↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
離婚を前提に結婚してください!  作者: 春野清花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/15

第二話:なぜ私はここにいるのだろう

 何故、私はここに居るのだろう。


 マリアネラ・ヴァレンティンは、目の前に置かれた紅茶を見つめながら、先ほどからずっと同じことを考えていた。


 場所は、リュミエール公爵邸。


 王都でも指折りの名門である、リュミエール公爵家の屋敷。


 その応接室である。


「お口に合いませんでしたか?」


「い、いいえ! とても美味しいです」


 向かいに座るリュミエール公爵夫人に声をかけられ、マリアネラは慌てて顔を上げた。


 上品な微笑みを浮かべた公爵夫人は、「それならよかったわ」と柔らかく笑う。


 隣にはリュミエール公爵。


 こちらも穏やかな表情を浮かべている。


 二人とも親切だ。


 歓迎されていることも分かる。


 だからこそ。


 余計に分からない。


 何故、私はここに居るのだろう。


 数日前。


 ヴァレンティン男爵家へ、一通の招待状が届いた。


 差出人は、リュミエール公爵夫妻。


 宛名は。


 マリアネラ・ヴァレンティン。


 何度確認しても、自分だった。


「……私?」


 思わずそう呟いたマリアネラの横から、兄であるエルネストが招待状を覗き込んだ。


「リュミエール公爵家から?」


「ええ」


「…………」


「何、その顔」


「いや」


 エルネストは少し考え込むように黙った。


「何か知っているの?」


「知っているわけではないが……」


「では、何?」


「…………もしかして、あの時の……?」


「あの時?」


「いや。まさかな」


「何なのよ」


 結局、エルネストはそれ以上教えてくれなかった。


 両親に尋ねても、心当たりはないという。


 ただし。


 公爵家から正式な招待を受けた以上、理由が分からないからと断るわけにもいかない。


 母からは、


「失礼のないようにね」


 と念を押され。


 父からは、


「何かあればエルネストもいる」


 と言われ。


 当のエルネストからは、


「……まあ、悪いことにはならないと思う」


 という、妙に歯切れの悪い言葉をもらった。


 そして今日。


 マリアネラはリュミエール公爵邸へやって来た。


 来てしまった。


 しかし、到着してからしばらく経っても、招待された理由が一向に分からない。


 公爵夫人は最近の社交界について話し。


 公爵はヴァレンティン家の近況を尋ね。


 マリアネラも令嬢として失礼のないよう答える。


 普通だ。


 あまりにも普通のお茶会だった。


 ただ。


 時折、公爵夫妻が意味ありげに視線を交わしているような気がする。


 気のせいだろうか。


「先日のデビュタントはいかがでした?」


 公爵夫人が尋ねた。


「とても華やかで、少し驚きました」


「初めてですものね」


「はい。人の多さには少し疲れましたけれど」


「まあ」


 公爵夫人が楽しそうに笑う。


「では、気になる殿方とお話しする余裕もなかったのかしら」


「気になる殿方、ですか?」


「ええ」


「特には……」


 マリアネラは首を傾げた。


 何人かの令息とは話した。


 しかし、名前と顔が一致する相手はそれほど多くない。


「そう」


 公爵夫人が微笑む。


 何故だろう。


 少し嬉しそうに見えた。


「あなた」


「ああ」


 公爵夫妻がまた視線を交わす。


 絶対に何かある。


 マリアネラがそう確信しかけた、その時だった。


「失礼します」


 扉が開いた。


 聞き覚えのある声に振り返る。


 淡い亜麻色の髪。


 紫水晶を思わせる瞳。


 先日のデビュタントでも、ひときわ多くの視線を集めていた青年。


 フェルナンド・フォン・リュミエールだった。


「父上、母上。お呼びでしょうか」


「ええ。入りなさい」


「では、失礼して……」


 言いながら室内へ入ってきたフェルナンドが、マリアネラを見た。


 足が止まる。


「…………」


 マリアネラも見返した。


「…………」


 数秒。


 沈黙が落ちた。


「……なぜ、あなたが?」


 それはこちらの台詞ですわ。


 危うく口から出そうになった言葉を、マリアネラは飲み込んだ。


 公爵令息に向かって初手から喧嘩を売るわけにはいかない。


「ごきげんよう、フェルナンド様」


「……ごきげんよう、マリアネラ嬢」


 名前を覚えられていた。


 少し意外だった。


 デビュタントでは、まともに話してすらいない。


 ほんの一瞬、目が合っただけだ。


「私たちがお招きしたのよ」


 公爵夫人が答えた。


「それは見れば分かります」


「あら」


「私がお聞きしたいのは、なぜマリアネラ嬢を招いたのかということですが」


「それはこちらが聞きたいです」


「え?」


「あ」


 出た。


 マリアネラは口元を押さえた。


 今度は飲み込めなかった。


 フェルナンドが瞬きをする。


 公爵夫人が扇で口元を隠した。


 公爵は顔を逸らしている。


 肩が少し揺れているように見えるのは、気のせいであってほしい。


「……失礼いたしました」


「いえ」


 フェルナンドは特に気を悪くした様子もなく、マリアネラを見た。


「あなたも理由をご存じないのですか?」


「はい。突然ご招待いただきましたので」


「そうですか」


 フェルナンドの視線が両親へ向く。


「父上」


「何だ」


「説明していただけますか?」


「せっかく同じ年頃なのだから、親交を深めてもらおうと思ってな」


「なぜです?」


「理由が必要か?」


「必要でしょう」


「そういうところだぞ」


「何がです?」


 公爵が額を押さえた。


 マリアネラは黙って紅茶へ口をつける。


 何だろう。


 この会話。


 どこかで聞いたことがあるような気がする。


 兄と父が話している時も、たまにこんな空気になる。


「まあまあ」


 公爵夫人が手を叩いた。


「今日はお天気もいいですし、せっかくマリアネラ嬢にいらしていただいたのですもの」


 嫌な予感がした。


「二人で庭を散歩でもしてきては?」


「…………」


「…………」


 フェルナンドとマリアネラは同時に黙った。


 そして。


 同時に窓の外を見る。


 確かに晴れている。


 雲も少ない。


 庭を歩くには申し分のない天気だ。


 だからといって、なぜ二人で歩かなければならないのか。


「母上」


「何かしら?」


「私には、この後」


「予定はないわね」


「…………」


「先ほど確認しましたもの」


「そうですか」


 逃げ道を塞がれている。


 マリアネラにも分かった。


「マリアネラ嬢も、よろしいかしら?」


 断れるわけがない。


「……はい。喜んで」


 公爵夫人が満足そうに微笑んだ。


 絶対に何かある。


 確信に変わった。


 ◇◇◇


 リュミエール公爵邸の庭園は、美しかった。


 季節の花々が丁寧に手入れされ、白い石畳の小径がその間を縫うように続いている。


 噴水から流れる水の音。


 風に揺れる木々。


 遠くから聞こえる鳥の声。


 申し分のない散歩日和だった。


 ただし。


「…………」


「…………」


 会話がない。


 マリアネラは前を向いて歩いた。


 隣を歩くフェルナンドも何も言わない。


 気まずい。


 非常に気まずい。


 先ほどまで公爵夫妻がいた時には、それなりに話せていた。


 二人になった途端、これである。


 そもそも。


 互いに、ここへ来たくて来たわけではない。


 フェルナンドは突然呼び出された。


 マリアネラは理由も分からず招待された。


 話題などあるはずもない。


「……あの」


「何でしょう」


 先に口を開いたのはマリアネラだった。


 負けた気がする。


 何に負けたのかは分からない。


「フェルナンド様は、先日のデビュタントはいかがでした?」


「疲れました」


「…………」


 会話が終わった。


「随分、率直ですのね」


「あなたも先ほど、同じことを仰っていたでしょう」


「聞いていたの?」


「入室した時に少しだけ」


「そう」


 また沈黙。


 だが、今度は先ほどより少しだけ気まずくない。


「でも、随分人気でしたわね」


「そうでしたか?」


「そうでしたかって……」


 マリアネラは呆れて横を見る。


「たくさんの令嬢に囲まれていたでしょう?」


「ええ」


「皆様、あなたとお話ししたそうでしたし」


「そうですね」


「きっと、あなたと結婚したい方も多いのでしょうね」


「そうかもしれません」


「他人事なのね」


「他人の気持ちですから」


「…………」


 やはり。


 少し腹が立つ。


 言っていることは間違っていない。


 間違っていないからこそ腹が立つ。


「では」


 フェルナンドが足を緩めた。


「あなたもですか?」


「何が?」


「私と結婚したいのですか?」


 マリアネラは立ち止まった。


 フェルナンドも数歩先で止まり、振り返る。


「…………」


 マリアネラはその顔をまじまじと見た。


 綺麗な人だとは思う。


 それは認める。


 淡い亜麻色の髪も。


 珍しい紫色の瞳も。


 整った顔立ちも。


 令嬢たちが騒ぐ理由は理解できる。


 そのうえ、リュミエール公爵家の嫡男。


 結婚すれば、いずれ公爵夫人。


 世間一般で言えば、これ以上ないほど魅力的な相手なのだろう。


 しかし。


「私なら御免ですけれど」


「…………」


 フェルナンドが黙った。


「……随分、はっきり仰るのですね」


「あなたが聞いたのでしょう?」


「ええ。聞きました」


「では、正直に答えただけです」


「そうですか」


 怒っただろうか。


 少し言いすぎたかもしれない。


 そう思ったが。


 フェルナンドは、なぜかほんの少しだけ楽しそうに見えた。


「理由を聞いても?」


「公爵夫人なんて面倒そうですもの」


「私の前で言いますか?」


「あなたが理由を聞いたのでしょう」


「そうでしたね」


「それに」


 マリアネラは歩き始めた。


 フェルナンドも隣へ並ぶ。


「よく知らない方と、家柄だけで結婚するのは嫌ですわ」


「貴族としては珍しい考えですね」


「そうかしら」


「珍しいでしょう。少なくとも、婚姻に家同士の事情が絡むことは避けられません」


「分かっています」


「ならば」


「家同士の事情があることと、それしか見ないことは別でしょう?」


 フェルナンドが黙った。


 マリアネラは続ける。


「家柄も大切。領地も、財産も、両家の関係も大切。それくらい私にも分かります。でも、一緒に暮らすのは本人たちでしょう?」


「…………」


「何十年も一緒にいるかもしれない相手を、条件だけで決めるなんて、私は嫌です」


 少し子どもっぽい考えなのかもしれない。


 マリアネラ自身、それは分かっていた。


 貴族として生まれた以上、望んだ相手と結婚できるとは限らない。


 それでも。


 最初から諦める気にはなれなかった。


「……なるほど」


 フェルナンドが呟いた。


「では、あなたは恋愛結婚を望んでいるのですか?」


「そこまでは言っていません」


「違うのですか?」


「好きな方ができれば素敵だとは思いますけれど」


「随分曖昧ですね」


「十六歳の令嬢に人生設計の完成度を求めないでくださる?」


「それもそうですね」


「フェルナンド様は?」


「何がです?」


「結婚なさりたいの?」


「いいえ」


 即答だった。


 あまりにも早かった。


「……少しは考えてから答えてもいいのでは?」


「考える必要がありませんので」


「でも、公爵家の跡取りなのでしょう?」


「ええ。ですから、いずれ結婚はしますよ」


「したくないのに?」


「したいかどうかは、あまり関係がないでしょう」


 フェルナンドは前を向いたまま答えた。


「私はリュミエール公爵家の嫡男です。いずれ家を継ぎ、次代へ繋ぐ必要がある。それなら、そのために必要な婚姻をすればいい」


「…………」


「結婚など、家を存続させるための契約に過ぎないでしょう」


 あまりにも淡々とした言葉だった。


 マリアネラは思わず足を止めた。


 フェルナンドが振り返る。


「何です?」


「……いえ」


 マリアネラはしばらく彼を見つめた。


 綺麗な顔。


 整った立ち姿。


 公爵家の嫡男として申し分のない教養と振る舞い。


 けれど。


 結婚について語るその声音には、期待も憧れも何もない。


 本当に。


 家を残すために必要だからする。


 ただそれだけなのだろう。


「……随分、つまらない結婚観ですのね」


「そうでしょうか」


「そうですわ」


「あなたの考えも、十分曖昧だと思いますが」


「夢があると言ってくださる?」


「物は言いようですね」


「本当に一言多い方ね」


「よく言われます」


 二人は再び歩き出した。


 その後も、取り留めのない話をいくつかした。


 思っていたより、会話は続いた。


 少し腹は立つ。


 けれど。


 話しにくい相手ではない。


 少なくともマリアネラは、そう思った。


 そして。


 フェルナンドもまた。


 隣を歩く令嬢について、少しだけ認識を改めていた。


 自分の顔に興味がない。


 公爵家にも興味がない。


 公爵夫人という立場など、面倒だから御免だと言う。


 遠慮もない。


 言葉を飾りもしない。


 それなのに。


 家柄を軽視しているわけでもない。


 貴族としての立場を理解したうえで、自分の考えを持っている。


 やはり。


 これまで会った令嬢たちとは、少し違う。


 そして何より。


 彼女の言った言葉が、妙に頭へ残っていた。


 つまらない結婚観。


 フェルナンドは、自分の言葉を思い返す。


 結婚は。


 家を存続させるための契約。


 恋愛感情など、必要ではない。


 互いに果たすべき役割を果たせばいい。


 ならば。


 最初から。


 そういうものとして結婚すればいいのではないか。


「…………」


 フェルナンドは隣を歩くマリアネラを見た。


「何です?」


「いえ」


「また何か失礼なことを考えていません?」


「随分な言い掛かりですね」


「日頃の行いでは?」


「今日会ったばかりでしょう」


「十分でしたわ」


「そうですか」


 フェルナンドは、それ以上何も言わなかった。


 ただ。


 一つの考えが、静かに形を取り始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。