー?」
黒瀬が少し考えて。
笑った。
「秘密。」
「何それ、怪しい!」
「怪しくないって!」
女子たちが笑う。
俺はその会話を聞きながら、机に突っ伏した。
別に興味はない。
クラスで一番人気の女子が昨日何をしていたところで、俺には何の関係もない。
俺が考えていたのは、まったく別のことだった。
今日、バイトはない。
帰ったらゲームをしよう。
ログインしたら――。
きっと、あいつが来る。
そう考えるだけで。
今までただ過ぎていくだけだった学校の一日が、ほんの少しだけ短く感じた。
俺はまだ知らない。
放課後を楽しみにする理由になり始めた相手が、今この瞬間、同じ教室にいることを。
そして。
俺が初めてできた「ゲームの中だけの友達」と交わす言葉が、少しずつゲームの外へ広がっていくことも――。
このときは、まだ。




