④『記憶喪失』
「ヴェルナーが来ただと?!」
王都大神殿で警備をしていたレオンの元へ家人からその報告が入ったのは、クロードが来てからすぐ。
クロードに入り込まれるという人災はあったものの、教育の行き届いていない末端の仕出かしたこと。正しく侯爵家の家人として勤める者達が気付いてからの対応は迅速だった。
「申し訳ございません……! どうしてか上手く入り込んだようでして、おそらくメイドを──」
「話は後だ! すぐヘインズとパーマーを呼べ!」
「は、はいっ」
突然の事態だが、この日は不幸中の幸いにして通常の警備。特別な任務ではない。
レオンは侯爵家から自分の代わりに聖騎士としての職務を任せることのできる人員を呼ぶよう指示し、神官に頭を下げて急ぎ侯爵邸へと向かう。
(アリシア……! 伯爵家に戻られたら終わりだ……!)
彼は今のアリシアを信用していなかった。
だから主寝室から出さず信頼のおける家人を付けていたというのに、まさかこんなことになろうとは。
「……くそっ」
小さく悪態を吐きながら、神殿を出たレオンは馬に飛び乗った。
「君がいないと寂しいんだ……傍にいて欲しい。 不安なのはわかるよ、でもきっと私がどうにかしてみせる。 ね、だから一緒に帰ろう?」
控えている侍女の視線を気にしながらクロードはギリギリ許されそうな表現でそう囁き、アリシアに手を伸ばした。
だが、触れたのは一瞬だけ。
アリシアが不快感を露わに、クロードの手を叩き落としたから。
「──ごめんなさい」
ようやく開いた彼女の口が紡いだのは、言葉だけの謝罪。そして──
「貴方、どなたかしら」
続けられたのはこれ。
想定していなかった言葉に、クロードは凍りついた。
(記憶喪失……? そんな……)
暫し呆然としていたクロードだったが、微笑みを作り直す。
「そうか……少し混乱しているのかもしれないね。 無理に思い出さなくていい」
「状況をご理解して頂けて嬉しいわ」
そう頷くも、アリシアはクロードに微笑みを返すことはなく、冷めた目のまま疑問を投げ掛ける。
「ですがクロード様? 今の私は人妻であり侯爵夫人。 少し馴れ馴れしいのではなくて?」
「そんな、アリシア……」
「伯爵の名代というからには、貴方にとって私は義姉な筈では?」
「アリシア! それは──」
「それとも家令なのかしら? だとしたら余計に不遜だわ」
『記憶喪失』と聞き驚きはしたものの、それでもまだクロードは自分が愛されている自信はあった。だがアリシアは冷たく、反論どころか弁明もさせる隙すら与えない。
「正直不快です。 お見舞いのお花をありがとう、もうお帰りくださいませ」
「──!」
すげなくされたクロードが思わず立ち上がると同時に、レオンが駆け付けた。
「クロード・ヴェルナー。 誰の許可を得てここにいる」
「……やあ、レオン」
怯みながらもそれを隠し、学生時代のような気安さでクロードは挨拶を返す。
「身内が怪我をし、突然『結婚した』と報告が来て戻ってこないんだ。 心配するのは当然だろう?」
「伯爵家には妻は人と会える状態ではないと、返事をしたはずだ。 それ以上に説明が必要か、ヴェルナー」
まだ彼がハートウェル家の人間でないことや、立場の違いを強調して返すレオン。クロードは大袈裟に肩を竦ませる。
彼はレオンが来たことで再び浅く腰掛けていたスツールから、緩慢な動作で立ち上がると恭しく紳士の礼を取った。
「……失礼致しました、グランシール様」
「今回は当家の方にも不備があったことから見逃してやるが、次はない」
クロードは軽く口を歪め笑みを作った後、一度アリシアを振り返り「また」と微笑んでから去っていく。
しかし、その内心は大いに荒れていた。
(アリシア……まさか記憶がないだなんて……!)
あまりに想定外の事象とままならなさ。
逃げ帰るようなかたちで去っていく自分の無様な姿と、思い出されるアリシアの冷たい瞳と態度に小さく舌打ちする。
(だが……本当に? いずれにせよ)
「厄介なことになったな……」
邸宅を離れてから立ち止まり、小さく呟きながら振り返ったクロードの目は、レオンとの結婚もアリシアの『記憶喪失』にも納得していないことを如実に示していた。
「茶を」
「畏まりました」
クロードが去ると、レオンはソファに腰掛け、マチルダに茶の用意を申し付ける。
アリシアはベッドから出て向かいに座った。
──『レオンが戻ったら、邪魔をしないように伝えて。 伯爵家に戻る気はないから、と』
彼女が先程マチルダにお願いしたのはコレだ。
レオンはタイミング良く部屋に入ってきたようだが、なんのことはない。
早々に邸宅に戻っていたものの、伝言を聞いた彼は自室を介して主寝室へとそっと入り、暫くふたりのやりとりを静観していた……つまり、結構前から既に部屋の中にいたのである。
「随分急いで来たのね」
まだコートを着たままのレオンを見て、アリシアはそう言いながら堪え切れないように『ふふ』、と笑う。
そんな彼女を咎めるような目で見ながら、レオンは今更のようにコートを脱いだ。
「そりゃね」
非難を含みながらも、彼の声色は今までと違い楽しげで、冗談交じりにこう続ける。
「シア、君は記憶喪失だったんだな?」
「ええ、さっきそうなったの」
ふたりは顔を見合せ、声を出して笑う。
アリシアの顔色は良く、とても落ち着いていた。




