↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/4

第三話 勇者様、魔王城からクレームです

 王国歴四二三年。


 深夜――魔王城、最上階。


 昼間は魔族たちが忙しなく行き交う城内も、今は物音ひとつ聞こえない。


 魔王はベッドへ巨体を沈め、ようやく訪れた静寂に息を吐いた。


 今日も朝から幹部会議、各地の戦況確認、人間界侵攻に必要な予算の承認。午後には部下が持ち込んだ始末書の山まで待っていた。


 世界征服というものは、思っていたより書類が多い。


「そろそろ……寝るか」


 明日も朝から会議である。


 勇者との決戦に備える以前に、まず睡眠時間を確保しなければならない。最近は魔王軍でも長時間労働に対する目が厳しく、魔王自ら規則を破るわけにもいかなかった。


 布団を肩まで引き上げ、瞼を閉じる。


 今夜こそは必ず八時間寝るのだ。


 魔王はそう心に決めた。


 ドゴォォォン!!


 窓ガラスが震えた。


「…………」


 聞かなかったことにした。


 大丈夫だ。今のは遠い。ここは魔王城の最上階。多少の爆発音など、気にするほどのものではない。


 魔王たる者、細かいことに腹を立ててはいけない。


 ドゴォォォン!!


 今度は天井から埃が落ちた。


「……二回目だぞ」


 まだ耐えた。


 布団を頭まで被る。


 ドゴォォォン!!


「何なのだぁ、あの勇者はぁぁぁ!!」


 布団が宙を舞った。


 ベッドから跳ね起きた魔王は、窓辺まで大股で進むと、遠く離れた王都を睨みつけた。


 勇者アキラ。


 本来ならば聖剣を携え、仲間を集め、苦難を乗り越え、最終的にこの魔王城へ攻め込んでくるはずの存在である。


 ところが、いつまで待っても来ない。


 代わりに聞こえてくるのが爆発音だった。


 しかも報告によれば、戦闘ではない。


 料理である。


「余を倒しに来るなら来い! なぜ自炊で攻撃してくる!」


 魔王が窓の向こうへ怒鳴った、そのとき。


 寝室の扉が、ほんの少しだけ開いた。


「……パパ?」


 魔王の肩が跳ねた。


 静かに振り返る。


 扉の隙間から顔を覗かせていたのは、パジャマ姿の愛娘だった。片腕にはお気に入りであるドラゴンのぬいぐるみを抱え、眠たそうに目を擦っている。


 まずい。


 今の怒鳴り声まで聞かれたかもしれない。


「ど、どうしたのだ? こんな時間に」


 できる限り優しく声をかけたつもりだった。


「うるさくて……眠れないの」


 愛娘が俯く。


 その目元に浮かんだものを見つけた瞬間、魔王の中で何かが変わった。


 愛娘を泣かせるのであれば話がまったく別である。


 何も言わず、その小さく愛らしい頭を撫でた。


 魔王には、こういうときのために四人ほど便利な部下がいる。


 数分後――玉座の間。


 深夜に叩き起こされた四天王が、玉座の前に並んでいた。


 寝癖がついている者が一人。鎧の留め具を掛け違えている者が一人。残る二人はいつも通りの姿を保っているものの、眠気までは隠せていない。


「夜分遅くにすまんな」


「いえ! 魔王様の御命令とあらば!」


 四人の声が綺麗に揃った。


 魔王は満足げに頷く。


「うむ。では早速だが――勇者の件だ」


 眠そうだった四人の顔つきが変わった。


「ついに動きましたか」


「我々に討伐の御命令を?」


「いや」


 魔王は玉座に深く腰掛け、威厳たっぷりに告げた。


「静かにさせてこい」


「…………」


 先ほどまで綺麗に揃っていた四天王が、今度は綺麗に黙った。


「……魔王様」


「なんだ」


「討伐ではなく?」


「うむ」


「勇者を?」


「うむ」


「静かに?」


「そう言っておる」


 どうやら聞き間違いではなかったらしい。


 四人が互いの顔を見合わせる。その視線だけで、言いたいことは十分伝わってきた。


 魔王は腕を組み、先回りして答える。


「余の娘が眠れん」


 四天王が黙った。


 今度の沈黙は少し長かった。


「……承知いたしました」


 やがて一人が頭を下げ、残る三人もそれに続く。


 理由を聞いた以上、誰も逆らわなかった。


「では行け。今すぐにだ」


「はっ!」


 四天王は揃って踵を返した。


 その背中を見送りながら、魔王は一つだけ付け加える。


「ああ、それと――」


 四人が振り返る。


 魔王の姿を見た瞬間、全員の背筋が凍りついた。


「殺すなよ」


        ◆


 翌朝――王都異世界転移者管理局・労務監査課。


 アキラは椅子に座ったまま、机の上に置かれた一枚の紙を睨んでいた。


 正確には、紙ではない。


 請求書である。


「……高くない?」


「厨房を半壊させておいて、安く済むと思っていたんですか?」


 向かいに座るミレイユは、いつも通り眼鏡の位置を直しながら書類へ目を落とす。


 昨日の自炊訓練は失敗に終わった。


 味噌汁を作る。


 ただそれだけだったはずなのに、なぜか厨房が爆発した。


 アキラとしても反省はしている。しているのだが、数字として突きつけられると反省とは別の感情が湧いてくる。


「これ、勇者割引とかないんですか?」


「ありません」


「世界救う予定なんですけど」


「その前に厨房を救ってください」


 アキラが請求書を前に項垂れた、そのとき。


 監査課の扉が三度、重々しく叩かれた。


 ミレイユが顔を上げる。


「どうぞ」


 扉から入ってきた四人を見て、アキラの表情が一変した。


 黒を基調とした鎧。人間とは明らかに異なる気配。そして何より、四人とも隠すつもりすらないほど濃い魔力を纏っている。


 アキラの手が反射的に聖剣へ伸びた。


「まさか……四天王!?」


「勇者様、局内で抜剣しないでください」


 ミレイユからの指示でアキラは渋々、聖剣から手を離した。


 一方の四天王は戦う素振りを見せない。それどころか、アキラとミレイユを前にして何やら居心地が悪そうだった。


 やがて一人が前へ出る。


「勇者アキラだな」


「ああ」


 アキラが椅子から立ち上がると、四天王も動いた。


 四人揃って、一斉に頭を下げる。


「頼む。夜は静かにしてくれ」


「…………は?」


 予想していた宣戦布告とは、ずいぶん違った。


「昨夜の爆発音で、魔王様の御息女が眠れなかった」


「魔王の娘?」


「そうだ。おかげで我々が深夜に叩き起こされた」


 四天王の声には、戦場では決して出ないであろう疲労が滲んでいた。


 アキラは助けを求めるようにミレイユを見る。


 ミレイユはすでに新しい書類を一枚、机の上へ置いていた。


「勇者様」


「……はい」


「魔王城からクレームです」


 アキラは、請求書の隣に増えた新たな問題を見つめた。


 魔王討伐への道は、今日も遠かった。


        ◆


 その夜。


 昨日とは打って変わって、魔王城には静かな夜が戻っていた。


 爆発音は聞こえない。窓も震えない。天井から埃が落ちてくることもない。


 実に素晴らしい。


 静寂とは、これほど尊いものだったのか。


 魔王は愛娘の寝室をそっと覗き込んだ。


 小さな身体を布団に包み、お気に入りのぬいぐるみを抱えた娘は、穏やかな寝息を立てている。


 今夜は娘が眠れている。


 魔王にとっては、それで十分だった。


「……よし」


 満足して扉を閉めようとした、そのとき。


「パパぁ……今日の点数……」


 魔王の手が止まる。


「む?」


 起こしてしまったかと振り返ったが、娘の目は閉じたままだった。


「今日のパパ……百点……」


 魔王は拳を握った。


「よしっ……!」


 魔王はその数字を胸の中で噛みしめた。


 人間界への侵攻が成功した日も、難攻不落と呼ばれた城を落とした日も、これほどの達成感があっただろうか。


 いや、ない。


 娘から百点をもらった。


 それだけで今日は勝ちである。


 自然と拳に力が入った。


「……全部、我々がやったのですが」


「……何もしてないのに」


「……全部、我々がやったのにな」


 背後から、実に余計な声がした。


 魔王は振り返らない。


「黙れ」


 四天王全員がこう思った。


(ずるい……)


 今夜くらいは、この勝利に浸らせてもらう。


 なにせ明日の朝には、また会議と書類の山が待っている。


 世界征服というものは、なかなか楽ではない。


End_is_Zéro_Project

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。