第1話 友達なんて、いらない
友達なんて、別にいらない。
負け惜しみでもなければ、強がりでもない。
……いや。
もしかすると、ほんの少しくらいは強がっているのかもしれない。
でも、一人でいることに慣れてしまえば、案外どうということはない。
誰かに合わせる必要もない。
興味のない話に笑う必要もない。
休みの日に遊びに誘われて、行くかどうか悩む必要もない。
そう考えれば、一人というのは思っている以上に気楽なものだ。
だから俺――朝倉湊は、今日も一人で机に突っ伏している。
「陽斗! 昨日の試合どうだった?」
「聞く? 普通に勝った」
「うっざ。聞かなきゃよかった」
「いや聞いたのお前じゃん!」
朝から教室は騒がしい。
机に伏せて目を閉じていても、あちこちから声が聞こえてくる。
部活の話。
昨日見た動画の話。
今日の放課後どこへ行くか。
そんな、俺にはあまり縁のない話ばかりだ。
ちなみに寝てはいない。
寝たふりをしているだけだ。
高校生にもなって何をしているんだと思われるかもしれない。
だが、これが意外と便利なのである。
休み時間に一人でスマホを触っていると、なんとなく「一人でいる奴」という感じがする。
ところが机に突っ伏していれば、
『あいつは一人なんじゃない。寝ているから誰とも話していないだけだ』
という謎の言い訳が成立する。
誰に対する言い訳なのかは、俺にも分からない。
「おはよー!」
教室の入口から、よく通る女子の声が聞こえた。
「由香、おはよ!」
「おはよ。今日暑くない?」
「分かる! 朝から最悪なんだけど」
閉じていた目を、ほんの少しだけ開ける。
黒い髪が視界を横切った。
黒瀬由香。
同じクラスの女子だ。
長い黒髪に、整った顔立ち。
身長は女子の平均くらいだろうか。
見た目がいいだけなら、ここまで目立ってはいなかったと思う。
黒瀬はとにかく人当たりがいい。
男女で態度を変えることもないし、誰とでも普通に話す。
だから自然と人が集まってくる。
「黒瀬、今日暇?」
「なに、その聞き方」
「部活ないじゃん」
「帰宅部にも予定くらいありますー」
「絶対ないだろ」
「失礼すぎない?」
また笑い声が起こる。
いわゆるクラスの中心人物。
俺とは正反対の人間だ。
別に羨ましいとは思わない。
ああいう輪の中に入れと言われても、五分と持たない自信がある。
俺は再び目を閉じた。
黒瀬由香。
俺にとっては、それだけの存在だった。
◇
昼休み。
俺は自分の席で弁当箱を開いた。
母親が作ってくれた弁当だ。
卵焼き。
唐揚げ。
ブロッコリー。
昨日の夕飯の残り。
毎日似たようなものだけど、不満はない。
スマホを机の上に置き、適当な動画を流しながら箸を動かす。
周囲では机が次々とくっつけられていく。
「琴葉、こっち」
「あ、うん」
「由香、それ一個ちょうだい」
「嫌」
「即答!?」
「昨日も取ったじゃん」
「一個くらいいいじゃん!」
「じゃあ莉央の卵焼きと交換」
「えー」
楽しそうだな、とは思う。
でも、それだけだ。
俺には俺の過ごし方がある。
そう自分に言い聞かせながら、イヤホンの音量を一つ上げた。
俺がこの学校に入学して、一年以上が経った。
県内でも名前を知られている進学校。
勉強だけでなく部活動にも力を入れていて、全校生徒の九割近くが何かしらの部に所属しているらしい。
俺は残りの一割。
帰宅部だ。
別にやりたい部活がなかったわけではない。
中学の頃は、少しくらい高校の部活にも憧れていた。
でも、中学三年のときに両親が離婚した。
今は母親と二人で暮らしている。
生活できないほど困っているわけじゃない。
それでも、母親一人に全部を頼るのは嫌だった。
部活をすれば金がかかる。
道具代。
遠征費。
部費。
それに放課後の時間もなくなる。
だから入らなかった。
代わりに、高校に入って少ししてからアルバイトを始めた。
もちろん――学校には秘密だ。
◇
放課後。
最後のホームルームが終わった瞬間、教室の空気が変わる。
「陽斗、部活行こうぜ!」
「先行ってて!」
「由香ー、駅前寄ろ!」
「今日無理ー!」
「なんで?」
「用事ある!」
椅子を引く音。
笑い声。
廊下を走る足音。
数分もすれば、教室に残っている人数は半分以下になった。
俺も鞄を肩に掛ける。
「…………」
誰かに「また明日」と言うこともない。
誰かから「また明日」と言われることもない。
そのまま教室を出た。
これが俺の日常だ。
寂しいと思ったことは――。
……まあ。
なくはない。
ただ、今さらどうすればいいのか分からない。
高校二年生にもなって、
『今日から友達になってください』
なんて言えるわけがないだろう。
そもそも俺は人見知りだ。
相手から話しかけてくれれば、最低限は喋れる。
でも自分から話しかけるとなると、急激に難易度が上がる。
そして友達を作るには、たぶん自分から動かなければならない。
だったら――。
「別に、いなくてもいいだろ」
誰にも聞こえない声で呟いた。
◇
学校から自転車で十五分。
住宅街の一角に、その店はある。
小さな個人経営のカフェだ。
俺は店の裏口から中へ入った。
「おはようございます」
「お、湊君。お疲れ」
「今日、混んでます?」
「今のところはね。でも夕方から予約入ってるからよろしく」
「分かりました」
更衣室で制服を脱ぎ、白いシャツに黒いエプロンを着ける。
鏡の前で髪を軽く整えた。
学校の奴に見つかったら、かなり面倒なことになる。
うちの学校は原則としてアルバイト禁止。
家庭の事情によっては許可が出るらしいが、申請するつもりはなかった。
余計な詮索をされたくない。
「朝倉君、三番テーブルお願い!」
「はい」
トレーを持つ。
「お待たせしました。アイスコーヒーとカフェラテです」
学校では一日誰とも喋らないことがあるのに、バイトでは普通に接客する。
我ながら変な話だ。
でも仕事なら話す内容が決まっている。
何を話せばいいか考えなくていい。
だから楽なのだ。
◇
午後八時四十七分。
「ただいま」
「おかえりー」
リビングから母親の声がする。
「ご飯あるよ」
「ん」
「温める?」
「自分でやる」
「今日どうだった?」
「普通」
「そ」
会話終了。
別に仲が悪いわけじゃない。
俺たち親子は昔からこんな感じだ。
夕飯を済ませ、風呂に入り、自分の部屋へ戻る。
時刻は午後十時過ぎ。
鞄を床に置く。
椅子に座る。
そしてPCの電源を入れた。
低い起動音とともにモニターが明るくなる。
「…………さて」
たぶん今日初めて、自分から喋った言葉だった。
ゲームを起動する。
最近ハマっているのは、バトルロイヤル形式のFPS。
広大なフィールドに降り、武器やアイテムを集めながら敵を倒し、最後まで生き残れば勝ち。
ルールだけなら単純だ。
でも実際には、エイムだけでは勝てない。
どこへ降りるか。
どこで戦うか。
どこで退くか。
敵がどこから来るか。
味方が何をしようとしているのか。
瞬間的に考えなければならないことが山ほどある。
そこが面白い。
俺のプレイヤーネームは――Nagi。
特に深い意味はない。
デュオを選択する。
二人一組で最後の一組を目指すモードだ。
俺はボイスチャットをOFFにした。
知らない相手といきなり喋るなんて、学校で話しかけるよりハードルが高い。
マッチング開始。
数秒後、相方の名前が表示された。
『Yuu』
「……あ」
見覚えがある。
確か数日前にも一度組んだ。
いや、二度だったか?
開始地点を決める画面で、Yuuがマップ上にピンを刺した。
俺も了承のピンを返す。
試合開始。
二人で同じエリアへ降下した。
建物へ飛び込み、武器を拾う。
銃声。
近い。
Yuuが敵の位置にピンを刺した。
俺は正面へ向かわず、隣の建物へ移る。
窓から外を見る。
いた。
Yuuが正面から撃つ。
敵が遮蔽物へ逃げ込む。
その瞬間、俺は横から撃った。
一人目。
続けてもう一人。
Yuuが詰める。
俺は少し後ろからカバー。
敵がYuuへ銃口を向けた瞬間に撃つ。
撃破。
「……やっぱ、やりやすいな」
思わず呟いた。
もちろん相手には聞こえない。
Yuuがその場でキャラクターを左右に動かす。
ゲーム内でよく使われる簡単な意思表示。
俺も同じように返した。
試合はそのまま進んだ。
残り十組。
五組。
三組。
最後の戦闘。
俺が敵を見つける。
ピンを刺す。
するとYuuは、俺が考えていた通りの方向へ走った。
「……分かってんのか?」
敵を左右から挟む。
俺が一人を削る。
Yuuが仕留める。
残り一人。
遮蔽物から飛び出してきた敵へ、ほぼ同時に銃弾を浴びせる。
数秒後。
画面中央に大きな文字が表示された。
WINNER
「よし」
小さく拳を握る。
戦績画面を開く。
ふと、過去のマッチ履歴が目に入った。
Yuu。
その数日前にも――Yuu。
「……またこいつか」
偶然だ。
レートが近ければ、同じ時間帯にプレイしている人間と何度かマッチすることはある。
でも。
このYuuというプレイヤーと組んだ試合は、妙に成績がいい。
何より――。
「楽なんだよな」
喋らなくても分かる。
俺が前へ出ればカバーしてくれる。
Yuuが攻めれば、俺が自然とその隙を埋められる。
ゲームで相性がいい、というやつなのだろう。
とはいえ、名前も知らない。
男か女かすら知らない。
たまたま何度か組んだだけの他人だ。
俺は次のマッチへ進んだ。
◇
翌日も。
その翌日も。
俺は学校では相変わらず一人だった。
昼休みになれば一人で弁当を食べる。
休み時間になれば寝たふり。
授業が終われば、そのまま帰る。
何も変わらない。
ただ――。
バイトのない日は、少しだけ早くPCを起動するようになった。
「…………」
マッチング。
知らない名前。
もう一度。
違う。
「いや、別に待ってるわけじゃないけど」
誰に言い訳しているのか分からない。
そもそもフレンドですらない。
偶然何度か組んだだけだ。
それなのに。
画面に『Yuu』という名前が出ると、少しだけ嬉しくなった。
その日も数試合プレイした。
Yuuとは当たらなかった。
時計を見る。
午後十一時十二分。
「今日はもういいか」
ゲームを終了しようとした――そのときだった。
ピコン。
「ん?」
画面右上に通知が表示された。
メッセージを受信しました。
送り主を見た瞬間、マウスを握る手が止まった。
Yuu
「…………」
メッセージを開く。
『いきなりすみません! 最近結構パーティーになること多いですよね!』
続きが表示される。
『2人で組んだ時、ほぼ毎回1位なの気づいてました?笑』
「……気づいてたんだ」
そして最後。
『よかったらフレンド登録しませんか?』
俺は、その一文をしばらく見つめていた。
フレンド。
ゲーム用語でしかない。
登録したからといって、何かが変わるわけじゃない。
それでも――妙に、その言葉が引っかかった。
学校で一人で食べる弁当。
休み時間の寝たふり。
誰とも話さずに出ていく教室。
そんな光景が頭をよぎる。
友達なんていらない。
一人の方が楽だ。
そう思っていた。
今だって、たぶんそうだ。
画面には二つの選択肢。
承認する。
拒否する。
カーソルを動かす。
一瞬だけ迷って――。
クリックした。
『Yuuとフレンドになりました』
「…………」
たったそれだけの文字。
なのに。
なぜだろう。
少しだけ嬉しかった。
チャット欄を開く。
文章を打つ。
『こちらこそ。よろしく』
送信。
すぐに返事が来た。
『よろしく! 次も一緒に1位取ろ!笑』
「……次もやる気なのかよ」
思わず笑ってしまった。
そのときの俺は、まだ知らなかった。
ゲームの中だけとはいえ、俺にとって初めて「友達」と呼べるようになるこの相手が――。
毎朝、同じ教室に来て。
数メートルしか離れていない場所で友達と笑って。
俺とは一度もまともに話したことのない――。
クラスで一番人気の女子だということを。




