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離婚を前提に結婚してください!  作者: 春野清花


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11/16

第十話:同じだった私

「あなたも同じでしょう?」



 その言葉が。


 三日経っても。


 ルシアの耳から離れなかった。



 ◇◇◇



「……ルシア?」


「え?」


 呼ばれて。


 ルシアは顔を上げた。


 目の前には。


 不思議そうにこちらを見るビクトリアがいる。


「どうしたの? さっきから全然聞いていないでしょう」


「……ごめんなさい」


「珍しいわね」


「少し考え事をしていただけよ」


「考え事?」


「ええ」


 二人がいるのは。


 王都にある菓子店の一角だった。


 令嬢たちが気軽に利用できる店で。


 今日も多くの客がいる。


 いつもなら。


 ここにはアレハンドラもいる。


 だが今日は。


 家の用事があると言って来ていなかった。


「ねえ、ビクトリア」


「何?」


「……この前のことだけれど」


「この前?」


「園遊会よ」


「…………」


 ビクトリアの表情が。


 少しだけ変わった。


「アレハンドラ様のこと?」


「ええ」


「…………」


 ルシアは。


 膝の上で手を組んだ。


「あれは……やりすぎだと思わない?」


「…………」


 ビクトリアは。


 何も言わなかった。


「手袋のことも」


「…………」


「本当にアレハンドラ様がなさったのかは分からないわ。でも、この前の飲み物は……」


「ルシア」


「何?」


「それを言うなら」


 ビクトリアは。


 そこで。


 言葉を止めた。


「…………」


「何?」


「……いいえ」


「ビクトリア」


「私たちだって」


 小さな声だった。


「…………」


「今まで、何もしていなかったわけじゃないでしょう」


「…………」


 その通りだった。


 嫌味を言った。


 笑った。


 マリアネラが困ればいいと。


 思ったこともある。


「でも」


 ルシアは。


 俯いた。


「だからって、これからも続けていいわけじゃないでしょう?」


「…………」


 ビクトリアは。


 答えなかった。


 否定も。


 肯定も。


 しなかった。


 ただ。


 紅茶へ視線を落とす。


「……ごめんなさい」


 ルシアが言った。


「どうして謝るの?」


「分からない」


「…………」


「でも」


 ルシアは。


 小さく息を吐いた。


「もう、前みたいに笑えないの」


「…………」


 ビクトリアは。


 最後まで。


 何も言わなかった。



 ◇◇◇



 その頃。


 アレハンドラは。


 自室で一人。


 鏡の前に座っていた。


「…………」


 鏡に映る自分を見る。


 侯爵令嬢。


 幼い頃から。


 そうあるための教育を受けてきた。


 礼儀作法。


 社交。


 舞踏。


 音楽。


 家政。


 高位貴族の夫人となっても恥ずかしくないように。


 そう育てられてきた。


 フェルナンドを知ったのも。


 随分前のことだ。


 リュミエール公爵家の嫡男。


 王家にも近く。


 そして。


 誰もが目を奪われるほど美しい少年。


 いつか。


 彼が婚約する日が来る。


 それは分かっていた。


 自分である可能性も。


 あると思っていた。


 少なくとも。


 彼の隣に立つのは。


 侯爵家か。


 それに準ずる家柄の令嬢。


 そう思っていた。


 なのに。


「……男爵令嬢」


 小さく。


 呟く。


 マリアネラ・ヴァレンティン。


 確かに。


 ヴァレンティン家は古い。


 建国以来続く騎士の家として。


 名も知られている。


 それでも。


 男爵家だ。


 何故。


 彼女なのか。


 何故。


 自分ではないのか。


『私を選んだのは、フェルナンド様よ』


「…………」


 あの言葉が。


 腹立たしい。


 何度思い出しても。


 腹立たしい。


 そして。


 否定できないことが。


 何よりも。


 腹立たしかった。


 フェルナンドが。


 マリアネラを選んだ。


 誰かに命じられたわけでもなく。


 政略で決められたわけでもない。


 少なくとも。


 表向きは。


「…………」


 ルシアも。


 最近は。


 何も言わなくなった。


 ビクトリアも。


 以前ほど。


 楽しそうには笑わない。


「……もういいわ」


 誰も。


 分かってくれないのなら。


「私一人でも」


 アレハンドラは。


 鏡から目を逸らした。



 ◇◇◇



 同じ日の午後。


 マリアネラのもとへ。


 一通の手紙が届いた。


「私に?」


「はい。アルヴェーヌ辺境伯家のご令嬢からです」


「ルディ?」


 受け取る。


 封を開けば。


 整った文字が並んでいた。



『先日お話ししていた本を見つけました。


 以前読んだものですが、よろしければ次にお会いする時にお持ちします。


 あなたなら、きっと気に入ると思います。


 イルムヒルデ・アルヴェーヌ』



「…………」


 マリアネラは。


 もう一度。


 最初から読む。


 ただ。


 本を貸してくれる。


 それだけの手紙だ。


「…………」


 なのに。


 少し。


 嬉しい。


「お返事をお書きになりますか?」


「ええ」


 答えてから。


 マリアネラは便箋を用意した。


 友人から。


 手紙をもらう。


 そして。


 返事を書く。


「…………」


 悪くない。


 そんなことを思いながら。


 マリアネラは。


 ペンを取った。



 ◇◇◇



 翌日。


 マリアネラは。


 リュミエール公爵邸を訪れていた。


 今日は。


 ベアトリスから。


 結婚後に参加することになる慈善事業について、話を聞く予定だった。


「こちらは、王都の孤児院への援助ね」


「はい」


「毎年、冬になる前に必要なものを確認しているの」


「衣類ですか?」


「それと燃料ね。食料は一年を通して援助しているわ」


「なるほど」


 話を聞きながら。


 マリアネラは必要なことを書き留めていく。


「去年の記録も見る?」


「お願いします」


「では、後で持ってこさせるわ」


 一区切りついたところで。


 茶が運ばれてきた。


 今日も。


 フェルナンドが同席している。


「…………」


 マリアネラは。


 菓子の皿を見る。


 見覚えのあるものがあった。


「……また、これ?」


「お嫌いでしたか?」


 フェルナンドが尋ねる。


「好きだけど」


「では、問題ありませんね」


「…………」


 やはり。


 覚えているらしい。


「あなた」


「はい」


「毎回これを出すつもり?」


「毎回ではありません」


「そうなの?」


「同じものばかりでは飽きるでしょう」


「…………」


 そこまで。


 考えているのか。


「そう」


「はい」


 マリアネラは。


 少しだけ。


 口元を緩めた。


 そして。


 茶器へ目を向ける。


 今日は。


 まだ茶葉が選ばれていない。


「何になさいますか?」


 使用人に尋ねられ。


「私は……」


 マリアネラは。


 並べられた茶葉を見る。


 その中に。


 見慣れたものを見つけた。


「こちらでいいわ」


「かしこまりました」


「フェルナンド様も、これでいいでしょう?」


「…………」


「何?」


「いえ」


 フェルナンドが。


 わずかに目を瞬く。


「私がこれを好むと、覚えていたのですか?」


「何度も飲んでいるでしょう」


「そうですね」


「婚約者なんだから、それくらい覚えるわ」


「…………」


「何よ」


「いえ」


 フェルナンドは。


 マリアネラの前にある菓子を見る。


「私も同じ理由ですので」


「…………」


「菓子のことです」


「分かってるわよ」


「そうですか」


「ええ」


「なら、いいのですが」


「…………」


 何故だろう。


 何となく。


 負けたような気がする。


「…………」


 向かい側から。


 視線を感じた。


「…………」


 ベアトリスだった。


 マリアネラを見る。


 フェルナンドを見る。


 もう一度。


 マリアネラを見る。


「……何です?」


 フェルナンドが尋ねた。


「いいえ?」


「何か仰りたいことがあるように見えますが」


「別に?」


「そうですか」


「ええ」


 ベアトリスは。


 楽しそうに茶を飲んだ。


「…………」


 マリアネラは。


 何となく。


 聞いてはいけない気がした。



 ◇◇◇



 その日の帰り。


「フェルナンド様」


 マリアネラが馬車へ乗った後。


 エルネストが。


 フェルナンドを呼び止めた。


「何です?」


「少し、お話が」


「マリアネラ嬢についてですか?」


「…………」


 エルネストが。


 僅かに目を見開く。


「何故そう思われたんです?」


「あなたが私だけを呼び止める理由が、それ以外に思いつきませんでしたので」


「…………」


「違いましたか?」


「いいえ」


「では、こちらへ」


 二人は。


 玄関から少し離れた場所へ移動した。


「最近」


 エルネストが言う。


「マリーの様子が、少しおかしいと思いませんか」


「……やはり、あなたもそう思いますか」


「はい」


 フェルナンドの表情が。


 僅かに変わる。


「本人には?」


「聞きました。何もないと言われました」


「私もです」


「…………」


「社交が続いて疲れているだけだと」


「俺には、眠いだけだと」


「…………」


「…………」


 二人は。


 しばらく。


 黙った。


「違いますね」


 フェルナンドが言った。


「俺もそう思います」


「ですが」


 フェルナンドは。


 少し考える。


「本人が話したくないことを、無理に聞き出すつもりはありません」


「俺もです」


「とはいえ」


「何もないとは思えない」


「ええ」


 意見が。


 一致した。


「少し」


 エルネストが。


 声を落とす。


「調べますか」


「そうしましょう」


「ただし」


「本人には知られないように、ですね」


「……はい」


「あなたが動けば、すぐに気づかれそうですが」


「何故です!?」


「妹君のことになると、分かりやすいので」


「…………」


「否定なさらないのですか?」


「できません」


「そうですか」


「フェルナンド様も、人のことは言えないと思いますが」


「何故です?」


「…………」


 エルネストは。


 フェルナンドを見る。


「何です?」


「いえ」


 まだ。


 本人は。


 気づいていないらしい。


「何でもありません」


「そうですか」


「はい」


 二人は。


 マリアネラの乗る馬車へ戻った。



 ◇◇◇



 さらに二日後。


 王都の伯爵邸で。


 小規模な音楽会が開かれた。


 招待客は。


 若い貴族を中心に。


 三十名ほど。


 マリアネラも。


 フェルナンドと共に招かれていた。


「マリアネラ」


「ルディ」


「この前の手紙、届いた?」


「ええ。返事も出したでしょう?」


「届いたわ」


「本は?」


「持ってきたわよ」


「ここに?」


「馬車に置いてあるわ。帰りに渡す」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 二人が話している。


 少し離れた場所で。


 フェルナンドは。


 その様子を見ていた。


「仲良くなったな」


 隣にいたエルネストが言う。


「そのようですね」


「よかった」


「友人が増えることが?」


「マリーは、気の合わない相手に無理に合わせる方じゃないので」


「なるほど」


「イルムヒルデ嬢とは、本当に気が合うんでしょう」


「…………」


 フェルナンドは。


 マリアネラを見る。


 笑っている。


 少なくとも。


 今は。


 いつもの彼女だった。


「…………」


 だが。


 何もない。


 そうは。


 やはり思えなかった。



 ◇◇◇



「アレハンドラ様」


 会場の反対側。


 ルシアが。


 小さな声で呼んだ。


「何?」


「……今日は」


「何?」


「いえ」


 続かなかった。


 ビクトリアも。


 隣で黙っている。


「何なの、二人とも」


「…………」


「最近、ずっとそうね」


 アレハンドラが。


 苛立ったように言う。


「何か言いたいことがあるなら、言えばいいでしょう?」


「…………」


「…………」


 どちらも。


 言わない。


「……もういいわ」


 アレハンドラが。


 二人から目を逸らした。


「あなたたちが何もしないなら、私一人で結構よ」


「アレハンドラ様」


 ルシアが。


 思わず呼ぶ。


「何?」


「もう……」


「もう?」


「…………」


 また。


 言えない。


「ほら」


 アレハンドラは。


 冷たく笑った。


「何も言えないじゃない」


「…………」


「なら、黙っていて」


 そう言って。


 アレハンドラは。


 二人から離れた。



 ◇◇◇



 演奏が。


 一度。


 休憩に入った。


 招待客たちは。


 用意された飲み物や軽食を手に。


 思い思いに話をしている。


「少し失礼するわ」


 マリアネラが。


 イルムヒルデへ声をかける。


「ええ」


 席を立つ。


 その姿を。


 アレハンドラが見ていた。


「…………」


 空いた椅子。


 その座面には。


 淡い色の布が張られている。


 アレハンドラは。


 近くに置かれていたグラスへ。


 手を伸ばした。


「アレハンドラ様」


 ルシアが。


 低い声で呼ぶ。


「何?」


「何をなさるおつもりですか」


「何も」


「それなら、そのグラスは」


「喉が渇いただけよ」


「…………」


 アレハンドラは。


 マリアネラの席へ近づく。


「やめた方が……」


 今度は。


 ビクトリアだった。


「…………」


 アレハンドラが。


 振り返る。


「何?」


「いえ……」


「二人とも」


 声が。


 冷たくなる。


「黙っていて」


「でも」


「いいから」


 グラスを持つ手が。


 動く。


 少し。


 傾く。


 その時だった。


「何をなさっているのです?」


「…………!」


 アレハンドラの手が。


 止まった。


 ゆっくり。


 振り返る。


「フェ……」


 声が。


 震える。


「フェルナンド様……」


 そこに。


 フェルナンドが立っていた。


 その少し後ろには。


 エルネストもいる。


「質問にお答えいただけますか?」


「…………」


「そのグラスを持って」


 フェルナンドの視線が。


 マリアネラの椅子へ向く。


「何をなさっていたのです?」


「これは……」


 アレハンドラの顔から。


 血の気が引いていく。


「何も」


「何も?」


「ええ。ただ……」


「ただ?」


「…………」


 答えが。


 出ない。


 フェルナンドは。


 怒鳴らない。


 声を荒らげもしない。


 ただ。


 いつもの。


 穏やかな敬語で。


「もう一度、お尋ねします」


「…………」


「何をなさっていたのです?」


「…………」


 ルシアも。


 ビクトリアも。


 何も言えなかった。


 その時。


「……何?」


 マリアネラの声がした。


 戻ってきた。


 そして。


 フェルナンド。


 エルネスト。


 アレハンドラ。


 ルシア。


 ビクトリア。


 その全員を見る。


「何をしているの?」


「マリー」


 エルネストが呼ぶ。


「兄様?」


「…………」


 エルネストは。


 妹を見る。


 次に。


 アレハンドラを見る。


「マリアネラ嬢」


 フェルナンドが。


 静かに言った。


「少し、お話があります」


「…………?」


 マリアネラは。


 眉を寄せた。



 ◇◇◇



 その夜。


 ルシアは。


 自室の机に座っていた。


 目の前には。


 白い便箋。


「…………」


 今日。


 アレハンドラは。


 フェルナンドに見つかった。


 あの後。


 何が話されたのか。


 ルシアは。


 最後まで聞いていない。


 ただ。


 一つだけ。


 分かっている。


 自分は。


 また。


 止められなかった。


「…………」


 止めようとはした。


 声もかけた。


 でも。


 それだけ。


 アレハンドラに。


 黙っていてと言われて。


 それ以上。


 何もできなかった。


「…………」


 ルシアは。


 ペンを取った。


 便箋の上へ。


 ゆっくり。


 文字を書く。



『マリアネラ様へ』



 そこで。


 手が止まった。


「…………」


 何を書けばいい。


 ごめんなさい。


 今まで。


 嫌味を言って。


 笑って。


 あなたが困ればいいと思って。


 ごめんなさい。


 そんな言葉で。


 済むのだろうか。


「…………」


『あなたも同じでしょう?』


 アレハンドラの声が。


 蘇る。


 その通りだ。


 自分も。


 同じだった。


 今さら。


 違う顔をして。


 謝って。


 それで。


 許してもらおうというのか。


「…………」


 謝る資格など。


 自分に。


 あるのだろうか。


 ペン先から。


 一滴。


 インクが落ちた。


 マリアネラの名の下に。


 小さな黒い染みが。


 広がっていく。


 ルシアは。


 それを。


 ただ。


 見つめていた。

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