↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/25

106 君が知りたいこと

回廊が使えないとなれば、回り道をするには一度外に出る他なく、私たちは目覚めてから初めて病院の外に出た。玄関口のコンクリートを一段超えたところから、既に雑草は肩の辺りまで高く生い茂り、繁茂した木々や草といった植物が行く先々を隠していた。ここも暗闇であることに変わりはないが、閉鎖空間で長時間居た私にとって、遠い世界だと思っていた所を掻き分ける現実は、嫌な解放感があった。早くこの現実から逃れてしまいたいと、病院の壁を頼りに厄介な道を大股で行くと、ようやく外来フロアの玄関口が見えてきた。病棟と瓜二つな外観に、まさか迷って戻ってきた訳ではないだろうと心で冗談を抜かしながら入っていくも、勿論杞憂であった。外来フロアは病棟とは違い、玄関に入っていくと、まずだだっ広い待合室とナースステーションがあった。以前回廊から薄ら見えた斜めのソファも確認できたので、私は早速何処に行こうかと辺りを散策し始めた。待合室のすぐ近くには当然診察室があり、手始めに大文字で分かりやすくAと書かれた診察室へお邪魔する。長い間放置された乾いた臭いが立ち込めて、吸い込むと喉がイガイガする感じがあった。他とは比較的綺麗な状態で保たれているが、床は相変わらず砂っぽく、低いベッドも埃や染みで変色している。当時のままの二つの回転椅子が向かい合わせになって、その様子が、ここに透明人間がいて今も尚会話を交わしているような、不思議な幻覚を体験させてくれる。しかし私が追求する目ぼしいものは一瞥してわかる通りで、私は診察室Aの用事を一分もかからず終えたのだった。流れるが如く隣の診察室へ向かうと、今度はAと同じように診察室Bと大きく書かれた古い扉があった。中を見回せばこれまたAと同じ間取り、そして配置が視界に現れ、ここも一分足らずで終えた。それからC、Dと同類のことを繰り返していたが、やはり結果は変わらず、例えば蛍光灯が垂れ下がっていたり、床がひび割れていたり、そういう些細な違いが間違い探しの様に各部屋あるのみ。やはり道標がない部屋には何もないのだろう。大人しく、初めから向かうつもりでいた目的地へ出向く方が適切か。

 目的地とは、悪魔が最も記憶している場所であり私の記憶探しに最も有益なある場所のことで、そこに行く事こそが記憶を甦らせる絶好の機会だった。そこが診察室という訳ではなく、診察室は私が核心に迫る前に揃えておくべき物証を考えた際の寄り道に過ぎないのだが、意味など皆無と知ると、Dの部屋で立ち尽くしていた足を出口へ向かわせた。が、扉を開いたその一瞬、その隙間から姿が映るのを慌てて防ぐように、片方の足が扉の前を横切って、死角へ消えていくのが目に映った。悪魔ではないだろう。悪魔は今だって私と一緒にいるのだから。私は先程透明人間の妄想をしていたが、それにしたって、ドタバタと逃げていく幻聴まで聞こえてしまうほど没入してはいない。ならばこの信じ難い出来事は現実か、或いは私の患者という特性が遂に異常を見せてきたか、ということになってしまうのだが。足が消えていった左の方角を流し見するも、そこは広い闇が広がり、その中で受付カウンターのシルエットが黒く浮かんでいるだけで人影はない。私が扉から首を突き出して左を確認する時の、あまりに冷静で丁寧な仕草が仇となったか。興味関心の強いものでないと私はこうも呑気なのかと、自分で自分に呆れるのだった。

「もしかして、あの子かな」

 悪魔がやや前のめりになったのに従って、私も左に向き直った。人影のようなものが消えていった先、カウンターの奥に位置するであろうその部屋は、私の求めていた場所——手術室があるのだった。偶然ではないかと苦笑されるところ、私は極めて必至な、訪れるべくして現れた運命だと受け止められた。案内図の五芒星がそうであったように、印象に焼き付く数々は必ず何かの因果で繋がっているのだ。ならば、私が今しがた悪魔と共に見た人影は病院に関係のある人物、もしくは記憶探しにおける重大な手がかりを持つ人物に違いない。暗がりを照らし明るい一本道が出来たところで、私は慌てたように少々駆け足になる。硝子の破片が撒かれた道でも画鋲が外れて傾いた広告の横を通り過ぎようとも、以前興奮していた頃のように足元など気に留めもせず。ただ、そうしていると、速度の出ない調子が悪魔と触れ合っている事実を確かなものにして、密かな得を感じてしまうのだった。どうして私は悪魔がこれほど恋しく思うのだろう。どうして悪魔が良いのだろう。私は全て知りたい。だからこそ今、私は手術室の前に立っている。左右は行き止まりの、重たい扉。廃病院という空虚に等しい空間でここを出入りするとなれば響きそうなもの、私は足音以降の音を聞いていない。手術室に人影は来ていないということか。それなら人影はどこへ行ったのだろう。けれどまずはここである。私は只今から手術室という大きな門を潜らねばならないのである。そう反芻し、両開きの扉をめいっぱい力入れて、ゆっくり開く。

 私は以前に黒い焔が燃え上がる輪を妄想したかと思う。私の内心を大袈裟に再現した、たかが空想であったが、それがまさか現実になるとは思わないだろう。焔はなかった。しかし巨大な円は手術室を支配するように描かれ、中には記号がふちに沿って羅列し、真ん中には見慣れた五芒星が紫の光を怪しく瞬かせている。紫の光は円の端まで広がり、私の信じ難い夢物語を具現化させたのだ。こんな事があって良いのだろうか。手術台と呼ぶべき祭壇には私が今まで各病室で見た、芸術の一端が横並びに整列している。それらを輝かせる淡いライトは、無事発見された各々の表彰式のように思われた。そして私はこの時、とてつもなく武者震う心地をしかと覚えたのである。——悪魔崇拝。この舞台にはそういった表現が正しく似合う。残酷で、醜悪で、人道から逸脱した神の反逆者。それをわざわざ信仰する、偏に愚かな者。その全ての象徴がこの部屋に刻まれているという、この上なく絶世の美。それが今私の目の前に広がっているなど……。

「もう分かったかな?これが病院の真実だって」

「君は、666号室を出入りしていた人物が、院長ではないかって思ったでしょ?」

「なら、大当たりだよ。院長先生は恐ろしい悪魔崇拝者だったんだ」

「ねえ、もっと散策してみようよ。君が知りたいこと、この病院はみんな知っているから」

 それならば次はどこに向かおうか。輪の中に入り、中心部へ寄って、輝く五芒星の真ん中で祈るように目を伏せるのだった。そうすると五芒星が再び私の行く道を印してくれる気がしたから。瞑ったまぶたの裏側で、映ったのはベッドであった。厳密に言えば輸血パックの部屋があった302号室にぶら下がった宙吊りベッドの事であるが、私の脳が輸血パックよりそちらを優先した事象に、今ならば明らかこじ付けのスピリチュアルでも信じられると、私は次なる目的地を定めるのであった。外来フロアでベッドのある室内といえば残りは何処になるだろうか。瞼の裏側で見えるよう念じ続ければ、私はある部屋を突如思いつく。しかしその勘は、病院といえば、という潜在的な先入観における半ば決め付けによるもので、私はこの病院のことなど詳しく知らない。まず案内図を探すところからだろうと、開いた瞳には再び紫の光が入り込んだ。私は悪魔と共に探索を始めるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。