⑦レオンとアリシア
幼い頃のレオンとアリシアは、喧嘩友達だった。
タウンハウスが近く同い年。互いに継嗣なことから、何となく仲間意識と対抗意識が同時にあったのだ。
幼いアリシアはやんちゃで、生まれ月の遅いレオンは小柄で口達者。成長するにつれ立ち位置が逆転しても、付き合いが減っても、暫くその関係性は変わらなかった。
彼女の婚約者の登場と、不用意な幼い一言がそれを変えてしまったけれど──それでもレオンはアリシアの努力を知っていた。
気にせずにはいられなかったから。
焦る気持ちを抑え、少し離れた位置から様子を見ていると、急にアリシアは走り出した。
追い掛けて、肩を掴む。
「っ……アリシア?!」
「……ひっ! レ、レオ……? きゃあっ!」
その弾みで足を縺れさせたアリシアは転んだ。
なんのことはない、怪我はこれである。
レオンは焦りと動揺と不安から気配を全く隠せておらず、目的地もなくただフラフラしていたアリシアも、暫く歩くと後ろから付けてくる人間に気付いたのだ。
その恐怖から走り出し──この顛末。
レオンはアリシアが怪我をして、すぐに侯爵邸に連れて行ったわけでもなかった。
まず彼は、ハーバート医師の自宅へアリシアを運んだ。
これは転んだ際の傷の治療のためではあるが、一番の理由は単純に近かったから。
神殿に戻らなかったのは探されている可能性を考慮してのことで、手っ取り早く身を隠すのに、近くて信頼のおける人の家を選んで避難したのだ。
アリシアの状況を見越して。
「自死……考えてなかったわ」
ハーバート医師の家で出された茶を飲むアリシアは落ち着いており、レオンの話に目を丸くしてそう返す。
しかし顔色は悪く、目の下には薄化粧では隠せない隈が滲んでいる。
日常的にあまり眠れていないのでは、と考えた時、思い当たるのは彼女の両親。
ハートウェル夫妻は特別無能でも悪辣でもないが、その実芯や軸と言ったモノのない享楽的な人間である。
夫妻にとって職務や責任とは、先代から与えられた必要ないくつかを片付けることであり、そこに貴族の矜恃や領の発展や民の幸福などいうモノはない。
あるのはそんな性根に見合わぬ『伯爵』『伯爵夫人』という肩書きと生活への執着と、肥大した自尊心のみ──レオンから見たハートウェル夫妻はそういう者達だった。
実際、『ハートウェル伯爵夫妻がパーティー好き』と言うのは『楽しんでいるだけで特になにもしない』という意味で有名な話だ。
娘であるアリシアに、わざわざ両親の悪い印象など具体的に語ったりはしないが。
(最近は特に色々な場所に頻出すると……まさか、執務を全部アリシアに?)
肌の隠れた服装から気付きにくかったが、抱いた身体は軽かった。
「でも考えてみたら確かに自殺行為よね。 貴方が後ろから来た時、身の危険を感じたもの」
そうおどけたように笑うアリシア。
だがそれが却って酷く痛々しく、想像した事象を事実だと彼が感じるには充分だった。
なにより、そこからの婚約解消の事態──それは間違いなく事実である。
レオンは強い不快感を催した。
責任感の強いアリシア自身にも、それをわかっていて利用するばかりの彼女の周囲にも。
そしてそれに気付きながらも、なにもできずにいた自分自身にも。
「相変わらずの考えなしだな君は! だから散々今までだって忠告していただろう!」
そんなことをしても仕方ないと理解しながら、苛立ちをぶつけるように言葉を発する。
「忠告……」
しかしアリシアはそんなレオンの気持ちなど汲むことも、またそれに怯むようなこともない。
ただ──数時間前も思い出したあの言葉が、再び脳裏に過ぎっていた。
クロードを紹介して。
まだ幼さとアリシアとの気安い関係を引き摺るレオンは、少年らしい率直な感想を述べた。
『俺、あいつ嫌いだ』
もう少し成長してからなら違ったであろうその言葉により、アリシアはレオンの苦言を感情論と断じ、素直に受け入れなくなってしまった。
それでも彼は言い続けた。
別にクロードに限ったことではなく、それまでアリシア自身がレオン相手にだけぶちまけていた家族に対する不満や愚痴を、言わないで我慢するようになった、その代わりのように。
『お前、いいように使われてないか?』
『なんで妹のプレゼントがアクセサリーで、お前のは文房具なんだよ』
『馬鹿じゃないのか、嫌なら嫌って言ったらいいだろう!』
更に成長すると、レオンと会う機会もいよいよ減ったが、顔を合わすような機会があれば彼は必ずアリシアの元にやってきて、慇懃無礼に言葉を掛けてきた。
『相変わらず地味ですね、アリシア嬢。 まるでそのあたりで適当に摘んできた花のようだ』
『華やかで素敵な婚約者様ですね、貴女と違って』
『アリシア嬢は努力家でらっしゃるだけに、わざわざ泥水を啜るのがお好きらしい』
アリシアはぶつけられた数々の言葉を思い出し、フフッと笑う。
「そうね、貴方はいつも忠告してくれた。 いつも凄く嫌だったわ」
──だが、何故わざわざ嫌味を言いに来るのかを、もっと考えるべきだった。
家族とクロードの保身に塗れた、彼等に都合のいい優しい言葉よりも、あれらはずっと自分のことを考え心配し、掛けられた言葉ではなかったか。
(ああ、だから……)
本当は、わかっていたのだろう。
レオンの思い遣りも、皆の欺瞞も。
皆が都合よく優しい言葉を掛けたとしても、アリシアも同じ。
都合よく解釈し、目を逸らし続けてしまった。偽りの平穏のための、欺瞞の幸福から。
「あら……おかしいわね……ふふ、ごめんなさい。 違うの、嫌だったけど……そうじゃないのよ? 私、貴方にお礼を」
アリシアは、笑いながら涙をポロポロと零す。
「……これからどうするつもりだ」
「籍を抜けるわ。 私もう18なのよ」
「やはり君は考えなしだ」
「そうね。 嫌になっちゃう」
冗談とも本気ともつかない言葉を、笑いながら語るアリシアは明らかに不安定で。
泣いているような声ではないが、涙だけがポロポロと止まらないでいた。




