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悪役領主は平穏に暮らしたい〜最強配下たちの勘違い建国記〜  作者: 伊達ジン


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第3話 未来の魔王を「正規雇用」

 馬車の車輪が、手入れの行き届いていない石畳を跳ねるたびに、重い車体が不快な軋み音を立てた。


「……ひどい道だな」


 向かいの席に座るライラが、窓の外を気怠げに眺めながらぽつりとこぼした。彼女は俺が新調させた上質なクラシカルメイド服を身に纏っている。着崩した裾の奥に仕込まれた暗器の重みを感じさせない、無駄のない座り方だ。数日前に契約を結んで以来、彼女は専属メイドとして、そして完璧な護衛として、俺の周囲の安全を管理し続けている。


「インフラの修繕予算が、過去五年間、完全に中抜きされているからな」


 俺は手元の羊皮紙の束から目を離さずに答えた。


「書類上は毎年、最新の魔力舗装が施されていることになっている。見事なまでの粉飾決算だ。現場を見に来なければ、永遠に気づかなかっただろうな」


 プロジェクトマネジメントの基本は、現場と数字の乖離を自分の目で確かめることだ。前世でもそうだった。冷暖房の効いた見晴らしの良い会議室で、美しい体裁の報告書だけを眺めて満足している上層部には、現場の血の滲むような真実など絶対に見えてこない。ましてや、長年の不正で腐敗しきったルクセンブルク領の現状を正確に把握するには、自分の足で一番底辺の区画を歩く必要があった。


 馬車が向かっているのは、領都の周縁部、第四区画。


 貧困層や亜人、そして魔力異常者が押し込められた、スラムと呼ぶにふさわしい隔離地域だ。車窓から見える建物は今にも崩れ落ちそうに傾き、道には汚水が溢れている。陽の光すら届きにくいように設計された区画割は、都市計画の失敗というより、意図的な悪意を感じさせるものだった。まさに領地の暗部そのものである。


 ふと、外の空気が変わったのを感じた。


 微かな焦げ臭さと共に、肌をピリピリと刺すような静電気に似た圧力が、開け放たれた窓から流れ込んでくる。


「アルベルト様」


 ライラが窓から視線を戻し、すっと目を細めた。彼女の物憂げな雰囲気が一瞬にして消え、獲物を狙う捕食者のそれに変わる。


「前方の広場。人が集まっています。殺気と……異常な密度の魔力」

「止めてくれ」


 俺が御者に命じると、馬車は広場の手前で緩やかに停止した。


 扉を開けて降り立つと、淀んだ空気が肺を満たした。


 広場には、粗末な武装をした数十人の自警団――実態は悪徳貴族が雇った私兵のならず者たち――が、半円を描くように何かを包囲していた。彼らの手には松明やピッチフォーク、そして殺傷能力の高い魔導銃が握られている。


 怒号と嘲笑が飛び交う中、包囲の中心に一人の女性が立っていた。


 年齢は三十ほどだろうか。ボロボロの貫頭衣のような服を纏っているが、その下から覗く深く美しいダークトーンの肌と、しなやかな長身は、周囲の薄汚れた空気から完全に浮いていた。美しく細やかに編み込まれた漆黒のブレイドヘアが、夜風に揺れ、泥に汚れながらも、なお気高い。彫りの深いエキゾチックな顔立ちと、獲物を射抜くような鋭い瞳。血と泥に塗れながらも、彼女の全身からは隠しきれない圧倒的な強者の威厳と、息を呑むような妖艶さが漂っていた。


 だが、最も目を引いたのは、彼女の周囲を渦巻く「黒い力」だった。


 視界が歪むほどの高密度な魔力が、彼女の感情に呼応するように荒れ狂い、足元の石畳をひび割れさせている。


「化け物め! その忌まわしい魔力ごと、ここで灰にしてやる!」

「領主様から、この区画の不穏分子は全て処分していいと許可が出てるんだよ!」


 私兵の一人が松明を振りかざし、下卑た笑い声を上げた。


 俺は小さく舌打ちをした。勝手に俺の名前を使い、裏の帳簿を隠蔽するための口封じか。現場のクズどもがやりがちな、最も非効率で短絡的な手段だ。都合の悪い人間を消したところで、根本的な数字のズレはそのまま残るというのに。


「……愚かな人間ども」


 女性の唇が動き、低く、冷ややかな声が広場に響いた。


 その瞬間、彼女の周囲の黒い魔力が一層の激しさを増し、数本の鋭い槍の形をとって宙に浮かび上がった。


「私から全てを奪い、迫害し、なおも足蹴にするというのなら。良いでしょう。あなたたちの望み通り、この身に宿る深淵の力で、世界ごと灰に帰して差し上げましょう」


 深い絶望と、底知れぬ憎悪。


 その凄まじいプレッシャーに、私兵たちが一斉に青ざめて後ずさりする。


 彼女の瞳に宿る光を見て、俺は確信した。


 ゲームの知識を引っ張り出すまでもない。理不尽な迫害の末に人間への憎悪を募らせ、やがて世界を滅ぼす存在となる厄災の魔王。その覚醒の瞬間が、今まさに目の前で起きようとしているのだ。


「ライラ、手出しは無用だ」

「……了解」


 背後に控えるライラを制し、俺はゆっくりと歩み出た。


「退け」


 低く声を張っただけだ。だが、アルベルトという肉体が放つ圧倒的な威圧感と極悪な風貌は、ならず者どもを竦み上がらせるには十分すぎた。


「あ、アルベルト閣下……!?」

「な、なぜ領主様がこんなドブ溜めに……!」


 私兵たちが慌てて道を空ける。俺は彼らには一瞥もくれず、真っ直ぐに女性――クロエの元へと歩を進めた。


 熱風と静電気が吹き荒れる魔力の渦の中へ、躊躇なく足を踏み入れる。


 肌が焼け焦げるような感覚があったが、表情には出さない。俺の視線は、クロエ自身だけでなく、彼女の足元に散らばった無数の羊皮紙に向けられていた。


 自警団に踏み荒らされた形跡のあるそれらは、単なる日記や落書きではなかった。


「……領主、自ら私の首を獲りに来たか」


 クロエが俺を睨みつける。彼女の背後に浮かぶ漆黒の刃が、いつでも俺の心臓を貫けるよう切っ先を向けた。


 俺は答えず、足元に落ちていた羊皮紙を一枚拾い上げ、目で追った。


「……驚いたな」


 俺は足元の羊皮紙を見つめ、思わず呟いていた。


「第四区画の闇物資の横流しルートと、中抜きされた税収の隠し口座の推移。俺が館で三日三晩、書類の山と格闘してようやく辿り着いた結論と、寸分違わず同じだ。しかも、この独自の暗号化処理と、無駄のない美しい数式。複雑な金銭の動きが、誰が見ても一目で理解できるように完璧に構造化されている。これ、お前が一人で調べ上げてまとめたのか?」


 クロエの鋭い瞳が、微かに見開かれた。


 恐怖でも、憎悪でもない。純粋な「評価」の言葉を真正面からぶつけられ、虚を突かれた顔だった。


「……何を見ている。私が問うているのは、お前の命を――」

「これほどの情報処理能力と論理的思考力を持っていながら、こんな場所で腐らせていたのか」


 俺は彼女の言葉を遮り、羊皮紙を軽く叩いた。


「さらに言えば、この荒れ狂っているように見える魔力。ただ力任せに放出しているわけじゃないな。緻密に計算された術式が、何重にも組み込まれている。感情の暴走状態でありながら、これだけのマルチタスクを無意識にこなせる人間はそういない」


 前世で、数え切れないほどの部下を見てきた。


 処理能力の高さ、物事を俯瞰して構造化する力、そしてそれを正確に出力する技術。彼女の足元に散らばる記録と、今この瞬間の魔力制御を見ただけで、彼女がどれほどの「実務能力」を秘めているか、俺には痛いほどよくわかった。


「お前たちの組織のトップは、よほど目が節穴だったらしい。これほどの極上の人材を、ただ迫害して野放しにしておくなど、経営者として三流以下の愚行だ」


 俺の言葉に、クロエを包んでいた黒い魔力の渦が、一瞬だけピタリと動きを止めた。


「……何を、言っている。私は、お前たち人間を滅ぼす、忌まわしき――」

「世界を滅ぼす? そんな一文の利益も生まない、非生産的な事業はやめておけ。疲れるだけだ」


 俺はクロエの目の前まで歩み寄り、彼女の目を真っ直ぐに見据えた。


 怯えも、敵意もない。ただ、強烈に彼女の「能力」を欲する、ビジネスマンとしての視線で。


「この書類をただの落書きで終わらせるには惜しい。ルクセンブルク領の筆頭秘書として、お前のその才を俺のために使ってみないか」


 静寂が落ちた。


 私兵たちは状況が飲み込めず、ライラだけが少し離れた場所で退屈そうにあくびを噛み殺している。


「俺は、領地の全てを刷新する。この腐敗しきったシステムを破壊し、俺自身が平穏で安らかな日々を送るための完璧な環境を作る。だが、俺一人でやるにはタスクが多すぎる。俺の右腕となり、実務を完璧に回せる優秀な人間が絶対に必要だ」


 俺は右手を差し出した。


「万全の生活保障に、週に二日の確実な休息、そして成果に応じた破格の報酬を約束しよう。立場はルクセンブルク領の筆頭秘書だ。お前のその膨大な魔力と圧倒的な事務処理能力、今日から全て、俺の安寧のために使え」


 クロエは、差し出された俺の手と、顔を交互に見た。


 その瞳の奥で、激しく揺れ動いていた憎悪の炎が、全く別の熱を帯びて静まっていくのがわかった。


 彼女はずっと、化け物として恐れられ、人間社会の暗部で理不尽に迫害されてきた。いつだって向けられるのは恐怖か、侮蔑の視線だけ。自分の本質など誰も見ようとはしなかった。


 だが目の前に立つこのワイルドで極悪な風貌の男は、彼女の「深淵」など歯牙にもかけず、ただ純粋に一人の「有能な人材」として渇望している。復讐の対象としてでもなく、討伐すべき魔王としてでもなく、「自分のために働くべき最高の右腕」として。


「……正気ですか」


 クロエの唇から、ようやく声が漏れた。それは先ほどまでの冷たい怒りとは違う、戸惑いと、隠しきれない歓喜が入り混じったような響きだった。


「私の中に渦巻くこの深淵を、破滅の力を目の当たりにして、なお……私に『事務仕事』と『秘書』をやれと?」

「俺が欲しいのは、結果を出せる優秀な部下だ。お前の中にどんな深淵があろうと知ったことじゃない。仕事が早く、正確な奴が一番偉い。それだけだ」


 俺が淡々と答えると、クロエはふっと、艶やかで、ゾクッとするほど美しい笑みを浮かべた。


 周囲の宙を漂っていた凶禍の槍が、幻のように霧散していく。


「……素晴らしい」


 クロエのしなやかな手が伸び、俺の差し出した手をしっかりと握り返した。


 その手はひどく冷たかったが、握力には確かな意思が込められていた。


「あなた様は、私の真の価値を……私が抱える闇の底の、さらに奥底にあるものを、そのように見抜かれるのですね」

「歓迎しよう、我が領へ。まずはそのボロボロの服を着替えてもらうがな」


 俺は頷き、私兵たちへ鋭い視線を向けた。


「そこまでだ。武器を収めて下がれ」


 俺自身は静かに制止しただけだったが、その地を這うような重低音と圧倒的な捕食者のオーラに、私兵たちは背筋を凍らせた。


「ひっ……!」

「今すぐこの区画から消えろ。そしてお前たちを雇い、帳簿を誤魔化している雇い主に伝えろ。『監査の時間だ』と」


 私兵たちは悲鳴を上げ、武器を放り出して蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 後で法務の専門家でも雇って、合法的に一網打尽にしてやろう。


「さて、クロエ。早速で悪いが、館に戻ったら昨日の決裁書類の残りを捌いてくれ。俺はもう、肩が痛くて帰って寝たいんだ」


 俺が首を回しながら馬車へと歩き出すと、クロエは恭しく一礼し、俺の背後へピタリと付き従った。


「承知いたしました、我が王。あなた様の安らかなる睡眠を妨げる愚か者は、書類仕事のついでに、私が全て消し炭にしてご覧に入れますわ」

「消し炭にすると後処理が面倒だから、適度にな」

「ふふっ、御意のままに」


 背後を歩く、新たな筆頭秘書の足音は驚くほどに軽やかで、そしてどこか恐ろしいほどに弾んでいた。


 どうやら、ただの事務作業を頼んだだけのはずなのだが……彼女のその魅惑的な微笑みに宿る熱が、俺の想定を遥かに超えた「狂信」であることに、この時の俺はまだ気づいていなかった。

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