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305 私を見て

そういうことを続けた。正規にもない奇怪で独創的な儀式は計三回ほど行われ、その三回目にして姉弟二人が気づくに至ったのは間もなくのことであった。二度は指五本分切った自らの爪を燃やし、三度は庭端の花壇に植えられた濃いピンク色の花をやった。背の低く花弁の小さな花であったので、茎を絶たず根元から抜き、土で隠れていた根が土を持ってくるのも払わず、数束を透明のテープで止め、そのまま部屋で燃やしていた。そこを姉は目撃する。姉は驚いていたのでもなく、尾行し、徹底的瞬間をとらえた刑事の如く私の部屋に入るなり、振り向くより早く腕を掴まれた。

 私は立っていた。立ちながら、紙と共に燃えゆく花々を呆然と見下ろしていたところで、姉が入ってくる気配などは意識外だったが、反対に驚くということもなく、私の感情は至って平然でいる。姉は前にも述べた通り驚きこそなかったが、眉は吊り上がり、その為に瞼がやや下がって、私を見る目線が鋭く尖っている。「どうかした」と訊く。

「火遊びなんかして。頭おかしいんじゃないの」

 姉は火遊びで怒ったらしかった。けれど根底には燃料であったものに対する嫌悪感があることを、しっかり者の姉の日頃から悟った。姉は自分の髪も燃料に使われた事を気付いていたに違いない。それを、人のものを燃やして楽しむ放火魔、もしくは愉快犯に見えた姉は持ち前の正義感が勝って、ようやく三度目に叱咤する決意をしたのだろう。それで、私の頭を指摘したと。

「やれば、悪魔が来てくれるから」

「何?悪魔を信じるの?」

 姉は鋭い目のまま見開くばかり。私の意見は受け入れ難い様子でいる。当然、父親に憧れていた彼女は神を信じる立場にいた。それを周りも同じだと勘違いされたのは、私も隣で笑っていたから。この瞬間から私達二人の関係に亀裂が入ったのは確かであった。私は純粋ながら私達を励まそうとする父性満ちた姿勢に好意を示していただけであって、父親の語る内容に好意はない。そういう思いが私だけであったことも重々承知の上、それでも保っていたのは姉側からの寄り添いという土砂である。けれど無垢な土砂は倫理観の一致を前提としており、その価値観から逸脱されると非常に脆い泥になるので、私という内面が裸になった途端、重しに耐えきれず無様に崩れた。それが亀裂である。

「お父さんを信じられないから」

 手の力は変わらないままでいた。言葉に反応して痙攣する様子もなく、目線も変わらずにいた。けれど眉間に皺を寄せたまま怒りの表情が和らいだところを見るに、それは呆れであると知る。諦めだった。見限りだった。度し難さだった。詮方無いと離された手が正にそれを物語っていたように思う。

「有り得ないから。それやめて」

 姉の静かになった背中は去る。けれども姉の足は早く立ち去ってしまいたいと、急ぎ足で居なくなったところを確認した私は、もう一度焦げた紙へ振り向く。姉のいう「それ」である。「それ」は私の目には腐って見えた。黒々して膨れたところは蟲の蠢きで、蟲どもに食い荒らされた紙は殆どを塵に変えて私の目に見えた。花は色や感触の柔らかさを消し、既に灰である。姉の理解をも燃やすなら、火はいけ好かない。しかし火は姉だけに留まらなかった。一戸を全焼させた焔はまた一戸へと飛び火し、私を確実に孤立させようと細工していく。姉伝いの焔は弟も炎上させ、弟の目つきは細く冷たく一変した。彼は彼女が「どっか行って」と声出す代わりに私を敢えて避け、遠くから睨んでいる。私は彼を包む炎が父親の身まで移ってしまうのを避けたかった。ああいう赤の塊は偏見に過ぎない。私という形をどこまでも歪ませ、狂人のレッテルだけをでかでかと強調させた虚言である。他人からの見解では私の心情など語れない。否、他人であるなら語ってはならないのだ。何故なら私の心情などどこに書かれてある訳でもないのだから。私は私から父親に告白したかった。私が最も美しいとする美学を。価値を。教訓を。それは絵にしても描き切れないもの。それを見て欲しかった。私の裸を。剥き出しの心情を。私を見て。私が悪魔を必要とせねばならない強い欲望を、父親という唯一だけは認めて貰いたがった。その為に火は邪魔であった。私は火を退けたくて堪らなく、けれどもそんな日に限って父親は家にいた。家にいるのに、弟はでかでか私を罵る。いつもは大声を出さず遠くで見て去っていくだけの彼が、この日は騒ぎを聞きつけた父親に私の行為を告発する気でいるように映る。弟とはキッチンにて鉢合わせた。弟は父に代わって料理の手伝いをしていたそうで、今は鍋の沸騰を待っていたそう。一方私は不運にも体調が優れ、自ら薬と水を取りに行った帰りである。

「知ってるんだからな。お前、カブトムシ殺しただろ」

 弟は私を通せんぼし問い質す。片手ずつにあるコップと薬の包装シートはやや気まずそうで、水の揺れ動きは私が止まってから段々と弱まっていく。行き場を失い優柔不断に右往左往する生き物にも見える。しかし目の前の少年は真っ直ぐ私を凝視し、又私もそれに合わせていた。

「必要だったんだ」

 弟の左右に伸びた両手は縮まらず、未だ空間を貼るテープになりきって強気に居る。少年の目も一層険しくなり、彼の正義感が刺激された。神話や教えは人をやけに正義へ誘導しようとする。悪いという意味ではなく、ただ、姉弟二人して誠実さに拘るのは、幼少期からの父親伝いで来た教えに則るものではないかと、裁量しただけに過ぎない。不信にいる私は欠如しているから。

「悪魔崇拝なんか、父さんが知ったらどう思うだろうな」

「喋るの?」

 弟は口を結ぶ。私が悪魔という単語を口にしたことも、姉から語られたそうだった。弟がずっとこのまま口を閉ざしてくれるのなら良かった。けれど弟は私を睨むのを辞めそうになく、これでは少年の目か、少女の口で父親に飛び火してしまう。それは時間の問題であった。打破しなくては。対策しなくては。父親は裸の私を裸のまま見なくては。そうするには、飛び火を別のところへぶつけて、消滅させなくてはならない。

 ……鍋には細長い取っ手が付いており、丁度私の方を向いていた。私が横を向けば取っ手と身体は目を合わせ、手を曲げていても届く位置にある。私はその手を上に持ち上げた。お湯の底から細かい気泡が転々と昇り、一本の線になって際限なく揺れている。もうじき沸騰するだろう。けれど私に沸騰を待つ必要はなく、持ち上げた拳を取っ手に振り下ろすだけでよかった。私は振り下ろした。円柱の銀色が命中する私の拳に負け、殴られた勢いで鍋は大きく傾く。火の手が上がるように、勢いを増すように。大人しく気泡に震えていたお湯は巨大な牙を剥き襲いかかる。獣が咆哮する時の口。あるいは獲物を狩る時の爪。白く透明の液体はそういったものに擬態して私の顔半分、右側を直撃した。

「きゃーーーーっ」

 甲高い悲鳴は弟や姉の叱咤より大きく響く。窓から聞こえてくる笑い声より大きく埋め尽くす。笑い声なんて、私が願おうと叶わないのに。悲鳴は咳に止められないなんて、皮肉な。けれど悲鳴はほぼ演技であった。痛みは直ぐやってきたものの、悶え苦しむのも半分ほど演技であった。私は苦痛に慣れていたので、なんとか耐える術を覚えていたから。だからこそ、父親は直ぐ駆けつけてくれた。駆けつけて私を抱きしめてくれた。その一瞬、弟の青ざめる顔が見えたが、右目は痛みによって上手く開かない。相当の火傷を負ったに違いなかった。弟は恐ろしいものより恐ろしいものを見たと戦慄し、父親にどうかしたのか問われると「知らない!」と言って逃げ出したから。しかし、父親は直ぐに救急車を手配し、私の顔を冷やしにいった。「ごめん」「ごめん」と繰り返す父親の声は何時までも私に対してであり、逆を言えば、私以外の思考一切を許さなかった。

 結ばれたのだ。私とお父さんとの繋がりが。これからはきっと、父親は私を見てくれるようになるだろう。悪魔を愛する私という内面だろうと、父親なら肯定してくれるはず。私は憎たらしい火に復讐を果たしたのである。

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