第四話 勇者様、コロコロで甘いイベントを起こさないでください!
王国歴四二三年。魔王復活から四十日目。
王都異世界転移者管理局・労務監査課。
「本日の訓練は、こちらです」
監査官ミレイユが提示したのは、一本の粘着ローラー――通称『コロコロ』だった。
対面に座る勇者アキラは、あからさまに不満気な顔を隠そうともしない。
「……ミレイユさん。俺、一応聞きますけど、魔王討伐の旅っていつ再開できるんですか? 危険物も刃物も使わない掃除って、ただの雑用ですよね!?」
「これは『危険予測訓練』の一環です。まずはその手元にあるカーペットの髪の毛や埃を掃除しなさい」
「ふん! こんな地味な作業、聖剣を振るうのに比べたら余裕ですよ! 見よ、俺のリミットブレイク(限界突破)なローラー捌き!!」
アキラは勢いよくコロコロをカーペットへ叩きつけた。
ズバッ!!
「……あ」
「……何をしているのですか?」
粘着力が強すぎたのか、はたまたアキラの腕力が規格外すぎたのか。ローラーの粘着シートがカーペットにガッチリと密着し、強力な力で引っ張った拍子に「メリッ」と鈍い音が響いた。
「やっばっ、引っ張ったらカーペットごと剥がれる……っ! くそっ、力任せに――『限・界・突・破』!!」
「ちょっと! 力任せに引くのではな――」
ミレイユの制止が間に合うより早く、アキラが全身の力を込めてコロコロを引き抜いた。
その瞬間、粘着シートが勢いよく弾け飛び、反動でアキラの巨体が大きく前方へと倒れ込む。
「うわあああ!?」
「きゃっ!?」
ドサッ!!
重厚な絨毯の上に、二つの影が重なるように倒れ伏した。
……沈黙……。
アキラが恐る恐る目を開けると、目の前数センチの位置に、ミレイユの顔があった。
眼鏡がわずかにズレ、普段の冷徹な仮面が完全に剥がれ落ちている。
(……え?)
いつもは厳格な公務員として接してくるミレイユ。だが、至近距離で見つめる彼女の肌は透き通るように白く、ほのかに甘い石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。
「っ……!」
ミレイユの白い頬が、見る見るうちにリンゴのように真っ赤に染まっていく。
細い肩がかすかに震え、長いまつ毛が揺れていた。
(……ち、近いです……! 目の下のクマさえなければ、と、整った顔立ちをしていて……って、私としたことが、何を考えているのですか……っ!?)
二人の視線が交差し、時間が止まったかのような錯覚に陥る。
アキラの心臓が、ドクン、と大きく跳ね上がった。
(もしかして……ミレイユさん……俺のこと……?)
――ほんの一瞬、世界がピンク色のラノベ空間に染まりかけた、その時。
「……職務執行妨害、および公務員に対する不適切な身体的接触です」
ミレイユは即座に眼鏡のブリッジをクイッと直し、氷のように冷たい声で言い放った。その顔はまだ真っ赤だったが、瞳には殺気が宿っている。
「うぐっ!? い、いま一瞬だけ可愛い顔したのに元に戻るの早すぎだろ!?」
「だ、黙りなさい! あなたが散らかした粘着シートです。責任を持って、すべて手作業で片付けなさい!」
「理不尽すぎるぅ!!」
焦ったアキラは慌てて落ちたコロコロを拾い上げ、頭を掻きむしりながらシートを剥がそうとした。
「くそっ、この粘着力、どうなって……痛ァっ!?」
バリバリバリッ!!
「ギャアアアアアアアア!!? 俺の焦げた前髪がコロコロに持っていかれたあああ!!?」
「落ち着きなさい! 髪の毛ごとローラーを回さないでください!」
「抜けるぅ!俺の髪の毛がぁ! 勇者の尊厳と一緒にむしり取られるううぅぅ!!」
数分後。前髪がさらに痛々しいことになったアキラは、涙目で正座していた。
「……本日の監査結果を発表します」
・戦闘能力:A
・清掃能力:F-(自傷レベル)
・恋愛イベント発生リスク:測定不能(未遂)
・毛根へのダメージ:SSS
「総合評価――要・精神統一訓練」
「俺、世界を救う勇者なんだぞ……なんでコロコロ相手に敗北してんだよ……」
「ええ。ですが現在のあなたは、魔王と戦う前にご自身の髪の毛を失う危険性があります」
ミレイユはまだ少し赤みの残る耳元を隠すように髪を整えると、淡々と告げた。
「明日からは、薬品も道具も一切使わない『雑巾がけレース』を行います」
「だから小学生の体力測定かよおおお!!!(号泣)」
こうして、伝説になるはずだった勇者の旅は、
魔王の脅威ではなく『コロコロによる自爆』によって、今日も今日とてストップしたのだった。
End_is_Zéro_Project




