第7話「値札のない価値」
宗方と会ったあの夜から、四日が経った。
宗方の助言を受けて、配信探索を再開している。
凍結命令はまだ出ていない。管理局は世論を見て慎重になっているらしい。配信の視聴者数は安定して五万から八万。「おっさん42を止めるな」というハッシュタグがSNSのトレンドに入った日もあった。
だが、別の方向から弾が飛んできた。
朝、ポストに分厚い封筒が入っていた。
差出人は、弁護士事務所の名前。
中身は訴状だった。
『原告:株式会社帝央マグナス
被告:真壁遼
請求の趣旨:鳩山第七坑における超深層探索権の帰属確認
原告の主張:鳩山第七坑の個人探索権譲渡は、超深層を含まない旨が契約上の前提であり、超深層の探索権は原告に帰属する』
訴訟。
裁判だ。
書類の束を持つ手が、小さく震えた。
怒りではない。
いや、怒りもある。
だが、それ以上に──疲労だ。
リストラされて、ダンジョンを押し付けられて、自力で超深層を見つけて、国に目をつけられて、今度は元の会社に訴えられる。
次から次へと、俺から奪おうとする手が伸びてくる。
訴状をテーブルに置いて、顔を洗った。
水が冷たい。
鏡に映る四十二歳の顔は、二週間前より確実にやつれている。
* * *
午前十時。桐谷にオンラインで連絡した。
「訴訟……」
桐谷の声が沈んだ。
「あたし、法律は専門外ですけど、知り合いにダンジョン法制を研究している弁護士がいます。紹介しましょうか」
「助かる。頼む」
桐谷が紹介してくれた弁護士と電話で話した。ダンジョン関連訴訟の専門家だという。
状況を説明すると、弁護士は言った。
「契約書の文言を確認させてください。『全区域にわたる探索権』と記載があるなら、こちらに勝ち目はあります。ただし──」
「費用か」
「正直に申し上げて、この規模の訴訟は安くありません」
見積もりを聞いて、黙った。
配信の収益と貯金を全て合わせても、足りない。
弁護士は「分割でも対応します」と言ってくれた。ありがたいが、重い。
SNSでは訴訟の件がすでに拡散されていた。
『帝央マグナスがリストラした社員を訴訟 超深層の権利を奪い返す構え』
このタイトルの記事に、批判のコメントが殺到している。
「リストラしてゴミダンジョン押し付けて、価値が出たら返せって?」
「帝央マグナスやべえな。企業イメージ終わるぞ」
「おっさんが自腹で装備買って命がけで見つけたのに」
世間の空気は、俺の味方だ。
だが、法廷は世論では動かない。
* * *
裁判所。
第一回口頭弁論の日は、曇り空だった。
スーツを着るのは久しぶりだ。リストラの日以来。
法廷に入ると、向かいの席に鷹村がいた。
銀縁眼鏡。きっちりしたスーツ。こちらを見て、軽く会釈する。
あの慇懃無礼な丁寧さは、法廷でも変わらない。
帝央マグナス側の弁護士が主張を述べた。
内容は訴状の通り。「退職時の譲渡契約書には”D級ダンジョン鳩山第七坑の探索権”とのみ記載されており、当時確認されていなかった超深層は譲渡範囲に含まれない」。
続いて鷹村が証言に立った。
「退職時にお渡しした探索権は、あくまでD級ダンジョンとしての範囲に限定されたものです。超深層という未知の領域が存在するとは、当時の段階では会社も把握しておりませんでした。会社としての判断ですので」
同じ言葉だ。
何年経っても、あの人は変わらない。
俺の弁護士が反論した。
契約書の原本を提示する。
「契約書には『鳩山第七坑の全区域にわたる探索権』と明記されています。全区域という文言は、当時認知されていた区域に限定されるものではありません」
帝央マグナス側が再反論。「全区域とは、譲渡時点で登記されていた区域を指す」。
法律の解釈の戦いになっている。
俺には、そちらは分からない。弁護士に任せるしかない。
だが、一つだけ、俺にしかできないことがある。
証言台に立った。
弁護士に促され、事実を述べた。
「俺は帝央マグナスに二十年間勤めました。現場管理職として、ダンジョンの探索データを鑑定し、報告書を作り続けました」
法廷は静かだ。
「退職時、退職金は出ませんでした。代わりに渡されたのが、鳩山第七坑の個人探索権です。鷹村部長は──いえ、当時の鷹村部長はこう言いました。『誰も要らないダンジョンだが、探索権としての価値はある。退職金代わりだ』と」
鷹村の方を見た。
目が合った。
鷹村は表情を変えなかった。
「その後、俺は自費で装備を揃え、自分のリスクでダンジョンに潜り、自分のスキルで超深層を発見しました」
テーブルの上に、ノートパソコンを開いた。弁護士がモニターに映す。
配信のアーカイブ映像。鑑定結果の詳細ログ。超深層の地図。全て、俺が自分の金と体と【鑑定】で集めたデータだ。
「このデータは全て、俺が自費で装備を揃え、自分のリスクで潜って、自分のスキルで取得したものです。帝央マグナスは一円も出していません」
法廷が、しんと静まった。
* * *
法廷を出た。
廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。
「真壁くん」
鷹村だった。
「まだ和解の余地はありますよ。探索権を返していただければ、相応の──」
「鷹村さん」
俺は振り返った。
「あんたは二十年前、俺のスキルが【鑑定】だと分かった時、こう言った」
鷹村の眉が、微かに動いた。
「『使えないスキルだな』」
間を置いた。
「覚えてないだろうけど、俺は覚えてる」
鷹村は何も言わなかった。
俺は背を向けて歩いた。
振り返らなかった。
* * *
その夜。
鳩山第七坑。配信を開始した。
裁判のことには触れない。
俺の仕事は、潜って、鑑定して、記録することだ。法廷の話は弁護士に任せる。
超深層・第2階の探索を進める。
チャット欄はいつもより静かだった。
視聴者の多くは裁判のことを知っているのだろう。けれど、俺が語らないことを、彼らは尊重してくれている。
時折、短いコメントが流れる。
「がんばれ」
「おっさん応援してる」
「ずっと見てるからな」
派手な言葉じゃない。
だが、画面の向こうに人がいる。
俺の鑑定を見て、応援してくれる人がいる。
それは──二十年間、会社で一度も得られなかったものだ。
配信を終えて、帰宅。
スマホにDMが一件。
宗方からだった。
『裁判の件、管理局も注視しています。正式な凍結命令は、裁判の結果が出るまで保留になりました。配信を続けてください』
配信を続ける。
それだけが、今の俺にできることだ。
テーブルの上に、訴状の封筒がある。
その隣に、ジップロックに入った金属片がある。
二十年前、「使えないスキルだ」と言われた。
今、そのスキルの価値を裁判所が決めようとしている。
だが本当の価値は──法廷ではなく、あのダンジョンの奥にある。
俺はそれを、自分の目で確かめに行く。




