404 助けてあげないと
私は二人をいつの間にやら恐ろしく思っていたように感じる。その恐ろしさは、小さな命に襲いかかろうと草に紛れる肉食動物の目線を、気配として背中に受けた背筋凍る心地を再現させた。私を狙う獣の丸い瞳孔。沈黙でありながら確実な殺意と、逃さまいと結ぶ口元。その間は肉を千切る牙も捕らえて動きを封じる爪も一切を隠す、その不気味さ。油断を見せないよう気を張る姿さえ隙と読まれたなら、今にも奇襲をかけられそうな緊迫。しかし二人は私の命を狙うより、私の生き甲斐とするそのものを崩落させかねない脅威であった。特別視されたい感情、そんなものが存在する私の心情を見透かして、虎視眈々崩す機会を窺っている。そんな風な二人。彼らは父親に私の良くない噂を吹き込みそうだったが、いつも間一髪で踏み止められている感覚だった。薄気味悪く、命を奪われるより最悪であると考えた。もしそんな噂話ごときで父親の関心を根こそぎ払われてしまうなら、二人の取る行動によって父親との関係が残らず崩壊してしまうなら。私は姉弟に、最も脆い部分を握られた予感がし、いつそれを破壊されるか不安でならなかった。耳障りな姉の口、目障りな弟の視線。それらがいつ父親に見つかって、訳を問われるか気が気でなかった。父親が問い質せば、父親と同じく信仰深い姉弟は嘘などつかず、私の欠点だけを掘り当てて、さながら被害者かのような訴えを泣き叫ぶのだろう。そうなれば私に勝算はなく、唯一の父親も私との血の繋がりを絶たれるかもしれなかった。今思えば、昔三人で同じベッドだった頃さえ、私の姉弟はあたかも私と同等の弱者を装って、私の弱点が垣間見える瞬間を探っていたのかもしれない。隣に並んで絵本を読む時でも私の声、動き、目線を随一監視して死より恐ろしい計画を企んでいただろう。実際に、彼らは狂っている最中でさえ父親の前で私の名を挙げ、遂行する執着を見せつけていたではないか。脳内の異常が「狂っている」という意味を持つなら、狂いこそ人間の本性なのではないだろうか。本能のままに心緒を表沙汰にし、丸裸で生きようとする、本来そのものの野生の生き様。姉弟の本来こそ、ああだったのだ。姉弟はずっと正常という鎧を着せられ、それは鉄壁の皮であった。私が今まで見てきた姉弟は顔も肌もひた隠す鎧の姿であった。しかし中身はひどく脆く、私の毒々しい血を受けると狂ってしまうらしい。彼らはあっという間に化けの皮を剥がし、私に姿を現した。
しかし狂気は万人にとって人が著しく変化してしまう重篤であって、一昔前は超常的なナニカに憑依されたと信じられたほどらしい。つまり、どんなに本能が露わになろうと狂気と判断された上ではどんな理屈も通らない、という安全がある。けれども狂気からなおった後はどうだろう。狂気を経た人間は本能のまま訴えるより最適な解決策を模索し、狂気と正常を照合し、最も自分の意思が伝えられる状況を作ることに長けるはずだ。それならば、姉弟が私との永い隔離を経て父親との時間を経て、この閉鎖空間で徐々に正常を取り戻していくとしたら、そこには恐ろしい知恵を持った策略家が存在してしまうのではないか。そんなことが許されては、今度こそ父親と私との関係が危ぶまれる。もしかすると、既に隣の部屋では何らかの私を陥れる計画が始まっているかもしれない。それは堪らない。私は関係のため必然的に彼らを始末せねばならず、寝静まる深夜に病室から移動するのであった。私は手術室に向かい、糸、メス、そして注射器などを手にした。真っ白なワンピースに入れるポケットは存在せず、私はそのまま両手で鷲掴む。廃墟になっても、私達がここに居る間は電気も生きていてくれるらしく、私の進む廊下を白く妖しく照らすのだった。
私の病室の隣。院長室とはまた逆の隣である。そこにも壁紙はあったが、私の部屋より随分目立たなく真新しい壁紙であったので、父親がここを出入りする様子を目撃していなければ私も生涯気付くことさえ出来なかっただろう。ここは姉弟のいる部屋だった。壁紙をめくり、扉を音立てず開ければ、姉弟は点滴をしたまま眠りについていた。随分久々に見た姉弟の姿。すると私の中での姉弟はつい先程まで確固としてあった姿から塗り替えられてしまう。途端に姉弟の姿は肉に飢えた獣から私の分身に思えた。彼らもまた父親から愛されたいと望む一人一人の人間であった。私の姉弟という認識は何処かで歪められ、私の不安を具現化させる都合の良い装置に切り替わっていたらしい。姉弟は今尚安らかに眠っているだけの姉弟であったが、私は寝顔に純粋で哀れな、等しく救ってやるべき命の儚さを浮かべた。姉弟は初めから仲の良い家族であり、血の繋がった、当たり前に存在する愛おしい人だったのである。だから、そうだ。助けてあげないと。
点滴袋に射し込んだ注射針は、その先端から麻酔薬を滴らせた。頬を叩こうと起きないことを確認したら、姉・ニイの口には糸を通す。姉の口は私の血潮のせいで呪われ、今や凶暴に騒ぐだけの道具に成り果ててしまっている。このままでは舌からみるみる呪いは侵食し、彼女自身が彼女自身でなくなってしまうかもしれなかった。ならば今のうちに口を縫い合わせ、悪魔に捧げてしまえばいい。ラプラス様、どうか、姉を救ってはくれないかと。弟の眼は摘出手術を行った。弟の瞳は、私を直視したせいで獰猛な瞳に変えられたかもしれなかったので、他の部位まで侵食される前に壊れた部位を対価にするのだ。そうして、姉弟の目と口は悪魔に貰われるに至ったのである。姉弟はそうして救われた。けれど、完全な救いとは苦痛からの解放であった。このままでは朝が来て、二人は失った体躯の痛みと苦しみに泣いてしまうだろう。それは可哀想に思えたので、私は苦しみから逃がしてあげようと、二人が夢の中にいる間に、そこから帰ってきてしまうのが今後ないよう、夢と胴体を繋ぐ細い導線を断ち切ってしまったのだ。そうして翌朝。私の居るはずの病室に私が居ないことを不審に思った父親は真っ先に隣の病室を覗いたことだろう。そこに私達はいなかった。けれど転々と擦った様な血痕が床をなぞっていたのには、直ぐ気づいただろう。父親は私達の名前を叫びながら懸命に探したはず。この頃の回廊はまだ水浸しになっていなかったので、私はそこを通って外来フロアへ行っていた。父親も血痕を辿って来たのだろう。彼が外来フロアを訪れるのも時間はかからなかったように思う。手術室から、父親の響く声は段々と近づいてきているのが伝わった。そして父親はもう扉の目の前まで来ているらしかった。緊張しているのか、開けるまでに数秒の永い時間を置いてから、戸は勢いつけて開かれた。私はずっと父親がこうして来てくれるのを待っていた。父親は私を見てくれている。私を見ながら、変わり果てた姉弟の姿を同時に捕らえていたに違いない。けれど中心は私であった。私は父親の目に映る強烈であった。私は歓喜に満ちて、そのあまりの歓喜に声が震え上がる体験を知った。
「ねえお父さん、見て!わたしがこの子達を救ってあげたんだ!全部悪魔が教えてくれたの。悪魔は優しい人だから、私の道標をいつだって記してくれるの。私は悪魔に、お父さんといたいって願った。悪魔はちゃんと聞いてくれた。神様は聞いてくれなくても、悪魔なら聞いてくれた!ねえ、神様なんていなかったでしょ。願いは叶ったでしょ。わたしは正しかったでしょ。神様なんか頼ったって、わたしたちを助けてなんてくれないんだ。ねえお父さん、わたし、お父さんのいちばんになれたかな」
父親はあれから何も答えはしなかった。けれど悲しくはない。私はあれから、手術室にて父親が祈りを捧げているのを知っていた。ニイ、ニニ、ニオの名前が挙げられているのも私は聞き逃さず、私の教えたラプラス様だって祈りの中には紛れていた。私が欲して手術室の中を覗くことはない。言われなくてもあの中は、独創的な祭壇が築かれていることなど分かっていたから。悪魔は遂に私とお父さんの、二人の中で永遠になったのだ。




