婚約者
「どうしてアルシア様は、エルガー様に惚れ薬を浴びせようとしたんでしょうか」
「わからん」
帰りの水路である。
エルガーはルーカスは並んで歩きながら、ルーカスの問いに首を横に振った。
「なにか、思い当たる節は?」
「全くない」
ルーカスが肩をすくめる。一応エルガーは、王族なのだが。
「婚約者、嫌になっちゃったんですかね。それで、エルガー様を別の野郎に惚れさせて……」
「婚約を解消しようとした。だが、それだとあまりにも短絡的すぎる」
エルガーは、手紙の筆跡を思い浮かべた。
「仮にそうだとしても、手紙を別の誰かに書かせるでもなく、機械で手打ちするのでもないのは不用心だ」
「たしかに、そうっすね。匿名でも良いのにわざわざご自分の名前を使うのも変だ」
ルーカスが唸っている。そう、ああいった薄暗い世界の住人は、客の身分がどうとかは気にしない。ただ、客がくれる金の真贋だけを気にしているのだ。単にアルシアが初心者すぎて、そういうことに気が回らなかった可能性もあるが。
「こればかりは、本人に会ってみないとわからないな。帰ったら手紙を出してみよう」
「エルガー、アルシア殿は、今は政務に忙しいとのことだよ」
夜。エルガーの私室にノックをして入ってきた兄、ジューベルは、封の開いた手紙を、エルガーに渡してきた。
「わざわざありがとうございます、兄上」
エルガーが頭を下げると、ジューベルが笑った。エルガーの頭をわしゃわしゃと撫でてくれる。見た目は繊細そうな兄は、仕草は意外に大雑把である。
「それにしても、どういう風の吹き回しなんだ? エルガーは、アルシア殿との結婚を、嫌がっていただろう」
「俺にも自覚が芽生えてきたのです。いつまで経っても、嫌だとは言っていられないので」
「そうか、それは、良いことだね。俺も嬉しいな」
エルガーの髪を整えながら、目を伏せ、ジューベルがそう言った。
ジューベルが出て行った後のことである。
エルガーの寝る前の支度を手伝いに来たミーケが、眉を顰めて言う。
「恋人同士のやり取りを先に見るなんて、抗議するべきです」
「婚約者同士、だ。恋人じゃない。それに、見られて困るようなことは、書いていない」
エルガーの直接会って話したいという手紙に対して、アルシアの返事は、素っ気ないものだった。
政務に忙しいというのは本当だろう。彼女は、この帝国の大公である。
十五の少女が大公というのは笑うしかない話だが、実際には、笑えない経緯があった。エルガーは、手紙を天井の灯りに透かしてみた。
「俺の婚約者殿は、何を考えているんだか」




