第5話「A級が来ても意味がない」
第2階への階段を発見した夜から、五日が経った。
この五日間で、超深層・第2階の入口付近までの探索を三回行った。
桐谷との連携で、第1階のマッピングはほぼ完了。通路の構造、魔物の出没ポイント、安全なルート。全て鑑定データと桐谷の分析で整理されている。
配信の登録者は二十万人を超えた。
生活のリズムが変わった。昼間は桐谷とオンラインで鑑定データを整理し、夜は鳩山第七坑で配信探索。繰り返しているうちに、五日が過ぎた。
その五日目の昼。
DunBoardを開いたら、トップスレッドに動画のリンクが貼られていた。
タイトルを見て、手が止まった。
『【神楽坂透真】超深層、俺が攻略する【A級ソロ宣言】』
神楽坂透真。
A級探索者。配信登録者二百八十万人。スキルは【閃断】──高速斬撃の戦闘スキル。
探索者業界で知らない人間はいない。テレビにも出ている。若くて、強くて、派手。
俺とは全てが正反対の男だ。
動画を再生した。
画面の中で、長身のイケメンが腕を組んで笑っている。
「話題の超深層、俺が自分の目で確かめてやるよ。D級のおっさんが配信してるだけじゃ、いつまで経っても全容は分からないだろ。攻略には戦闘力が必要だ。数字が全てだろ」
再生回数は三百万回。
コメント欄では「おっさんの鑑定配信 vs 神楽坂の実力配信」という対立構図で盛り上がっていた。
俺は動画を閉じた。
べつに、腹は立たない。
A級探索者が超深層に興味を持つのは自然なことだ。あの場所が持つ価値を考えれば、来るなという方が無理がある。
ただ、一つだけ引っかかることがある。
神楽坂透真は、帝央マグナスのスポンサード探索者だ。
その情報は公開されている。神楽坂の配信画面には帝央マグナスのロゴが常に表示されている。
帝央マグナス。鷹村の会社。俺をリストラした会社。
偶然で片付けるには、タイミングが良すぎる。
* * *
翌日の午後。
鳩山第七坑の駐車場に車を停めた時、見慣れない車が一台止まっていた。
黒いSUV。ナンバープレートは都内。
洞窟の入口に、人影が立っていた。
長身。整った顔立ち。動画で見た通りの男だ。
「あんたが、おっさん42?」
神楽坂透真が、俺を見て笑った。
「真壁です」
「神楽坂透真。知ってるだろ?」
知っている。だが、それを言う義理はない。
「A級探索者の方ですよね」
「そ。で、今から超深層に入らせてもらおうと思ってさ」
軽い口調だ。
法的には、通常階層──D級部分は公共エリアだ。探索権の有無に関係なく、誰でも入れる。
だが超深層は、俺の個人探索権の範囲に含まれる。
「超深層は俺の探索権の範囲です」
「分かってる分かってる。通常階層を通るだけ。超深層の入口を見せてもらうだけだよ」
見せてもらうだけ。
この手の言い回しは、会社で二十年聞いてきた。「ちょっと確認するだけ」「参考までに」。全部、嘘の前置きだ。
俺は何も言わず、先に洞窟に入った。
神楽坂が後をついてくる。
足音が軽い。A級の身体能力は伊達じゃないらしく、岩場を歩く音がほとんどしない。
第3層。
隔壁の前に立つ。
神楽坂が、壁に手を触れた。
何も起きない。
もう一度触れる。叩く。押す。
何も起きない。
「……開かねえ」
神楽坂の表情が初めて変わった。眉が寄っている。
「この壁の向こうが超深層だろ? なんで開かない」
「【鑑定】による署名認証が開放条件です。鑑定スキルがなければ反応しません」
俺は淡々と言った。
神楽坂が、腰に吊った武器に手をかけた。長剣。A級の装備だ。
「じゃあ、斬るか」
【閃断】。
光が走った。
文字通り、目で追えない速度の斬撃。
刃が隔壁に叩きつけられ──跳ね返された。
傷一つない。
「……マジかよ」
神楽坂が、信じられないという顔で隔壁を見つめている。
A級の全力の斬撃が通らない壁を、俺は手を触れるだけで開ける。
その事実が、この場にいる全員──俺と神楽坂と、神楽坂の配信カメラの向こうにいる数十万人の視聴者に、突きつけられた。
「なんだこれ……鑑定とかいうハズレスキルじゃないと開かないのかよ」
神楽坂の声には、苛立ちと、わずかな動揺が混じっていた。
それを聞いて、俺の中で何かが冷めた。
ハズレスキル。
二十年間、何百回と聞いた言葉だ。
今さら傷つくほど柔い皮膚はしていない。
「神楽坂さん」
「……何」
「組まないか、って言うつもりでしょう」
神楽坂の目が、一瞬広がった。
「俺が戦って、あんたが鑑定する。そう持ちかけようとしていたんじゃないですか」
「……まあ、効率的だろ」
「そうかもしれません」
俺は神楽坂の目を見た。
「でも、あんたは俺の鑑定が欲しいんじゃない」
間を置いた。
「超深層のデータと名声が欲しいんだ。二十年会社にいれば、そのくらいは分かる」
沈黙。
洞窟の中で、水滴が落ちる音だけが響いた。
神楽坂の配信カメラは回っている。今の会話は、彼の視聴者にも聞こえているはずだ。
神楽坂は何も言わなかった。
否定も肯定もしない。
その反応が、図星だと語っている。
「──ただ」
俺は続けた。
「超深層に興味があるのは本当なんだろう。だったら、一つ条件がある」
神楽坂が顔を上げた。
「俺の指示に従うこと。鑑定結果が出るまで手を出すな。それが守れるなら、同行を許可する」
神楽坂は数秒黙って、それから薄く笑った。
「言うじゃん、おっさん」
「条件を飲むかどうか聞いている」
「……分かった。あんたの指示に従う」
* * *
隔壁に手を触れる。【鑑定】、署名認証。
壁が音もなくずれ、下り階段が現れた。
神楽坂が息を呑む気配がした。
超深層・第1階。
発光苔に照らされた通路を進む。
神楽坂は無言で俺の後ろを歩いている。さっきまでの軽口が消えた。空気の違いを、体で感じ取っているのだろう。
十分ほど歩いた時。
通路の先に、甲殻の影が見えた。
アビサルシェル。体長二メートル。
神楽坂の手が剣の柄にかかった。
「待て」
俺は低い声で制した。
【鑑定】を発動する。前回と同じ結果。音波感知型、視覚なし、静止物には反応しない。
「鑑定結果を言う。音で感知するタイプだ。視覚はない。動かなければ気づかれない」
「……斬った方が早くないか」
「斬撃音で仲間が来る。前回、それで増援が出かけた」
嘘ではない。前回一体だったアビサルシェルが、今は通路の奥にもう二体いるのが見える。音を立てれば、三体が同時に動く。
「あんたの【閃断】でも、弱点を知らずに殻を叩いたら弾かれる。さっきの隔壁と同じだ」
神楽坂の手が、剣の柄から離れた。
「……弱点は」
「腹部第三関節の殻が薄い。だが今は戦う局面じゃない。黙って迂回する」
俺が先頭に立ち、壁際を音を殺して進んだ。
神楽坂が後に続く。A級の身体能力のおかげか、足音は俺より静かだった。
三体のアビサルシェルの横を、息を止めて通過する。
通過した後、神楽坂が壁に背をつけて大きく息を吐いた。
「……こんなの初めてだ」
小声で、しかし確かにそう言った。
A級探索者が。戦闘力の頂点にいる男が。
「戦えない」場所を、初めて経験している。
俺は何も言わなかった。
その後三十分ほど探索を続けたが、神楽坂は一度も剣を抜かなかった。
鑑定結果が出るまで待ち、俺の指示通りに動いた。
約束は守る男らしい。
* * *
帰還。
洞窟の外。夜空の下。
「おっさん」
神楽坂が、車に向かう俺の背中に声をかけた。
振り返ると、さっきまで超深層で見せていた緊張の面影はなく、いつもの自信に満ちた顔に戻っている。
だが、目の奥には──何か、考え込むような色があった。
「今日のこと、俺の配信で正直に話す」
「好きにすればいい」
「あんたの鑑定がなかったら、俺は何もできなかった。それも含めて話す」
俺は少し驚いた。
てっきり、自分に都合のいい編集をするものだと思っていた。
「数字が全て、ってのはさ」
神楽坂が夜空を見上げた。
「嘘をついたら数字が死ぬんだよ。視聴者はバカじゃない。だから正直に言う。超深層はA級でも単独じゃ無理だ。あのおっさんの【鑑定】がないと、何が起きてるかすら分からない」
そう言って、SUVに乗り込んだ。
エンジン音が遠ざかっていく。
俺は軽自動車に乗って、帰路についた。
帰宅後、スマホを開く。
神楽坂の配信がすでに上がっていた。
サムネイルには大きな文字。
『超深層で俺は無力だった──鑑定おっさんの本当の実力』
再生回数はすでに百万回を超えていた。
コメント欄を少しだけ読んだ。
「神楽坂が『無理』って言うの初めて見た」
「おっさんの鑑定、ガチで唯一無二なのか」
「帝央マグナスのスポンサーロゴが皮肉すぎる」
スマホを閉じた。
あの男は、嘘はつかないらしい。
だが、鷹村がこの結果をどう受け取るかは、別の問題だ。
帝央マグナスが送り込んだエースが、「おっさんの方が必要だ」と公言した。
会社の面子は丸潰れだ。
鷹村の次の手が、これで終わるとは思えない。
窓の外を見た。
夜が深い。
明日も、潜る。




