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悪役領主は平穏に暮らしたい〜最強配下たちの勘違い建国記〜  作者: 伊達ジン


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第6話 産業医の『強制帰宅』令

 深夜の執務室。

 魔導ランプのオレンジ色の光が、重厚なマホガニーのデスクに広げられた羊皮紙の束を照らし出している。


「……第四区画の夜間工場と歓楽街の稼働データか。不法な深夜残業と過酷な夜間シフトが常態化しているな」


 俺は手元の書類から視線を上げ、デスクの斜め前に控えるクロエに声をかけた。


「はい。表向きは『夜間警備』や『自主的な業務延長』を名目としていますが、明らかに末端の労働者を限界まで酷使し、人件費を不当に圧縮する手口です。このままの労働体制を放置すれば、領地全体の人的リソースは数ヶ月以内に致命的な機能不全に陥ります」


 クロエは淀みない声で答え、即座に別のファイルを俺の前に差し出した。

 そこには、違法操業による健康被害の試算と、裏で手を引いている悪徳商会と貴族の繋がりが見事に構造化されてまとめられていた。


「見せしめに摘発するという手もありますが、それは末端の商人をさらに追い詰め、不要な反発を生むだけだ。非効率すぎる」


 俺はファイルを軽く指先で叩きながら、頭の中で彼らの業務フローを再構築した。

 前世で、理不尽な取引先から突然のコスト削減を要求され、下請けに無茶なスケジュールを強要した時の記憶が蘇る。真正面から力で押さえつければ、現場は不正を隠蔽してますます疲弊する。抜け道を探し、システムの構造そのものを変えるのが最も確実だ。


「クロエ。この区画の夜間シフトを回している商会群をリストアップしろ。そして、彼らが抱えている負債を全てうちで買い取る」

「負債ごと、ですか?」

「ああ。うちの警備部隊――実質的にお前が鍛え上げている連中を監査に入れて、労働環境の安全を担保させる。違法な長時間労働によるロスと人的被害のコストを、そのままインフラ整備と適正な雇用に回せば、長期的にはこちらの利益率がはるかに上回るはずだ」


 俺の言葉に、クロエの整ったエキゾチックな顔立ちが微かに綻んだ。


「……素晴らしい判断です。相手をただ罰するのではなく、盤面そのものをひっくり返し、彼らの生殺与奪の権を合法的に握る。ただちに監査部隊の編成と、債権譲渡の手配に入ります」

「頼む。……さて、今日はここまでにしよう」


 俺はペンを置き、大きく背伸びをした。

 首の骨がポキリと鳴る。ここ数日、領地の負の遺産を清算するために少し根を詰めすぎた。システムが正常に回り始めるまでは仕方がないが、トップである俺が倒れれば元も子もない。


 その時、控えめなノックと共に執務室の扉が開いた。


「アルベルト様。夜分遅くに失礼いたしますわ」


 現れたのは、純白の白衣を優雅に纏ったセシリアだった。

 ふんわりと巻かれた陽光のようなブロンドと、ボディラインが際立つタイトなドレス。手には、上品な湯気を立てる銀のトレイを持っている。


「セシリアか。こんな時間まで残っていたのか」

「アルベルト様の執務室の明かりが灯っておりましたので。気分を落ち着かせるハーブティーを淹れました」


 彼女はしなやかな足取りで近づき、俺の机にティーカップを置いた。

 ベルガモットとカモミールの香りが、張り詰めていた神経をゆっくりと解きほぐしていく。


「ありがとう。ちょうど一息入れたいところだった」


 俺がカップを手に取ると、セシリアはふと目を細め、俺の顔をじっと見つめた。

 透き通るようなブルーの瞳が、医者としての鋭い観察眼を帯びる。


「……アルベルト様。瞬きの回数が、普段より一分間に三回ほど多くなっております。それに、首筋の筋肉の強張り。明らかな過労のサインですわ」

「ああ、少し疲れただけだ。書類仕事が立て込んでいてな」


 俺はハーブティーを一口飲み、小さく息を吐き出した。


 先日、俺に無駄な仕事を押し付けてきた隣国の貴族に対する『原因の根治』は、彼女の迅速な対応で見事に片付いた。書類の山は劇的に減ったが、それでも領内の膿を出し切るためのタスクは尽きない。


「お前たちも早く寝ろ。体調を崩されて現場が止まるのが一番の損失だからな。人間、万全の休息があってこそ、最高のパフォーマンスを出せるんだ」


 それは、俺の偽らざる本心だった。

 部下が健康でなければ、結局俺の仕事が増える。プロジェクトメンバーには常に健康でいてほしいという、ごく一般的な労務管理の言葉だ。


 だが、その言葉を聞いた瞬間、セシリアの穏やかだったブルーの瞳からすっと生気が抜け、底知れない暗い熱が宿った。


「……アルベルト様」


 彼女の声のトーンが、一段低く、ねっとりとした熱を帯びる。


「アルベルト様が『疲れた』と……。隣国の害虫を駆除したにも関わらず、このルクセンブルクの絶対的な要であるあなた様が、まだ疲労を感じておられる。これは、単なるご自身の体調の変化ではありませんわ」

「ん? どういうことだ?」

「領地全体の魔力バイオリズムの低下……すなわち、領内に蔓延る不規則な生活や夜更かし、不健全な労働環境が発する『負のノイズ』が、未だにあなた様のお身体を蝕んでいるのです」


 セシリアは両手を胸の前で組み、祈るような、それでいてひどく狂気じみた笑みを浮かべた。


「あなた様は、その身を挺して領地の病巣を察知してくださったのですね。……『お前たちも早く寝ろ』。ええ、痛いほど伝わりましたわ。このセシリア、ただちにアルベルト様の御心を形にしてみせます」

「おい、セシリア? 何の話を――」


 俺が問い返す前に、彼女は恭しく一礼し、踵を返した。

 その足取りは、執務室に入ってきた時の優雅なものとは違い、明確な『排除』の意志を持った軍人のような鋭さがあった。


「少し、様子がおかしいな」


 俺はカップを置き、眉間を揉んだ。


「クロエ、彼女の行動原理は読めるか?」

「……医療統括としての、極めて過激な職務遂行かと。アルベルト様の安寧を脅かす要因を、物理的に『治療』しに向かったものと推測されます」


 クロエも冷静に答えるが、その声には微かな緊張が混じっていた。


★★★★★★★★★★★


 それから一時間が経過した頃。

 寝室へ向かおうと廊下を歩いていた俺の前に、音もなくライラが現れた。


「アルベルト様。街が、変」


 彼女の虚ろな大きな瞳が、窓の外の領都を向いている。


「変、とは?」

「音が消えた。歓楽街の方角。普段なら夜通し騒いでいる人間がいるはずなのに、気配がごっそり抜け落ちてる。……死んではいないけど、みんな『落ちて』る」


 暗殺者として極限まで研ぎ澄まされた彼女の感覚が、異常事態を告げていた。

 そこに、早足でクロエが合流する。


「ご報告します。第四区画の歓楽街、および非合法な深夜操業を行っていた工房群で、大規模な魔力反応を確認。セシリア殿の波長です。彼女は現在、夜間に出歩いている領民たちに、無差別に『治療』を行っている模様です」

「治療だと?」

「はい。超高濃度の治癒魔法と睡眠魔法を掛け合わせた術式を広範囲に散布し、対象を強制的に深い眠りへと落としています。彼女の言葉を借りれば『強制帰宅・絶対安静の処方箋』とのことです」


 俺は短く舌打ちをした。


「……やりすぎだ。馬車を出せ。俺が行く」


 有能なトップは、現場の異常を報告だけで済ませない。

 俺は上着を羽織り直し、夜の領都へと急いだ。


★★★★★★★★★★★


 深夜の歓楽街は、異様な光景に包まれていた。


 本来なら酒と欲望の匂いが渦巻き、荒くれ者たちの怒号が飛び交うはずの通り。

 だが今は、石畳の上、酒場のテーブル、路地裏の木箱の陰など、至る所で男たちが心地よさそうな寝息を立てて倒れていた。


 死体ではない。全員が、赤ちゃんのように安らかな顔をしている。長年の重労働や喧嘩で刻まれた古傷の跡すら、淡い光を帯びて徐々に塞がっていくのが見て取れた。

 完璧な、そして暴力的なまでの『治療』の痕跡だった。


 通りの奥の広場では、泥と酒の匂いを撒き散らす数十人の密輸業者たちが立ちすくんでいた。無造作なヒゲを蓄え、凶悪な刺青や傷跡を晒した荒くれ者どもが、手に手に魔導銃や不格好な鉈を構えながら、引きつった顔で後ずさっている。


 その中心に立っていたのは、純白の白衣を優雅に羽織ったセシリアだった。タイトなドレスに包まれたグラマラスな肉体美と、ふんわりとしたブロンド髪。月光を浴びて神聖なまでに輝く絶世の美貌でありながら、その手には己の身の丈ほどもある、巨大なガラスと真鍮の『注射器』が握られていた。シリンダーを満たす濃密な青い魔力が、夜の闇に妖しい燐光を投げかけている。


「ひ、ひぃぃ! 来るな! なんだそのふざけたモンは!」

「化け物め! 近寄ったらぶっ殺すぞ!」


 荒くれ者たちが魔導銃やナイフを構え、震える声で威嚇する。

 だが、セシリアは全く意に介さず、慈愛に満ちた妖艶な微笑みを浮かべて一歩踏み出した。


「ふふっ。抵抗はいけませんわ。あなた方のその荒んだ生活リズムと、夜更かしによる血流の悪化が、アルベルト様のお身体に触るのです」


 彼女が巨大な注射器のプランジャーを軽く押し込むと、先端から無数の青い光の針が放射状に放たれた。


「ぎゃあぁぁ……ッ!? あ、あれ……? なんか、すげぇ肩が軽く……。母ちゃん……おやすみ、なさい……」


 光の針を浴びた男たちが、次々と快楽に包まれたような顔をして、バタバタと倒れ伏していく。


「ええ、ゆっくりとおやすみなさい。深い眠りで、その不健全な細胞を完全に消毒して差し上げますわ。さあ、次はどこの病巣を切り取りましょうか」


 セシリアがうっとりとした表情で周囲を見回した時、俺は彼女の背後から声をかけた。


「そこまでだ、セシリア」


 低く、重い声が夜の広場に響く。

 セシリアの肩がビクッと跳ね、彼女は信じられないものを見るように振り返った。


「あ、アルベルト様……! なぜこのような汚らわしい場所へ。もう少しで、夜更かしをする不届き者たち全ての消毒が完了いたしますのに」

「注射器を下ろせ」


 俺は彼女の前に歩み寄り、状況を一瞥した。

 倒れている男の首筋に触れ、脈と呼吸を確認する。


(……異常はない。むしろ、長年の過労による脈の乱れが正常化している。治癒魔法を極限まで濃縮した強制睡眠か。技術としては見事なものだ)


 俺は立ち上がり、セシリアのブルーの瞳を真っ直ぐに見据えた。


「お前の献身と、見事な治癒魔法の腕は評価する。倒れた者たちの肉体は、以前よりはるかに健康になっているだろう。お前の医療技術は本物だ」


 まず、彼女の行動の『成果』を明確に肯定する。彼女は悪意で暴走したわけではない。俺のためという強いロイヤリティが根底にあるからだ。


「ですが、アルベルト様のお声が少し厳しいように感じます。私の処置に、何か不手際が……?」


 セシリアが不安げに眉を下げる。


「視野が狭くなっているぞ、セシリア」


 俺は静かに、しかし断固とした口調で告げた。


「街は多くの人間の営みで成り立っている。彼らにも明日の段取りや生きるための役割があるんだ。夜間の荷運び、早朝の市場の準備――それを力づくで中断させればどうなる? 明日の朝、残された仕事が他の誰かに重くのしかかるだけだ」


 セシリアの瞳が、僅かに見開かれた。


「結果として別の場所で無理が生じ、余計に酷い過労を生み出すことになる。お前の優しさが、巡り巡って明日以降の病巣を作っているんだ。強引に眠らせるのは、ただ倒しているのと変わらん。わかるな?」


 俺の言葉が浸透するにつれ、セシリアの顔から血の気が引いていくのがわかった。


「……っ! 私としたことが……!」


 彼女の手から巨大な注射器の魔導具が滑り落ち、光の粒子となって消え去る。


「アルベルト様のはるか高みからの視座、領地全体を俯瞰する完璧な理念に気づかず……私はただ目先の病巣だけを焼こうとしていたのですね。結果的に、アルベルト様の平穏を脅かす要因を自ら作り出そうとしていたなんて……!」


 セシリアはその場に膝をつき、両手で顔を覆った。


「真の休息とは、全体の動きを把握した上で、適切な手順で与えるものだ。力任せの強制終了は、ただの混乱に過ぎない。わかったな」

「はい……はい……! この未熟な私を、どうかお許しくださいませ……」

「お前の能力は、もっと計画的に使うべきだ。今日はもう撤収しろ。お前自身も、十分に休む時間だ」


 俺が手を差し伸べると、セシリアは震える手でそれを握り、立ち上がった。

 彼女の瞳には、先ほどの狂気は消え、代わりに俺に対するさらなる深い畏敬と、医療者としての新たな決意の光が宿っていた。


「ありがとうございます、アルベルト様。私の健康までご配慮いただき……この命に代えても、アルベルト様の理想とする完璧な医療体制を構築してみせますわ」


★★★★★★★★★★★


 翌朝。

 領都は、異常なほどの活気に満ち溢れていた。


「なんだこれ、何年も痛かった腰の痛みが完全に消えてるぞ!」

「昨晩、白衣の姉ちゃん……いや、聖女様に魔法をかけられてから、十代の頃みたいに体が軽いんだ!」


 歓楽街で強制睡眠させられた者たちは、信じられないほどの体調の良さで目覚め、街の至る所で歓喜の声を上げていた。

 結果として、非合法な深夜労働の摘発と、末端の労働者たちの健康状態の劇的な改善が同時に達成された形となった。


 執務室のデスクで報告書に目を通しながら、俺は小さく息を吐いた。


「第四区画の労働生産性が、一晩で前月比百二十パーセントに跳ね上がりました。さらに、今後の領内の医療費予測が三割削減される見込みです」


 クロエが、満足げな笑みを浮かべて報告を締めくくった。


「不確定要素であったセシリア殿の暴走すらも、領内の潜在的な医療リスクの洗い出しと労働効率の改善へと転化させてしまうとは……。改めて、あなた様の深謀遠慮には脱帽いたしますわ」

「……まあ、彼女のモチベーションが高いのはいいことだ」


 俺は否定も肯定もせず、淹れたてのコーヒーに口をつけた。


 結果オーライではある。だが、有能すぎる部下の熱意というものは、時に劇薬となる。彼女の忠誠心を殺さずに、いかに適切なラインでコントロールし続けるか。それが俺の次のタスクだ。


「クロエ。セシリアには、今後は大規模な医療行為を行う前に、必ず俺に『処方箋』を提出するように伝えろ。用量は俺が決める」

「承知いたしました。完璧な管理体制ですね」


 俺は窓の外、活気に満ちた領都を見下ろした。

 これでまた一つ、反乱の火種が消え、俺の安らかなスローライフへの道が近づいたはずだ。


「……さて、まずはセシリアから上がってくる無茶な企画書の検閲から始めるか」


 俺は苦笑交じりに羊皮紙を繰り、手応えと頭痛の混ざった息を吐きながらペンを取った。

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