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悪役領主は平穏に暮らしたい〜最強配下たちの勘違い建国記〜  作者: 伊達ジン


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第4話 完全週休二日制の波紋

 執務室の空気は、数日前とは劇的に変わっていた。


 重厚なマホガニーのデスクの上にうず高く積まれていた書類の山は、今や見る影もない。代わりに、種類と優先度ごとに美しく分類された薄いファイルが数冊、几帳面に並べられているだけだ。


 アルベルトは手元のファイルを開き、視線を走らせた。


「……第四区画の魔石流通量と、この帳簿の数字。見事なまでに噛み合っていないな。意図的に不良品の廃棄率を水増しして、差額を裏口座に流している」


 アルベルトが低く落ち着いた声で指摘すると、デスクの斜め前に控えていたクロエが、静かに一歩前に出た。


「ご明察の通りです。関連する七つの商会の帳簿を照合し、資金の流れを追跡しました。別紙のリストに、不正に関与している貴族と商人の名前、および隠し口座の場所をまとめております。すでに裏付けとなる物証の隠し場所も特定済みです」


 アルベルトはリストに目を落とした。そこには、彼が前世の経験から「怪しい」と当たりをつけていた連中が網羅されているだけでなく、さらに末端の資金洗浄ルートまでが完璧な図解で示されていた。無駄な装飾を排した、極めて論理的で美しいレポートだ。


「完璧だ。証拠としてこれ以上ないほどに固まっている」


 アルベルトはファイルを閉じ、クロエの目を真っ直ぐに見た。


「お前の処理能力と、情報の構造化スキルには舌を巻く。これだけの量の偽装工作をたった三日で丸裸にするとはな。俺一人なら、あと一週間は数字と睨み合う羽目になっていた。助かったよ、クロエ」

「……っ」


 クロエの整ったエキゾチックな顔立ちが、微かに、だが確かに揺らいだ。


 彼女は深く一礼し、その表情を長いまつ毛の裏に隠す。


「もったいないお言葉です。私はただ、アルベルト様が定めた方針に従い、ノイズを排除したに過ぎません。……あなたの役に立てたのであれば、これ以上の喜びはありません」


 声は静かだったが、その響きには熱があった。彼女がかつてスラムで暴走させていた破壊的な魔力は、今や完璧に制御され、彼女の知性と実務能力を支える圧倒的な原動力となっている。彼女のような極上の人材が、これまでただ迫害されるだけの無為な時間を過ごしていたことなど、マネジメントの観点からは損失でしかない。


 そこへ、ノックの音もなく執務室の扉が開き、ライラが銀のトレイを持って入ってきた。


 音を立てずに歩み寄り、アルベルトの机の端にティーカップを置く。立ち上る湯気から、心地よいベルガモットの香りが漂った。


「アルベルト様、お茶です。少し、目を休めてください」

「ありがとう。ちょうど欲しかったところだ」


 アルベルトがカップを手に取ると、ライラは満足そうに小さく頷き、元の定位置である部屋の隅へと戻っていった。美味しい食事と十分な睡眠を得た彼女の顔からは、かつての虚ろな暗殺者の影は消えつつある。代わりに、メイドとしての所作の美しさと、アルベルトの周囲を警戒する護衛としての鋭さが見事に同居していた。


 アルベルトは紅茶を一口飲み、小さく息を吐き出した。


 前世で経験した地獄のような炎上プロジェクトの立て直しに比べれば、今の状況はずっと見通しがいい。優秀な人材が適材適所で機能し始めれば、組織は自ずと正常化していくものだ。


 だからこそ、次の手を打つ必要がある。


 アルベルトは引き出しから、すでにサインを済ませた一枚の羊皮紙を取り出し、机の上に置いた。


「二人とも、聞いてくれ」


 アルベルトの低い声に、クロエとライラが即座に反応し、姿勢を正した。


「領地全域の通達を出す前に、まずはこの館の就業規則を改定する。明日から、館のすべての業務において『完全週休二日制』を導入する」

「……かんぜんしゅうきゅう、ふつか、ですか?」


 ライラが首を傾げた。その単語を聞くのは初めてだという顔だ。


「七日のうち、二日は完全に業務を停止し、休日にするということだ。もちろん、給与は減らさない。館の警備や最低限の維持管理で交代制にはなるが、必ず週に二日は休んでもらう」


 クロエが眉をひそめ、真剣な眼差しでアルベルトを見た。


「アルベルト様。現在、ルクセンブルク領内にはまだ処理すべき腐敗が山積しております。今、我々の歩みを止めるのは、領地の正常化を遅らせることに繋がるのではないでしょうか」


 彼女の懸念はもっともだった。かつて社会から迫害され、ようやく「自分の価値を証明できる仕事」と「居場所」を得た彼女にとって、業務を強制的に中断させられることは、不安の種にもなり得る。


 アルベルトは首を横に振った。


「逆だ、クロエ。だからこそ休むんだ」


 アルベルトは椅子の背もたれに深く寄りかかり、二人を見据えた。


「人も組織も、張り詰めた糸はいつか必ず切れる。休むことなく働き続ければ、視野は狭くなり、判断を誤る。かつてのこの領地の腐敗も、極限まで領民を搾取し、余裕を奪った結果だ。俺は、お前たちに最高のパフォーマンスを求めている。そのためには、完全に仕事から離れて心身を回復させる時間が必要だ」


 前世で、疲労のあまりシステムのエラーを見落とし、崩壊していった同僚たちの顔が脳裏を過る。限界まで酷使された人間が引き起こすミスのリカバリーほど、無駄なコストはない。同じ轍は二度と踏まない。


「休むことも、重要な仕事の一部だ。自分の時間を持ち、好きなことをしろ。それが結果的に、良い仕事に繋がる」


 アルベルトの言葉には、元プロジェクトマネージャーとしての確かな重みと真実があった。


 クロエは目を大きく見開き、やがてその知的な唇に深い感嘆の笑みを浮かべた。


「……なるほど。私としたことが、視野が狭まっておりました。単なる労働力の消費ではなく、真に質の高い成果を生み出すための、戦略的かつ高度な休息……。あなた様は、我々の限界すらも見透かした上で、さらなる高みへ導こうとされているのですね」

「……ん? まあ、しっかり休んでくれればそれでいい」


 アルベルトは少し話が飛躍している気もしたが、意図が伝わったのなら問題ないと頷いた。


「ライラもだ。明日は非番にしている。ゆっくり寝て、街に出て好きなものを食べてこい」

「……わかった。アルベルト様がそう言うなら、休む」


 ライラは少し戸惑いながらも、与えられた「休暇」という新しいタスクを受け入れるように、素直に頷いた。


★★★★★★★★★★★


 翌日。ルクセンブルク領都の休日は、異様な静けさに包まれていた。


 隣国・オズワルド王国の凄腕諜報部員であるジマーは、黒革の隠密服に身を包み、領主の館を見下ろす丘の上の茂みに深く身を潜めていた。三十半ばの引き締まった体躯と、長年の訓練で培われた鋭い眼光を持つ彼であったが、今は額に浮かぶ冷や汗を細い手袋で拭うことしかできない。


「……どういうことだ。街全体が、まるで死んだように静まり返っている」


 ジマーの任務は、悪名高いルクセンブルク領の内部崩壊の兆候を探ることだった。重税と圧政に苦しむ領民の不満は爆発寸前だと聞いていた。しかし、いざ潜入してみれば、領民たちは奇妙なほど穏やかな顔で家路につき、街の機能は最低限を残して停止している。


『完全週休二日制』。


 そんな狂った布告が出たという情報は掴んでいた。だが、それは反乱を恐れた領主の苦し紛れのポーズに過ぎないと考えていた。民衆の不満を逸らすための、一時的なまやかしだと。


「馬鹿め。街の警戒が緩んでいる今こそ、館に侵入して内情を探る絶好の機運だ」


 ジマーは気配を殺し、領主の館の広大な裏庭へと音もなく接近した。諜報部員としての自負が、彼を危険な領域へと踏み込ませる。


 しかし、裏庭を囲む高い石壁に手をかけた瞬間、ジマーの全身の毛が総毛立った。


「ッ……!?」


 呼吸が止まる。


 壁の向こう側から、尋常ではない密度の『殺気』と『魔力』が渦を巻いて立ち上っていたのだ。それは一人の人間から発せられる量ではなく、小国を滅ぼすほどの大魔法が発動する直前のような、圧倒的なプレッシャーだった。


 そっと壁の上から裏庭を覗き込んだジマーは、信じられない光景を目の当たりにした。


 広大な裏庭の中央。


 一人の洗練された佇まいの女性――クロエが、指先一つで巨大な漆黒の魔力の槍を数十本も空中に展開していた。そのどれもが一撃で城壁を粉砕するほどの威力を持っていることは、肌を刺す魔力の圧でわかる。


「……遅い」


 クロエの冷ややかな声と共に、数十本の魔槍が、音速を超えて一点に降り注ぐ。


 その猛烈な弾幕の中を、一人のメイド服の少女――ライラが、あり得ない身のこなしで潜り抜けていた。彼女の足取りは気怠げにすら見えるが、その実、一歩ごとに数メートルの距離を縮地のように移動している。


「……軌道が単調。つまんない」


 ライラの虚ろな声が響く。彼女の手には、陽の光を一切吸い込む黒銀の短剣が握られている。


 クロエの放つ絶死の魔法を紙一重で躱し、ライラがクロエの死角へと滑り込む。同時に、クロエは手元に強固な魔力の盾を展開し、ライラの致命の一撃を弾き返した。


 凄まじい衝撃波が吹き荒れ、裏庭の木々が次々とへし折れていく。土煙が舞い上がり、地形そのものが変形していく。


 ジマーはガチガチと歯の根を鳴らした。


「な、なんだあれは……化け物か……ッ!?」


 あれが単なる「模擬戦」であることはすぐに理解できた。しかし、そのレベルが常軌を逸している。あの女二人がいれば、隣国の一個大隊すら数分で消し飛ぶだろう。


 ジマーの脳裏に、恐るべき推論が組み上がった。


『完全週休二日制』。


 それは、領民を休ませるためのものではない。


 表向きは業務を停止しているように見せかけ、その裏で、外部の目を欺きながら『極秘の軍事訓練』を行っているのだ。街の異常なまでの静けさは、この桁外れな特訓の気配を隠すためのカモフラージュに過ぎない。


「ルクセンブルクの領主は……アルベルトは、狂った暴君などではない。これほどの精鋭を飼い慣らし、異常な速度で軍事力を強化している、底知れぬ怪物だ……!」


 気づけば、ジマーは後ずさっていた。


 これ以上の潜入は死を意味する。この情報を一刻も早く本国に持ち帰らなければ、我が国は気づかぬうちにあの悪魔の軍団に蹂躙される。


 ジマーは石壁から飛び降りると、無我夢中で領土の国境へと向かって走り出した。


★★★★★★★★★★★


 月曜日の朝。


 アルベルトは十分な睡眠を取り、すっきりとした頭で執務室のデスクに向かっていた。


 窓から差し込む朝日が心地よい。やはり、定期的な休息は人間を正常に保つために不可欠だと実感する。週末をゆっくり休むだけで、これほどまでに業務へのモチベーションが変わるのだ。


 そこへ、クロエとライラが連れ立って入ってきた。


「おはよう、二人とも。良い休日は過ごせたか?」


 アルベルトが問いかけると、クロエは気品ある笑みを浮かべ、ライラは満足げに小さく頷いた。二人とも、肌つやが良く、どこか憑き物が落ちたようなすっきりとした顔をしている。


「ええ、非常に有意義な自己研鑽の時間をいただきました」


 クロエが恭しく一礼する。


「アルベルト様が期待される『最高のパフォーマンス』に応えるため、己の限界を押し広げる良い機会となりました。魔力の精密制御において、新たな境地に達した確信があります」

「私も。……もっと早く、もっと静かに動けるようになった。これで、アルベルト様の睡眠を邪魔する羽虫は、一瞬で駆除できる」


 ライラが淡々と報告する。


「自己研鑽、か。まあ、趣味に打ち込むのは良いリフレッシュになるからな」


 アルベルトは微笑ましく思いながら頷いた。二人が休日を前向きに捉え、自分なりの有意義な時間を過ごせたのなら、制度を導入した甲斐があったというものだ。仕事のパフォーマンスは、プライベートの充実に比例する。


 ふと、アルベルトは窓の外、裏庭の方角へ視線を向けた。


「……ん?」


 遠目に見える裏庭の景観が、休みの前と少し変わっているような気がした。


 美しく整えられていたはずの小さな森の一部が、ごっそりと消滅し、クレーターのような更地になっているように見えるのは気のせいだろうか。


 アルベルトは窓の外と、目の前に立つ二人の満足げな顔を交互に見比べた。


「……怪我はないな?」

「もちろんです、我が王」

「ん。無傷」


 二人の力強い返事に、アルベルトは小さく息を吐いた。


「ならいい。……森の修繕費は、後で予算から計上しておくように」

「承知いたしました」

「……ん」


 彼女たちがどのような「リフレッシュ」をしたのか、深く追求するのはやめておこうとアルベルトは決めた。休日の過ごし方にいちいち口を出すのは、マネジメントとして下策だ。結果として彼女たちが健康で、仕事への意欲を高めているのだから、それで十分である。


 アルベルトは新しいファイルを引き寄せ、ペンを手に取った。


 優秀な部下たちがしっかり休み、万全のパフォーマンスを発揮してくれるなら、多少の備品や庭の修繕費など安い投資だ。隣国が妙な動きを見せているという報告もあるが、この調子なら定時内にすべて処理できるだろう。


「さて、今週も適度にやっていこう」


 俺は誰に言うでもなく呟き、平穏なスローライフと定時退社を死守すべく、今日のタスク整理に取り掛かった。

【書籍発売のお知らせ】


作者の別作品『実力S級の俺、配信切り忘れで「虚無顔でボスを瞬殺する姿」が全国放送されてた件。今さら「ただの荷物持ち」とは言えない~定時で帰りたいので、追放してくれてありがとう~』第1巻が、9月4日に発売されます。


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もしご興味がありましたら、こちらもチェックしていただけると嬉しいです。


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