第8話「深淵の心臓」
裁判の口頭弁論から、十日が経った。
この十日間で、超深層は第3階、第4階まで踏破した。
桐谷との連携はますます精密になっている。俺が鑑定データを送り、桐谷が構造を分析し、次の配信で効率的に進む。その繰り返しだ。
だが、体がきつい。
各階層の危険度は上がるほどに跳ね上がる。第3階では重力が不安定なエリアがあり、足元が突然傾く感覚に何度も肝を冷やした。第4階では空気中の魔力濃度が高すぎて、呼吸をするだけで頭がぼんやりする区域がある。
全て【鑑定】で事前に読み取り、回避ルートを選んで凌いできた。
だが、睡眠時間は四時間を切っている。
昼は桐谷とのデータ整理と裁判関連の対応。夜は探索。休む時間がない。
「休んでください」
桐谷がオンライン通話で言った。声にいつもの弾みがない。
「凍結命令が出る前に、できるだけ深く潜っておきたい」
「それはそうですけど、倒れたら元も子もないです」
正論だ。分かっている。
だが、時間がない。裁判も管理局も、いつ状況が動くか分からない。
今夜は特別だ。
告知した。「今夜、最深部に挑みます」。
DunGo Liveの注目枠にピックアップされた。SNSでもシェアが広がっている。
これが最後のチャンスかもしれない──と、腹の中では思っている。
* * *
午後八時。鳩山第七坑。
配信開始。
視聴者数カウンター。開始時点で四十二万人。
四十二万。
数字が大きすぎて、もう実感がない。
「おっさん42です。今夜、超深層の最深部を目指します。いつも通りやるだけです。よろしく」
短く挨拶して、洞窟に入った。
チャット欄が猛烈に流れている。読む余裕はない。
通常階層を抜け、隔壁を開放し、超深層に入る。
第1階。第2階。第3階。第4階。
すでに何度も通ったルートだ。マッピング済みのデータ通りに進む。
桐谷がチャットでナビゲーション。宗方──ゼロが安全管理の助言を随所で打つ。
第4階の最深部から、さらに下りる階段が伸びている。
前回の探索で発見したが、時間切れで降りられなかった階段だ。
今日は、降りる。
階段を降りた先。
超深層・第5階。
息を呑んだ。
今までの階層とは、何もかもが違う。
通路ではなかった。
巨大な半球状の空洞。
天井は百メートル以上あるだろう。ヘッドライトの光が上端に届かない。
天井から、鍾乳石のように発光する結晶体が無数に垂れ下がっている。白。青。微かに紫。
星空だ。
地下にある、人工の──いや、人工ではない。鑑定しなければ分からないが、とにかく、これは自然現象の延長にあるものではない。
地面は平坦で、第1階で見た半透明の植物群が一面に広がっている。
そして──空洞の中央に、何かがある。
高さ約三メートルの多面体。
幾何学的に正確な面構成。黒曜石に似た表面。
その表面を、脈動するように淡い光が走っている。
まるで心臓の鼓動のように。
俺は歩み寄った。
足音が空洞に反響する。
多面体の前に立つ。
見上げる。俺の二倍近い高さがある。
【鑑定】。
発動した──が、結果が出ない。
通常は一秒か二秒で文字が浮かぶ。
五秒。十秒。十五秒。
視界の端で、文字が生成されては消え、書き換わっている。
何度も何度も、結果が再計算されている。
二十秒。二十五秒。三十秒。
チャット欄が不安げにざわめいているのが、視界の隅に見える。
そして──安定した。
『ダンジョン核(原初核体)
分類:ダンジョン生成の根源構造
状態:休眠中(活性化閾値まで残り12%)
特性:周囲の魔力を吸収・変換し、ダンジョンの空間構造を維持
備考:原初核体は全ダンジョンの最深部に存在するが、
超深層封印下にあり、
これまで人類がアクセスした記録はない
管理情報:鑑定スキルは核体の管理インターフェースとして機能する』
声を震わせるな。
震わせるな。
「鑑定結果を……読み上げる」
声に出した。
一字一句、そのまま読み上げた。
チャット欄が止まった。
四十万人以上が、同時に黙った。
その沈黙の後──視聴者数カウンターが動き出した。
「600,000」。
「800,000」。
「1,000,000」。
百万人を超えた。
「桐谷あかり:これが……ダンジョンの心臓」
「ゼロ:管理局に即時報告が必要だ。だがまず、この配信を止めるな」
桐谷の文字に、いつもの学術的な冷静さはなかった。
ゼロの指示は、いつも通り端的だった。
俺は核体の周囲を歩き、壁面、地面、空気、植物群に片端から【鑑定】をかけ続けた。
出てくる情報の全てが、これまでの常識を覆している。
「ダンジョンは自然現象ではなく、核体を中心とした生態系として設計されている」
「核体の活性化は新たな階層の生成を意味する」
「鑑定スキルは核体の管理インターフェースとして機能する」
読み上げるたびに、チャット欄が波打った。
鑑定が──管理インターフェース。
第3層の隔壁が鑑定で開いたのも。
超深層の全てが鑑定でしか読み取れなかったのも。
全部、この核体に繋がっていた。
俺のスキルは、ハズレなんかじゃなかった。
この場所を管理するための──鍵だった。
「……」
声にしなかった。
今、感情を出す場面じゃない。
データを取る。記録する。それが俺の仕事だ。
核体に近づいた。
触れようとした。
指先が、多面体の表面に触れた瞬間──
脈動が、速くなった。
地面が微かに揺れる。
足元の植物群が、一斉にざわめいた。
鑑定表示が切り替わる。
『警告:外部接触を検知
休眠状態からの移行プロセスが開始されました
活性化閾値到達予測:72時間』
手を引いた。
「……触れるべきじゃなかった、か」
呟いた。
核体の脈動は、先ほどより明らかに速い。
活性化。七十二時間。
何が起きるのか、まだ分からない。
だが、俺が触れたことで、何かが動き始めた。
視聴者数。百二十万人。
百二十万人が、今の瞬間を見ていた。
「今日はここまでだ。帰る。明日、この鑑定記録を桐谷さんと分析する」
帰還を開始した。
第5階、第4階、第3階、第2階、第1階。
来た道を、一歩ずつ戻る。
体が重い。疲労が限界に近い。
だが──止まれない。
洞窟を出た。
夜風が、肺に痛いほど冷たかった。
七十二時間。
三日だ。
三日で、何かが起きる。




