201 悪魔は好き?
エレベーターは鉄製の扉で固く口を閉ざし、誰の侵入も許さない調子であったので、私は非常階段の方を通って降りた。重々しい音の振動が私の歩幅に合わせ、最上層まで昇っていくような響きの様は、実際ここに最下層などなく、延々と続く奈落への旅路を心細く向かわせるよう。気狂いしそうな変わらぬ景色の中、手に伝わる錆びた手すりの擦れる触覚を頼りに、悪魔と降りていく間、私たちに会話はなかった。疲れがあった訳でも気まずさがあった訳でもない。ましてやそれ如きで関係がギスギスし出すほどの私たちではないはず。寧ろこの環境下で手を触れ合っているだけで、片方が喋らずとも気にしない関係など、理想的な関係ではないだろうか。悪魔が同じ理屈を思考していたではないだろうが、別々の思考が、変わらぬという閉ざされた空間で繰り広げられる中、私はその様な回路を張り巡らせていた。耳はやがて内心の声で五月蝿くなり、目立っていた足音すら聞こえなくなって、それすら意識の外にあった矢先に一雫が鼓を小突く音でコンクリートに染み込んだのを、架空の耳という器官が頭上でしかと聞き取り、意識を向かわせた。
呆然としていた視界は、いつの間にか目が段差を見ていたことを思い出させ、ぼやけていた景色は、煙を風ではくように途端に鮮明となった。それは私の瞳で起こっていたかのように思われたが、私の脳内で行われていた。思考は足が最下層に着いたことを告げ、一寸と一寸の先では、やけに低い天井を横断する一本のパイプの繋ぎ目から、配管漏れで時折滴る水滴が、冷ややかな鼠色の地面を黒く腐食するように染み込んでいるのだった。回避せねばならないと、私たちは真ん中で一定間隔に落ちるそれを縮こまりながら横切って、安全だと分かれば又、姿勢を直して歩いた。二人分通れる地下道の壁に、水が漏れた後の細菌の塊が、膿のように汚らしく膨れて地面付近まで達しているが、所々見つかろうと水が滴っているのは入口の配管のみであった。等間隔の細く白い配管が縦に溝へ伸びる中、時折ボイラー室などと書かれた鉄製の部屋が複数あったが、一切興味なく、又縦の配管も溝に差し掛かる丸く口の開いた出口から、雫や虫が湧く気配もなく、入口を最後に一気に時が止まった地下道の終点で、私たちは少々広々した廊下に出た。そこには私が先程見た鉄製のエレベーターも、相変わらず口を閉ざして立っていた。そこに向かい合うのはこれまた鉄の扉だが、他と違い薄く銀色に照らされた扉は、私の真正面で片方外れかかっていた。脆いそれはもう片方に寄りかかるようになっており、正常な方を選べば却って下敷きとなりそうだった。なので私は悪魔を後ろに避難させ、扉に置く手の位置を整えれば、傾いた扉を強く前に押すのだった。薄いにしては重たい板が段々と重心を見失い、やがて不穏な音と共に倒れる頃には、私は怪我の心配を恐れて、数歩後ろに退いた。役目を終えて地面の一部となった扉から風が起こり、暗闇の中で埃が群れを成すシルエットが舞い上がると、薄くなってあっという間に消えた。中からは長年閉じこもった寒々しい冷気が私の元にも漂って、露出した腕を冷やす様は、柔らかなブラシでなぞられる心地であった。視覚や肌らがそれを知覚したと把握した後、悪魔に預けていた懐中電灯を受け取り、私は中を照らした。中は異様に広く懐中電灯の明るさでは、まだ物の何となくの輪郭程度しか掴めない。私は懐中電灯の明かりをもう一段強くし、悪魔を連れてまだ闇深い奥へ進むのだった。
都市伝説を信じた末、悪魔と出会った私がこんな事を言うのも可笑しいが、都市伝説とはしばしば密室や暗闇といった恐怖要素から継ぎ足されやすいように思う。しかしそれらはほぼ何かを見た・音を聞いた・触れられたに統一されており、実際幽霊に殺された、という話は数少ない。幽霊は暗闇で、なんの意味もなく私たちを認識しているだけで簡単に恐れられる存在なのだろう。と思えば、このような密室で人気もなく、死者を安置する場所というのは中々都合が良い。生前病に倒れた未練がましい亡霊が、来訪者を羨んで近寄ってくると誰もが妄想を膨らませれば、そこは瞬く間に心霊スポットとなれるのだ。しかし、視点を変えて見て欲しい。人の恐怖要素とは私たち人の祖先からある数々の野生本能という集合体の一部分に過ぎない。ジェットコースターであれば落下する際の浮遊感に危機感を覚えるのも無理ないが、ただそこに立っているだけの人畜無害な幽霊に怖がる意味とは何だろう。そもそも、私たちが一般的に想像する幽霊とは、生前私たちと同じ人間であるはずなのに、この場に幽霊が十体居るのと、生きた人間が十人居るのとだけで感じ方が切り替わってしまう人の心理とは何だろう。何なら、霊安室は大抵地下にあるのだから、天敵から守るシェルターになってくれるはずではないか。ならば幽霊も同じ様に、天敵から隠れるそこらの通行人と大差ない。誤解されやすいが、霊安室とは不気味ではないのだ。
まあ、物陰を悪魔と勘違いして歓喜する様な私が、評論家になりきれるなどないのだが。現に霊安室の真ん中で三つ並んだベッドを、興味津々に近づいてしまう私なのだから、説得力などない。照らした三つ以外のベッドは全て端に追いやられ、滅茶苦茶に重なっては崩れている。対して綺麗に並べられたベッドには足側がこちら向きであるにも関わらず、木の十字架は頭頂がこちら向きになるように、つまりは逆さ十字になるよう敷布団に固定されているのであった。ここに寝転がれば、逆さ十字に磔となった罪人の気分になれるだろう。けれどこのベッドは罪人の棺ではない。異端者を殺すというのに、人目のつかないところを選び、綺麗なベッドなど用意するものか。
「これはね、生贄用のベッド」
——生贄。悪魔に供物を捧げる為に、ここで院長は三人の生贄を用意したのだ。ならば、今度はその三人が誰だったかを考察してみようか。三つのベッドにある木の十字架はどれも既に古く、地下の湿度にやられて湿気った焦げ茶色に変色し、空洞が開いてスカスカになっていた。それらは全てベッドのサイズに反して小ぶりであり、十代前半の子供の平均身長と丁度合致していた。今さっき私は、ここに寝転がれば磔にされた罪人のようになれると言った。人を磔にするのであれば十字架はある程度大きくなくては無理がある。即ち、この大きさで十分成り立つ子供こそ、生贄だったと考えるのが妥当である。なら、その子供とは。五芒星の真ん中に位置する202号室の写真と、院長室の写真が同一であった事を想起したい。あそこに居たのは三人の子供だったはず。大人の人影は黒塗りされていたにも関わらず、202号室にあった写真には子供の姿がハッキリあって、写真の上から名前を上書きされていた。それが意味することは、三人の子供こそ生贄の対象で、子供の魂を売る為に名前を書いた写真を遺した、ということではあるまいか。人名とは魂と最も近い位置にある、というのは有名な話だろう。塗り潰された大人の人影は、院長室に同じ写真があったことから察して貰えば、院長先生だと分かる。即ち院長は、自分の子供をもろとも生贄に捧げたのだ。
「どう?もう分かったかな」
ニイとニニの行方は不明だが、ニオが悪魔である理由は、ニオは悪魔の生贄になったことによって悪魔と一体化を果たしたから。厳密に言えば、悪魔がニオの魂を喰らい、侵食している結果、一体化という言葉が適当になっていただけで、悪魔が味方に回ってニオが悪魔として昇格したのかと言われれば、そういう話ではない。噂が悪魔だと広めていたものは、悪魔に食べられていく一人の子供の過程を勘違いした、目撃者の勝手な憶測だったのである。どうだろう。ここまで考察して浮かんだ感情に、第三者は賛同できるだろうか。私が院長を実の子供を生贄にする恐ろしい存在だと考えた後も、院長に対して尊敬の意を持ってしまう事実を、第三者は笑ってくれるだろうか。私は異常だろうか。怖いだろうか。可笑しいだろうか。私が最も美的と感激したそのものを尊敬することの何が問題だろう。けれど、いい。悪魔は私を肯定してくれるのだから。悪魔は私を認めてくれたのだから。それならば、私はこの廃病院に囚われたままで構わない。
「悪魔は好き?」
正直に言おう。私は好きである——。




