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離婚を前提に結婚してください!  作者: 春野清花


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9/17

第八話:小さな悪意

 婚約者というものは。


 思っていたよりも、頻繁に顔を合わせるものらしい。


 少なくとも、マリアネラにとってはそうだった。


 婚約を交わす前。


 フェルナンドとは、デビュタントで初めて言葉を交わした。


 それ以前は、互いの存在を知っているだけ。


 それが今では。


 夜会や晩餐会があれば、フェルナンドが迎えに来る。


 リュミエール公爵家へ赴けば、当然のように顔を合わせる。


 手紙も届く。


 内容は相変わらず、日時と用件が過不足なく記された連絡事項のようなものだったが。


「…………」


 マリアネラは、馬車の窓から外を眺めた。


 今日もまた。


 向かいにはフェルナンドが座っている。


 今夜は、ある侯爵家が主催する夜会だった。


 約束通り。


 フェルナンドはヴァレンティン男爵邸まで迎えに来た。


 その隣には、護衛としてエルネストもいる。


 いつもと同じ。


 何も変わらない。


 はずだった。


「マリアネラ嬢」


「何?」


「お疲れですか?」


「え?」


 思わず。


 フェルナンドを見る。


「どうして?」


「いつもより静かですので」


「…………」


 言われて。


 マリアネラは瞬いた。


 自分では。


 普段と変わらないつもりだった。


「別に。少し眠いだけよ」


「そうですか」


「ええ」


 フェルナンドは、それ以上聞かなかった。


 マリアネラも。


 再び窓の外へ目を向ける。


「…………」


 ただ。


 少しだけ。


 気になった。


(……この人、そんなことに気づくのね)


 フェルナンドは。


 人に興味がない。


 少なくとも。


 本人はそう言っているし、マリアネラもそう思っている。


 社交の場で令嬢たちに囲まれていても。


 誰が何を身につけているのか。


 誰がどんな髪型をしているのか。


 そんなことには、ほとんど関心を示さない。


 なのに。


 自分がいつもより静かなことには。


 気づいた。


「…………」


 何となく。


 落ち着かない。


「マリー」


 隣から。


 低い声がした。


「何、兄様」


「本当に眠いだけか?」


「そうよ」


「ならいいが」


「…………」


 危ない。


 こちらは。


 少しでも余計なことを言えば。


 面倒になる。


 最近。


 社交の場へ出るたび。


 アレハンドラたちから、似たような言葉を投げかけられている。


 フェルナンドには言っていない。


 両親にも。


 そして。


 エルネストには、特に言っていない。


 言うつもりもない。


 あの程度。


 自分で対処できる。


 そもそも。


 自分がフェルナンドの婚約者になったことで起きていることなのだ。


 いちいち誰かに助けを求めるほどでもない。


「…………」


 そう。


 大したことではない。


 マリアネラは。


 そう思っていた。


 ◇◇◇


 夜会そのものは。


 特に問題なく終わった。


 アレハンドラたちの姿もあったが。


 フェルナンドがほとんどマリアネラの傍にいたこともあり、直接言葉を交わす機会はなかった。


 それから数日後。


 マリアネラは、別の茶会へ招かれた。


 今度も。


 若い令嬢を中心とした昼の茶会である。


 庭園にはいくつものテーブルが置かれ。


 菓子と茶が並ぶ。


 マリアネラも、何人かの令嬢と挨拶を交わした。


 婚約してから。


 こうした場で声をかけられることも増えた。


 純粋に興味を持つ者。


 リュミエール公爵家との縁を期待する者。


 そして。


 フェルナンドとの婚約そのものを面白く思わない者。


 理由は。


 それぞれだった。


「マリアネラ様」


 声をかけられ。


 振り返る。


 銀色の瞳が。


 こちらを見ていた。


「イルムヒルデ様」


「ごきげんよう」


「ごきげんよう」


 アルヴェーヌ辺境伯家の令嬢。


 イルムヒルデ・アルヴェーヌ。


 次期当主でもある。


 先日の茶会で。


 アレハンドラがマリアネラの肩へわざとぶつかった時。


 少し離れた場所から。


 こちらを見ていた。


 だが。


 それについて。


 イルムヒルデが何かを言うことはなかった。


「こちら、空いている?」


「え?」


 イルムヒルデが示したのは。


 マリアネラの隣の席だった。


「ええ。空いているけれど」


「では、失礼するわ」


「…………」


 ごく自然に。


 座った。


 マリアネラも。


 少し遅れて腰を下ろす。


「意外そうね」


「……少し」


「正直なのね」


「あなたも、随分はっきり言うのね」


「そうかしら」


「そうよ」


 イルムヒルデが笑った。


 小さく。


 けれど。


 先日の社交辞令の笑みとは違った。


「あなた」


「何?」


「先日も思ったのだけれど」


「ええ」


「随分、はっきり仰るのね」


「……何か問題でも?」


「いいえ」


 銀色の瞳が。


 わずかに細くなる。


「嫌いではないわ」


「…………」


 マリアネラは。


 少しだけ目を瞬いた。


「そう」


「ええ」


 それから。


 二人は話した。


 領地のこと。


 最近読んだ本のこと。


 社交のこと。


 イルムヒルデは。


 次期辺境伯として、既に領地経営について学んでいる。


 マリアネラも。


 かつて自分がヴァレンティン家を継ぐ可能性を考え、同じようなことを学んできた。


 そのため。


 思っていた以上に。


 話が合った。


「アルヴェーヌ領では、その方法を?」


「ええ。ただ、冬が長い地域だから、王都周辺と同じ方法では上手くいかないの」


「なるほど……」


「ヴァレンティン領では?」


「うちはそこまで寒くないから……」


 気づけば。


 しばらく話し込んでいた。


「随分、楽しそうですこと」


 その声に。


 マリアネラは顔を上げた。


 アレハンドラ。


 その後ろには。


 ビクトリアとルシアがいる。


「アレハンドラ様」


「イルムヒルデ様も、こちらにいらしたのですね」


「ええ」


 イルムヒルデは。


 何でもないことのように答えた。


「マリアネラ様と話していたところよ」


「……そうでしたの」


 アレハンドラの視線が。


 一瞬だけ。


 マリアネラへ向く。


「随分、交友関係がお広くなられましたのね」


「そうかしら」


「リュミエール公爵家のご婚約者ともなれば、皆様からお声がかかるのでしょうね」


「…………」


 またか。


「そういう方もいらっしゃるでしょうね」


「まあ」


 アレハンドラが笑う。


「羨ましいこと」


「…………」


 マリアネラは。


 茶を一口飲んだ。


 以前なら。


 何か返していたかもしれない。


 けれど。


 最近は。


 少し。


 面倒になってきた。


「アレハンドラ様」


「何?」


 ルシアが口を開いた。


「そろそろ、向こうへ参りません?」


「……そうね」


 アレハンドラは。


 少し不満そうに。


 それでも頷いた。


「では、失礼いたしますわ」


「ええ」


 三人が離れていく。


 その背中を見送り。


「…………」


 マリアネラは息を吐いた。


「苦手なの?」


「え?」


「彼女たち」


「…………」


 少し考える。


「面倒ではあるわね」


「そう」


「嫌いというほどでもないけれど」


「随分、寛大なのね」


「そうかしら」


「私なら、もう少し腹を立てていると思うわ」


「…………」


 イルムヒルデは。


 それ以上。


 何も聞かなかった。


 先日のことも。


 今のことも。


 ただ。


 マリアネラの隣から。


 動かなかった。


 ◇◇◇


 それからしばらくして。


 マリアネラは席を立った。


 顔見知りの令嬢に呼ばれ。


 少し離れた場所で話をする。


 ほんの。


 数分だった。


 席へ戻り。


 テーブルの上へ手を伸ばす。


「…………?」


 止まった。


 扇。


 小さな鞄。


 そして。


「……ない」


 手袋が。


 片方。


 ない。


 マリアネラは周囲を見る。


 椅子の下。


 テーブルの下。


 足元。


 ない。


「どうしたの?」


 イルムヒルデが尋ねる。


「手袋が片方ないの」


「手袋?」


「ここに置いたはずなのだけれど」


 二人で周囲を見る。


 それでも。


 見つからない。


「どこかへ落とされたのでは?」


 声がした。


 振り返ると。


 ルシアが立っていた。


 その少し後ろには。


 アレハンドラとビクトリア。


「落とした……?」


「先ほど移動された時に」


「でも、両方ともここへ置いたわ」


「そうでしたの?」


「ええ」


「では……」


 ルシアが言葉に詰まる。


「まあ」


 アレハンドラが。


 少し離れた植木の傍へ歩いた。


「こちらではなくて?」


「…………」


 その手に。


 白い手袋。


 マリアネラのものだった。


「こんなところに落ちていましたわ」


「…………」


 マリアネラは。


 手袋を見る。


 次に。


 自分が座っていた席を見る。


 離れている。


 風で飛んだ。


 そう考えられなくもない。


 だが。


 今日は。


 ほとんど風がない。


「随分そそっかしいのね、マリアネラ様」


 アレハンドラが笑う。


「公爵夫人になられるのでしたら、もう少しお気をつけになった方がよろしくてよ」


「…………」


 マリアネラは。


 差し出された手袋を受け取った。


「ありがとう」


「いいえ」


 アレハンドラは。


 笑っている。


 マリアネラも。


 何も言わなかった。


 ただ。


 手袋を見つめた。


 先日の。


 肩。


 そして。


 今日の。


 手袋。


「…………」


 なるほど。


 そういうことか。


 これまでの嫌味だけなら。


 フェルナンドへの想いが叶わなかった令嬢が、面白く思っていない。


 その程度だと思っていた。


 けれど。


 どうやら。


 少し違うらしい。


 自分を困らせるために。


 意図して。


 何かをしている。


 そう考えた方が。


 自然だった。


「マリアネラ様」


 イルムヒルデが呼ぶ。


「何?」


「……いいえ」


 銀色の瞳が。


 アレハンドラを見る。


 だが。


 イルムヒルデも。


 何も言わなかった。


 今は。


 ◇◇◇


「……ねえ」


 茶会の終わり。


 ビクトリアが。


 ルシアへ声をかけた。


「何?」


「最近、どうしたの?」


「何が?」


「何だか、変よ」


「…………」


「さっきも」


「何でもないわ」


「そう?」


「ええ」


 ルシアは。


 笑った。


 上手く。


 笑えたつもりだった。


 けれど。


 頭の中には。


 先ほどの光景が残っている。


 マリアネラの手袋。


 アレハンドラが見つけた場所。


「…………」


 おかしい。


 そう思った。


 マリアネラは。


 確かに。


 両方ともテーブルへ置いたと言った。


 なら。


 何故。


 あんなところにあったのか。


 そして。


 少し前。


 マリアネラが席を離れた時。


 アレハンドラも。


 一度。


 席を外していた。


「…………」


 まさか。


 そう思う。


 けれど。


 聞けない。


 聞いて。


 もし。


 その通りだったら。


「ルシア?」


「……何でもないわ」


 もう一度。


 そう答えた。


 少し離れた場所では。


 マリアネラが帰り支度をしている。


 その表情は。


 いつもと変わらない。


 怒っているようにも。


 困っているようにも見えない。


 けれど。


 ルシアには。


 もう。


 先日のように。


 ただ笑って見ていることができなかった。


 ◇◇◇


「今日はどうでした?」


 帰りの馬車。


 向かいに座るフェルナンドが尋ねた。


「何が?」


「茶会です」


「普通よ」


「そうですか」


「ええ」


 マリアネラは。


 窓の外を見る。


 膝の上には。


 白い手袋。


 あの後。


 汚れていないことだけは確認した。


「…………」


 フェルナンドが。


 こちらを見ている。


「何?」


「いえ」


「何よ」


「やはり、少しお疲れなのでは?」


「…………」


「先日もそうでしたので」


「眠いだけよ」


「今日も?」


「そうよ」


「…………」


 フェルナンドは。


 少しだけ。


 目を細めた。


「そうですか」


「ええ」


 それ以上は。


 聞いてこなかった。


 マリアネラは。


 少しだけ。


 安心した。


 これくらい。


 自分で何とかできる。


 フェルナンドに言う必要はない。


 婚約者だからといって。


 何もかも。


 頼る必要はない。


「…………」


 向かいで。


 フェルナンドは何も言わない。


 ただ。


 以前より少しだけ。


 長く。


 マリアネラを見ていた。


 ◇◇◇


 その日の夜。


 ルシアは。


 寝台に入ってからも。


 なかなか眠れなかった。


 思い出す。


 先日の。


 アレハンドラが、マリアネラの肩へぶつかった時のこと。


 そして。


 今日。


 なくなった手袋。


「…………」


 最初は。


 自分も同じだった。


 面白くなかった。


 フェルナンドが婚約したことが。


 その相手が。


 自分ではなかったことが。


 だから。


 アレハンドラたちと一緒に。


 嫌味を言った。


 男爵令嬢が。


 公爵家へ嫁ぐ。


 きっと苦労する。


 分不相応なのではないか。


 そんな言葉を。


 笑いながら。


 口にした。


 けれど。


 肩をぶつけることと。


 物を隠すことは。


 同じなのだろうか。


「…………」


 違う。


 そう思う。


 では。


 嫌味なら。


 よかったのか。


「…………」


 分からない。


 分からなくなってきた。


 ただ。


 一つだけ。


 はっきりしていることがある。


 次に。


 同じようなことが起きた時。


 自分は。


 もう。


 笑って見ていることはできない。


 ルシアは。


 目を閉じた。


 それでも。


 眠りにつくまでには。


 随分と時間がかかった。


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