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悪役領主は平穏に暮らしたい〜最強配下たちの勘違い建国記〜  作者: 伊達ジン


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第14話 不当なクレームと悪徳貴族

 昨日の月曜日。隣国オズワルドから、主要インフラを突如握られたことに大パニックに陥った使者が、青ざめた顔で交渉の席を求めてルクセンブルクを訪れた。

 だが、元社畜PMである俺からすれば、完全に想定内のタスクに過ぎない。事前に用意していた落としどころへ向けて、使者を適度に追い詰めつつ逃げ道を用意するという、お決まりの折衝プロセスをこなしただけだ。結果として、交渉は定時内にあっさりと完了し、我がルクセンブルク領にとって極めて有利な条件を引き出すことができた。

 大きなプロジェクトの節目を無事に乗り越え、俺たちはようやくひとときの休息を得たというわけだ。


 翌日の火曜日。抜けるような青空の下、俺は領都の中央市場を歩いていた。

 石畳を照らす柔らかな陽光が、大通りを行き交う領民たちの活気をより一層引き立てている。露店には近隣の村々から運ばれてきた新鮮な野菜や果物が並び、焼きたてのパンの香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。


「……いい天気」


 隣を歩くライラが、ふわりと空を見上げてぽつりとこぼした。彼女の歩みに合わせて、風に揺れる銀色の髪が陽の光を反射してきらきらと輝いている。

 今日の彼女は、普段の無駄のないメイド服でも、鋭い刃を振るう影としての機能的な衣装でもなく、淡い空色を基調とした柔らかな素材の街着を身に纏っていた。昨晩、俺から街の散策に誘ったとき、静かに頷きながらもどこかそわそわとしていたのを思い出す。


「ああ、昨日の雨が嘘みたいだな」


 俺が応じると、ライラは足を止め、少しだけ期待を込めた上目遣いで俺を見上げてきた。


「……どう? アルベルト様のために、着てみた」


 いつもより少しだけ裾の長いスカートを軽くつまみ、気怠げな表情の中にも隠しきれない照れが見え隠れしている。


「普段の動きやすい服と比べると少し歩きにくそうだが、たまにはそういうのも悪くないな。よく似合っているよ」


 俺が素直な感想を伝えると、ライラは満足そうに目を伏せ、唇の端をわずかに持ち上げた。


「……うん。アルベルト様がそういうなら、これでいい」


 彼女のこういうところは、出会った頃からずっと変わらない。ルクセンブルク領を裏から支える凄腕の暗殺者としての顔とは違う、年相応の柔らかな反応を見せてくれることが、俺にとっては密かな癒やしだった。


 今日は予定のない、完全な休日だ。俺たちは露店に並ぶ珍しい細工物を眺めたり、地元の果実を煮詰めた甘い菓子を分け合ったりしながら、ゆったりとした時間を楽しんでいた。ここ数日の実務の疲れが、少しずつ溶けていくのを感じる。

 このまま穏やかな時間が続けばいい。そう思っていた矢先だった。


「ふざけるな! このような粗悪品を納入しておいて、言い逃れができると思っているのか!」


 突如として、市場の喧騒を切り裂くような怒声が響き渡った。

 ライラと顔を見合わせ、声のする方へと視線を向ける。広場の片隅、商隊の荷馬車が集まる区画に人だかりができている。荷馬車に掲げられた青い獅子の紋章旗を見て、俺は小さく息を吐いた。ルクセンブルク商隊だ。領地内で独自に育成し、今や他国との交易で莫大な利益を生み出している優秀な商人たちの隊である。


「……行こう。何か騒がしい」


 ライラが気怠げに呟き、俺の半歩後ろにつく。俺たちは人混みをすり抜け、騒ぎの中心へと近づいた。


 そこには、ルクセンブルク商隊のまとめ役である初老の商人、マルクスの困惑した顔があった。そして彼を怒鳴りつけているのは、過剰なほどに豪奢な金糸の刺繍が施された、しかし丸々と肥えた太い身体にはいささか窮屈そうな外套を羽織る、恰幅の良い貴族の男だった。いくつもの下品な宝石リングをはめた短い指をマルクスに突きつけ、脂ぎった二重顎を不快に揺らしながら、広場中に響き渡る高圧的なダミ声を張り上げている。男の背後には、威圧するように武装した私兵が数人、冷たい殺気を放ちながら控えていた。


「バルデマル卿、どうかお静まりください。我々が納品した絹織物は、間違いなく最上級の品です。出発前の検品も済ませております」


 マルクスが必死になだめようとするが、男——隣国で領地を持つバルデマル男爵は、顔を真っ赤にしてまくしたてている。だが、その額には不自然なほど脂汗が浮いており、声の大きさとは裏腹に、彼の目はどこか焦りを孕んで泳いでいた。


「黙れ! 現にこの箱の中身は水浸しで、使い物にならんではないか! 貴様らルクセンブルク商隊の管理はずさん極まりない。我が領の品位を汚す気か!」


 バルデマルが地面に置かれた木箱を蹴りつける。


「これほどの損害を出したのだ。もはや違約金程度では済まされん。お前たちが持つ専売権、そして商隊の資産すべてを我がバルデマル商会に譲渡することで手を打ってやろう。それが誠意というものだ!」


 その言葉を聞いて、周囲の商人たちからざわめきが起きた。あまりにも理不尽な要求だ。商品の水濡れという過失一つで、商隊そのものを飲み込もうとしている。

 俺はバルデマルの顔つきと、その背後にある要求の真意を推し量った。最近、隣国のバルデマル領は放漫な経営によって財政が傾いているという報告を、諜報部門から受けていた。彼はおそらく、資金繰りに窮しているのだろう。そして、急成長を遂げているルクセンブルク商隊の資産に目をつけ、自作自演の言いがかりをつけて強引に買収しようと企んだに違いない。あまりにも杜撰な粉飾工作だ。


 マルクスは青ざめながらも反論しようとしていたが、私兵たちが剣の柄に手をかけ、物理的な圧力で言葉を塞いでいる。

 これ以上、うちの優秀な人材が理不尽なハラスメントを受けるのを見過ごすわけにはいかない。俺は静かに歩み出た。


「少し騒がしいな。何事だい?」


 俺が声をかけると、バルデマルは煩わしそうにこちらを振り向いた。


「なんだ、貴様は! 部外者はすっこんで——ひっ!?」


 バルデマルの言葉は、悲鳴のようなかすれ声に変わった。振り向いた彼の目に映ったのは、俺の顔だ。極悪マフィアを彷彿とさせる凄みのあるプラチナブロンドと凶悪な目つき。ただ普通に立っているだけなのに、周囲の空気を凍りつかせるような覇王オーラが漏れ出ているらしい。


「ア、アルベルト様!」


 マルクスが俺の姿を認めるなり、驚愕に目を見開き、その場に膝をついて平伏した。

 その声に反応し、周囲を取り囲んでいた領民たちも次々と頭を下げていく。道を開けるようにして、広場の中央に俺とバルデマルたちだけが取り残された。


「あ、アルベルト……ルクセンブルク領主……だと!?」


 バルデマルは信じられないものを見るように後ずさり、顔面を蒼白にしている。私兵たちも、俺の放つ無自覚な威圧感に気圧され、剣の柄にかけた手を震わせていた。


「少し気になることがあってね。その水濡れしたという絹織物の木箱、見せてもらえるかい?」


 俺はあくまで落ち着いた、しかし重低音の響く声で尋ねた。相手を威嚇するつもりはないが、俺の声帯はどうしてもドスが効いてしまう。


「み、見せる必要など……これは我々の、正当な抗議で……」


 バルデマルが震える声で虚勢を張るが、俺は歩みを止めず、地面に置かれた木箱の前まで進み出た。私兵が制止しようと動いた瞬間、ライラが音もなく俺の背後に立ち、静かな、しかし確かな殺気を放った。その冷ややかな気配に、私兵たちの足が完全に縫い止められる。


 俺は木箱の前にしゃがみ込み、中に入っている絹織物と、箱の底を観察した。

 水を含んで重くなった絹。そして、箱の底板と釘の周囲。


「……なるほど。確かにひどく濡れている。だが、バルデマル男爵、いくつか妙な点があるな」


 俺は立ち上がり、バルデマルを真っ直ぐに見据えた。


「ルクセンブルク商隊がこの領都に到着したのは三日前だ。そしてこの数日間、この一帯はずっと晴天だった。昨晩になって、ようやく強い雨が降ったはずだ」


 俺は濡れた絹の端を軽く指でつまむ。


「もし輸送中の事故で濡れたのなら、三日も経てば生地にカビが生えるか、嫌な臭いがするはずだ。だが、この絹からはそのような臭いは一切しない。まるで、つい先ほど水に浸けたばかりのようだ」


 周囲の視線が、俺の手元に集まる。


「それに、箱の底を見てほしい」


 俺はつま先で木箱の底を軽く叩いた。


「底板に付着している泥は、赤土だ。この領都周辺の土は黒土であり、ルクセンブルク商隊が通ってきた街道も同様だ。だが、バルデマル領の土壌には、特有の赤い土壌が広がっていたね」

「なっ……! そ、それがどうした! 馬車の車輪が跳ね上げた泥かもしれないだろう!」


 バルデマルが裏返った声で反論するが、俺は淡々と事実だけを並べていく。PMとして、バグの原因を特定するように論理を詰めるだけだ。


「ええ、その可能性もある。だが、もう一つ決定的なミスがある」


 俺は箱の縁に刺さっている釘を指差した。


「この箱に使われている釘は、普通の真新しい鉄釘だ。ルクセンブルク商隊が使う箱は、品質保持のためにすべて防錆処理が施された黒い釘を使っている。しかも、釘の周囲の木材が不自然にささくれている。……つまり、この箱は一度開けられ、別の釘で打ち直されたということだ」


 バルデマルの顔から、完全に血の気が引いていくのがわかった。


「男爵は、昨晩の雨の後に、自前の倉庫にあった別の箱に絹を移し替え、わざと水をかけてからここに持ち込んだ。そして赤土の泥がついたままの箱を、うちの商隊が持ち込んだものだと偽った。違うかい?」

「で、でたらめを言うな! 証拠がどこにある!」

「証拠は、今ご自身で示しているじゃないか」


 俺はバルデマルの足元へ視線を落とした。彼の履いている上等な革靴の縁には、木箱についているのと同じ、濡れた赤土がべっとりと付着していた。


「昨晩の雨の中、ご自身の領地の倉庫で直々に作業をされたのだろう。泥がまだ乾ききっていない」


 広場を囲んでいた領民や商人たちの中から、ヒソヒソと囁き声が漏れ始めた。貴族の浅ましい自作自演に気づいた者たちの目は、明確な侮蔑の色を帯びてバルデマルに向けられている。


「……ッ!」


 バルデマルは言葉を詰まらせ、ギリッと歯を食いしばった。私兵たちも自分たちの主の劣勢を悟り、怯えたように俺とライラを交互に見ている。


「バルデマル卿」


 俺は最後の一押しとして、少しだけ声を低くし、冷徹な視線を向けた。


「これ以上騒ぎを大きくするのは、お互いにとって建設的ではないと思うが、どうだろうか。今ならまだ、部下の手違いという言葉で片付けることができる。だが、もしこれ以上うちの商隊に不当な言いがかりをつけるなら……領地の財政状況を含め、色々と不都合な事実を徹底的に精査させてもらうことになるが?」


 脅しではない。ただの事実に基づくリスクの提示だ。しかし、その冷酷に響く重低音を浴びたバルデマルは、数秒間わななき、やがて顔を真っ赤にして私兵たちを怒鳴りつけた。


「……ええい、帰るぞ! このような屈辱を受けた以上、もはや取引など不可能だ! ルクセンブルク商隊とは今後一切関わらん!」


 捨て台詞を吐き、バルデマルは逃げるように広場から去っていった。私兵たちも慌ててその丸い背中を追いかけていく。

 残されたのは、安堵の空気に包まれた広場と、へたり込みそうになっているマルクスたちだった。


「アルベルト様……助かりました。本当に、何とお礼を申し上げればよいか」

「気にするな、マルクス。うちの優秀な商隊に難癖をつけられて、黙って見過ごすわけにはいかないからな。君たちの荷の扱いが丁寧なことは、俺が一番よく知っている」


 マルクスの肩を軽く叩いて立たせると、彼は感極まったように何度も頭を下げた。周囲の領民や商人たちからも、安堵の入り混じった拍手が湧き起こり、騒動は静かに収束していった。


 しばらくの後。人だかりが散った広場を抜け、俺たちは再び二人きりで歩き出した。太陽は中天を過ぎ、柔らかな午後の光が領都の街並みをオレンジ色に染め始めている。


「……お疲れ様。やっぱり、アルベルト様は凄い。一瞬で、あの豚を追い払った」


 隣を歩くライラが、普段の気怠げなトーンに僅かな尊敬の色を滲ませて見上げてきた。


「君が後ろで控えていてくれたから、相手の私兵も迂闊に動けなかったんだ。助かったよ」

「……私なんて、ただ後ろに立ってただけ。でも、アルベルト様がそういうなら、そういうことにしておく」


 ライラはふっと息をつき、少しだけ口角を上げた。そのささやかな微笑みを見ていると、先ほどの騒動で僅かにささくれ立っていた心が落ち着いていくのを感じる。


「さて、思わぬ邪魔が入ってしまったが……休日はまだ半分残っているな。次はどこへ行こうか?」


 俺が尋ねると、ライラは少し考える素振りを見せた後、そっと俺の隣にすり寄ってきた。


「……どこでもいい。アルベルト様の隣なら、どこでも」


 相変わらずのぶっきらぼうな物言いだが、そこに込められた絶対的な信頼が伝わってくる。


「それじゃあ、街の東側にある高台に行ってみるか。夕日がとても綺麗に見えるらしいからな」


 俺はライラの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩き出した。

 理不尽なクレーマーは去り、穏やかな時間が再び戻ってくる。これで邪魔者も消えた。今度こそ、俺の貴重な休日を、彼女と共に存分に楽しむとしよう。

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