クロードの仮初の婚約⑨
「……正気とは思えないわ」
婚約の話をされたセリーナの第一声は、コレだった。
もう最も知られたくなかったことを隠さなくてもよくなった彼女に、これまでのてらいはない。
だが今まで黙し、不貞腐れることでしか反抗の意思を見せられなかったセリーナだ。
既にクロードと夫人にアレコレ嫌なことを話したせいかもうグッタリとしており生気がなく、それ以上なにも言わないまま立ち上がり、部屋へと戻ろうとする。
「セリーナ!」
「伯爵様……」
クロードは、止めようとする伯爵の肩を押さえた。
「お任せください、私に」
「クロード君……しかし」
「……」
「……わかった」
「頼む」とか細く告げてソファに腰を沈め、肩を落とす伯爵の背中をそっと撫でながら、夫人は侍女長にひっそりと目配せし、茶の指示を出す。ふたりに扉の前で軽く頭を下げてから、クロードはセリーナの元へ向かう。
もう、間違えたくはなかった。
相手は違くとも。
「……何故受け入れたのです」
ベッドに潜り込み布団を頭から被ったセリーナは、何度か呼び掛けた後でようやく反応した。
「貴女がそれを言いますか」
クロードがそう返すと、布団の下の塊がビクリと大きく揺れる。
「そういえば昼間の話も途中でしたね。 貴女は結局どうする気だったのです?」
「そ、それは、ごめんなさい……でも! クロード様はお姉様を取り戻すと思っていたから……! それに──」
他責と謝罪の後に続けられた彼女の言葉は、数々の卑屈な自認と『だから本当に代わるはずがない』という甘過ぎる予想だった。
甘ったれなのは認識していたが、思っていたよりも根深そうな自己肯定感の低さ。
これからどう対処していくかを考えながら、聞き漏らさないように真剣に聞いていたクロードだったが。
「まっ……ううっひぐっ、まさかっ……!」
一際強くしゃくりあげた後に出た、涙声で紡がれた言葉は──
「まさかお姉様があの方と結婚する羽目に陥るだなんて思わなかったの……!」
コレだった。
「──んん??」
「私、本当に申し訳なくて……」
「ちょ、ちょっと待って。 貴女はアリシア……様がレオン・グランシール令息と結婚したことが不幸だと?」
驚いて聞き返したクロードのやや強くなった語気に、がばりと起き上がったセリーナが更に強い語気で、泣きながら返す。
「そうでしょう?! だって──」
『レオンとアリシアの仲は悪い』
セリーナはそう思っていたらしい。
そのせいもあって、あの時は伯爵家へなんとか戻してあげたかったようだ。
当然ながら、罪悪感と『謝罪して誤解をとけばなんとかなる』と思っての、自己保身による言動でもあったけれど。
「いや……それは……」
(……まあ、でも……そうか)
考えてみればレオンの気持ちには気付いていたクロードも、アリシアの気持ちがどうだったのかは未だに知らない。
ただ、ちゃんと愛されていたように思う。
もしかしたら心の奥底にレオンへの好意を隠していたのかもしれないが、そうしてくれた彼女は誠実だった。
少なくとも──セリーナに好意を抱いてはいなかったとはいえ、彼女との婚約を受け入れる姿勢を見せた自分よりは。
ただ……確かに、あのふたりが不仲に見えても不思議ではない。
「セリーナ嬢、それは……杞憂です」
平静を装い、静かに告げる。
後悔の溜息を吐いて、改めて吸ってから。
「私はあの方がアリシア様を幸せにできないとは、全く思っていません」
「そんな、だって」
「情けない限りですが──」
沢山の後悔と共にあの時のことを何度も振り返ってきたクロードだが、どうしても先んじて考えてしまうのは『あの時、どうしたらよかったのか』。
それは過去を振り返り悔やむだけの無意味な仮定でしかなかったけれど、それを繰り返すこと自体は全くの無意味というわけでもなかった。
「グランシール令息は私よりずっと、アリシア様を大切に思っています」
繰り返した末──そこに気付くに至ったから。
あれほど急な婚姻、悪い言い方をすれば暴挙でしかない。
侯爵家嫡男という立場には相応に権力もあるが、同時に個人の意思も厳しく制限される。結婚など、その最たるものだろう。
幼馴染みで優秀とはいえ『アリシアを娶る』と即決した彼は、ハッキリ言ってどうかしている。
それは保身から婚約解消に同意し、後悔している過去をなぞっても、『上手くやる』ことばかりを考えてしまうクロードとはまるで違う。
だからこそ。
継嗣の座を奪われ変わってしまったアリシアの未来だが、クロードには『結果的には良かったのでは』という疑念が拭えないでいる。
しでかしたことを正当化する意味ではなく、臍を噛むようなやるせない気持ちで。
もし過去に戻れたなら、アリシアの信頼を損ねないよう上手く立ち回り、その後はもっと彼女を大切にするだろう。
だがそんな想像の延長での、自分がエスコートするデビュタントのアリシアですら、レオンがエスコートした現実の彼女よりも輝くような気はしなかった。
「……私は失恋したのですよ。 セリーナ嬢」
ようやくそう認識したクロードは、悔しくて情けなくて、アリシアの幸せを願えないでいる──不幸を願っているからではなく、どうせレオンが幸せにするだろうから。
きっと、自分が横にいた筈の未来よりもずっと。
俯いてしまったセリーナはなにも話すことなく、沈黙が部屋に広がる。
「……私でいいんですか」
ようやく口を開いたセリーナが、ポツリと言う。
「ッお姉様のように優秀でもなければ、綺麗な身体でもない、なにもできない我儘な娘ですが?!」
返事の間に耐えられないのか、立て続けに自らを卑下する言葉を添えて。
それでも今のクロードには、黙っていられるより余程いい。
「是非──」
なにか気の利いたことを続けたくて、一瞬悩んだ彼は、
「お姉様の信頼を裏切り保身に走った、しがない子爵家三男の私がお嫌でなければ」
そう、卑屈に返して笑う。
セリーナは目を丸くして、そのあとなんと返すべきか困ってから、変な表情で「もう!」とひとつだけ口にして、結局ふたりで笑った。
過去の諸々から育ってしまった自認はそう簡単に消えやしない。
でもクロードだって、取り繕った外側のあれこれを取り除けば残るのはこんなところだ。
お互いに、手に入れたモノは望み通りでありながら、想像していたモノとは全く違う、苦いばかりのモノだったふたり。
ある意味、相応しい始まりと言える。
──とはいえ、それは予想通り大変なモノだった。
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