⑧正式な契約
ふたりの会話にそっとハーバート医師が割り込み、理由をつけて別室にレオンを連れ出す。
『アリシアの心は限界だ』と判断した上で、彼に注意をした。
「急がせてはなりません、話も今は無理矢理聞き出さない方がいいでしょう」
「だが、いや……そうしよう。 アリシアの気持ちが落ち着き、現状と向き合えるようになるにはどうしたらいい?」
「レオン様は彼女をどうするおつもりです? 私がお預かり──」
「彼女は私が連れて戻る。 先生には怪我だと診断して欲しい。 おそらく家族と確執が。 だから元凶からは離すつもりだ」
「それは妥当な処置ではありますが……あまり強引な真似は感心しませんね」
「他に必要なものは? 整えるべき環境や、食事はどうすべきだ」
多少逡巡する様子は見せるもレオンの判断は早過ぎるほど早く、質問する割にちゃんと聞いているのかも怪しく思うくらい。
(随分前のめりだな……)
ハーバードはそう思い、嘆息した。
『急がせるな』という最初の注意点を無視しそうなレオンの勢いに、不安を感じて。
「『落ち着き、現状と向き合えるように』ねぇ……」
アリシアを気遣う気持ちは充分伝わったが、想いが強ければいいというものでもない。
「……お身体の方の診察は改めてきちんとするべきですが、見た限りでも寝不足であることは間違いありません。 まずは消化がよく栄養のあるものを摂らせ、とにかく眠らせるのがよろしいかと。 悩ませたり、あまり考えさせてはいけません。 身体と同じで心にも休息が必要なのです。 ですから──」
「そうか。 後でまた、邸宅の方へ呼ぶと思っていてくれ。 説教はその時に聞く」
──その結果があの環境である。
邸宅に呼ばれた後、やはりレオンの言動に不安を拭えないハーバードは『暫くの間レオン様は共にいない方が宜しい』と厳しめに断言した。
レオンは不服だったが、一緒にいれば構ってしまう。尚且つ彼は、アリシアに対し優しい言葉を掛けられない自覚も一応あった。
結局『彼女の体調が一番だ』と暫くの間、なるべく接触しないことにしたのだ。
しかしそれは邸宅に戻ってからであり、この時よりもう少し後のこと。
ハーバードから離れアリシアの元に戻ったレオンは、ようやく涙が止まったらしい彼女に告げた。
「怪我をさせた責任を取る」
「……え?」
「私と結婚しろ」
あまりに唐突である。
ハーバードの思った通り、随分前のめりだ。
「え?」
「私相手ならヤツらは手出しできない」
「え、ちょっとちょっと……なに? ええ、馬鹿なの?」
「馬鹿は君だろう。 こんな馬鹿、放り出せるか。 曲がりなりにも私は聖騎士だぞ」
「今聖騎士関係ある?」
唐突な申し込みからの押し問答の末、一歩も譲らないレオンに根負けしたアリシアが承諾し──
現在に至る。
「シア、君は記憶喪失だったんだな?」
「ええ、さっきそうなったの」
悪びれずそう告げる、彼女の表情は晴れやかで。レオンは安堵した。
(……もう大丈夫だな)
アリシアの責任感の強さは彼も知るところ。それだけに伯爵家には戻らせたくなかったし、面会を拒んだ。
クロードが来たことで結局伯爵家へ戻ってしまうのではないかと、レオンは不安だったが、アリシアは今度こそ衝動的にでなく彼等との別れを決めたのだろう。
「──ありがとう、レオン」
「なにもしていない」
「いいえ。 ひとりでじっくり考える時間と、環境をくれたわ」
「!」
彼の態度は到底褒められたモノではなかったけれど、その真意にアリシアは勿論気付いていた。
細かく理解する余裕はなく薬で頭はボウッとしていたけれど、最初から──だって彼女はあの時既にもう、気付いていたのだから。
レオンの酷い言葉は、いつだって思い遣りに溢れていることに。
「それに、すぐ駆け付けてもくれた」
「いやっ……それは、ほ保護した身としては当然だろう!」
気恥しそうに目を逸らすレオンに、アリシアは吹き出す。
一通り笑った後。
最後の笑い声を小さな溜息に変えそれを吸うように顔を上げたアリシアは、姿勢を正しながらレオンに向き直り、深く頭を下げた。
「ごめんなさい……貴方の経歴に傷をつけてしまったわ」
「──ついていないだろ、まだ」
「え、でも」
顔を上げると、レオンは顔を逸らし、ゴホンと誤魔化すようにひとつ咳をする。
「全く、本当に君は考えなしだな。 大体これからどうするつもりなんだ?」
「それは」
まあ落ち着いた今のアリシアも、それはこれからレオンに相談はするつもりでいたのだけれど。
迷惑を物凄く掛けているだけに、今更変に遠慮するのも却って気分が悪いだろうし。
ただ、それを切り出すより先に、レオンが口を開いた。
「だが……だからその、『白い結婚』での離縁まで三年あるんだ。 三年の間、ゆっくり考えたらいいだろう」
「三年も? 今のままでは『お飾りの妻』どころか『お荷物の妻』よ?」
「べ別に、三年の間今と同じように過ごせとは言っていない!」
『白い結婚』や『仕事をさせない』はあの時のアリシアに余計な負担を増やさせないため。与えてしまえば懸命に努力してしまうのが、わかっていたから。
ただ忘れればいいのなら、それに向かわせるのもひとつの手だろう。
だがアリシアにはまず体力の回復が必要だったし、レオンはアリシアに納得がいくまで考えて、自ら選択をして欲しかった。
それが誰かのためであれ、誰かの犠牲になるのではなく自分のためのものになるように。
──だが伝えるには些か口幅ったく、レオンは代わりにゴニョゴニョと格好のつかない不明瞭な言葉を吐いた。
「今までは君が不健康だからで……つまり、健康な状態できちんと考えてからなら、君が望むことを判断すればいいだけで」
「……レオン」
それでもアリシアにはきちんと伝わっていたようだ。
少なくとも、ただの同情心からわざわざ世話を焼いたわけではないことくらいは。
「口頭での契約に大した意味はない、正式な契約は婚姻届のみだ……だから」
レオンが『契約書』を作らなかったのは、アリシアの新たな選択に期待もしていたため。
下心とも言う。
なにしろ『白い結婚』を理由としての離縁をするには、三年もあるのだから。
「し、『白くない普通の結婚』もその中の選択肢にあってもいいだろう!?」
ようやくした告白は、照れ隠しから逆ギレ気味で。
「まあ、なんて言い方ですか!」
それにいち早く反応したのは、アリシアではなく茶を運んできたマチルダ。
その後『侯爵家の若君』に待っていたのはお説教だったけれど。
アリシアはその様子に笑いながら、全身を柔らかな毛布で包まれるような温かい気持ちになっていた。




