⑤それは唐突で、今更なこと
──アリシアが怪我をして、レオンに侯爵邸に連れてこられる数時間前。
使用人達が夕餉の支度に取り掛かる中、クロードを含む伯爵家の全員が応接間に集まっていた。
「アリシア、お前とクロード君の婚約を解消する」
「お姉様、ごめんなさい……私、クロード様を好きになってしまったの……」
父が本題を話し、妹のセリーナが被せ気味に口を開く。
清楚な見た目とおっとりとした口調でありながら、それでいて他人の話をよく遮る妹だが、彼女の言葉のおかげでアリシアは大体を察した。
甘やかされて育った妹のセリーナには、なかなか婚約者ができずにいた。
セリーナは見目も態度もとても愛らしい。
だがその精神性は我儘な子供であり、おっとりとしている風なだけで、あくまでも自分ファースト。
それでも爵位などにこだわりはないし、両親もそれを許している。平民でも彼女を『可愛い』と思い、甘やかしてくれるような男性ならば問題はないのだが、夢見がちなセリーナの選別は厳しく相手が決まらないのだ。
「で、ですがもう結婚まで半年を切って……! それに子爵家にはなんと」
察しはしたが、全く納得はいかない。
あまりに寝耳に水だ。
セリーナが見目麗しく優しい言葉を掛けてくれるクロードを気に入っているのは知っていたが、彼女自身、婚約者探しには積極的だったのだ。
忙しかったのもあるが、まさかこの後に及んでこんなことになろうとは、流石に思っていなかった。
「お姉様、代わってくださいませ……私の方がクロード様を愛していますわ! そうやって、いきなり家のことを持ち出すお姉様よりも!」
「……セリーナ、でも」
子爵は納得しないだろう……
だが、父からは『解消』と……
他人事ならすぐ行き着く答えだが、自分のこととなるとあまりに無茶苦茶だからか、なかなか出てこない。
アリシアに答えを齎したのは、父だった。
「クロード君の婿入りは変わらない」
「え……」
「この家はセリーナが継ぐ」
「で、ですがセリーナはなにも」
「ああ。 だがほら……アリシアはデビュタントの夜会もまだだったろう? 社交界に出る暇もなかったし」
「それは……!」
アリシアは確かに社交界に出ていない。
しかしそれは、
『まだ私達も若い。 王都の社交は我等に任せ、お前は継嗣として領のことを学びなさい』
『アリシアは無理をしがちだもの、少し私達にも頑張らせて頂戴』
──そう、両親が言ったからではなかったか。
社交界デビューの者として陛下の前に挨拶に行く夜会にもまだ参加していないのは、
『ひとりじゃ不安なの……お願い、お姉様も私のデビュタントの歳まで待って』
──という2歳下のセリーナの願いを叶えるように、と皆が押し付けてきたからではなかったか。
「アリシアもセリーナも私達の大事な娘だ、手放さないで済むならそれが最善だと……」
「……それ、は……私には他に嫁ぐことも、許してくださらないと……?」
「まあ! それは誤解だわアリシア! 貴女には領地でふたりを支えて欲しい、と言っているだけよ。 相応しい相手はきちんと探すわ! でも、ほら……その、もう貴女も18でしょう? 婿入りでもなくなったし……社交界にも……」
アリシアは顔面蒼白で。
これまでまるで悪気のなかった両親も『流石にまずい』と感じ始めていた。
「あの──」
そこにクロードが静かに口を挟む。
「アリシアが混乱するのも当然です。 少し、ふたりで話をさせて頂けませんか?」
それは提案のかたちをとってはいたが、ささやかな非難と有無を言わさない圧があった。
両親は不安気なセリーナを宥めつつ、彼の意に従い退出する。
「アリシア……すまない」
「……クロード、セリーナとは」
「確かにセリーナに頼まれて街へ連れて歩いたりはしていたが、まさかこんなことになるだなんて……」
続くはずの『思ってなかった』という暗黙の了解の言葉が、真実かどうかはわからない。
アリシアは忙しかったし、セリーナはわざわざそんな姉に、マウントを取るような報告などはしなかった。
「私も抵抗はしたんだが、まだ婿ですらない自分に決定権はない」
「……」
それは、それなりに事実だろう。
どこまで抵抗したのか──いや、そもそも抵抗などしたのかも、わからないけれど。
「セリーナでは……いや、私ひとりでは不安だ。 君が必要なんだ、アリシア」
「私に……領地で誰かもわからない男性と結婚し、補佐をしろと……?」
元々その予定だったのなら。
或いは自分にだけ婚約者が決まらなかったのならばまだ、貴族令嬢として受け入れただろう。
しかし継嗣として与えられた責務と矜持の代わりに、色々なものを犠牲にしてきたのだ。
それを一番よく理解し、支えてくれたのがクロードだったはずだ。
「アリシア……辛いのはわかる、私だって君との未来を思い描いていたんだ。 なのに、急にこんな……」
「クロード……」
「頼むアリシア、私が婿として落ち着くまででいい……傍で支えてくれないか。 私にも伯爵家にも、君が必要なんだ。 酷なことを強いているのはわかっている……」
クロードはそっと立ち上がり、アリシアの横に浅く腰を掛け、手を握る。
「本当は他の誰かと結婚なんてしたくないし、して欲しくない」
「……」
切なげにそう囁く声が、耳朶に響く。
握る掌が熱い。
いつも彼は皆に優しく紳士的ではあったものの、必ずアリシアを優先した。
それは相手がセリーナであっても。
アリシアのいいところ讃え、努力には褒め、我慢は労ってくれた。
ただ……クロードの優しい言葉ではなく、
『俺、あいつ嫌いだ』
何故か今、鮮明に。
初めて『婚約者』だと紹介した際の、かつてのレオン少年のクロードに対する感想が脳内に過ぎっていた。




