クロードの仮初の婚約⑧
セリーナとの会話は中途半端なまま終わってしまったが、このままにはしておけない。
彼女に口止めはされなかった。
そのことから、伯爵夫妻に話すのを折り込み済で自分に話そうとしたような気はするものの、正直に言えばあまり気は進まない。
考えた末、クロードは外出から戻ってきた夫人に声を掛け、彼女にのみ説明することにした。
母である夫人の方からセリーナに事情を聞いてもらうのが、一番いい気がして。
(やはり……)
悪い想像は当たっていた。
セリーナは幼い頃、性的な悪戯を受けていた。
相手は親交のある伯爵家の当主で、当時はまだ20歳くらいで襲爵していなかった。
クロードも見知っているが、現在30過ぎくらいの彼は年齢より若く見えるなかなかの美丈夫で、見た目からはそんな印象はない。
今は当時の婚約者と結婚し、子供もいる。
詳細を聞くか尋ねられたが、断った。
おそらくセリーナは聞かれたくないだろう。
相手を処罰するにももう遅く、証拠もない。
不幸中の幸いとして、回数は二回だけで、妊娠するような行為には及んでいなかったようだ。
しかし回数は問題じゃないし、そもそも初潮もまだの幼い少女への不埒な行為だ。
詳細など聞かずとも、充分過ぎる胸糞の悪さに吐き気がする。
夫人の顔も蒼白で、伯爵にどう伝えていいかわからず、先にクロードに伝えにきたらしかった。
最古参の侍女長だけが、配慮から離れた壁際に立ってはいるが、話は伝わっているのだろう。表情こそ変えないものの、彼女の顔色も悪い。
「母だなんて偉そうに言えないわね……」
「……気付かせないようにしていた、というようなことを、彼女から」
独り言のように零す夫人の言葉に、クロードはなんの慰めにもならない言葉で返す。
「──私ね、元々母親失格なのよ」
夫人曰く、娘ふたりに対してはどちらも可愛いとは思うものの『自分の子』という感覚がいまひとつよくわからなかったそう。
「どちらの娘に対しても『羨ましい』と思っていたわ。 私より自分で選択できる範囲が広いと感じていたから、特にセリーナは怠惰にすら映った…………でも違っていたのね」
夫人の声には後悔が滲んでいた。
今のクロードにあるのは共感ばかりで、かける言葉は一欠片も思い浮かばない。
やはり、今更なのだ。
口止めされただけでなく、セリーナ自身『恥ずかしいことをされた』という認識もあったため、今まで誰にもこのことを言えなかったらしい。
またそんな自身の現状を鑑みて、彼女なりになんとか結婚を回避すべく、色々努力しようとしてもいた。
だが彼女に家庭教師はつけておらず、継嗣であるアリシアの教師は男性だった。
そのことから自分でなんとかしようとしたが、元々勉強が得意でない彼女には、ままならなかったようだ。
『女性の家庭教師を』と頼めば済みそうなモノだが、男性への嫌悪自体を気付かれ、追及されるのを恐れた彼女には、その一言が言えなかったという。
夫人の教育を拒んだのは、伯爵家を含めた格上の貴族には絶対に嫁ぎたくなかったから。
自分を守ってくれる権力を、実家の爵位に求めたのだ。
しかし婚約者を探してみて、やはり結婚は無理だと悟った。
──アリシアが妬ましかった、とセリーナは言ったそう。
姉の努力も立場もそれなりに理解はしていたが、それでも努力では最早得られないモノを失ってしまったと感じていた彼女にしてみれば、きっとそうなのだろう。
最初は『ちょっと困らせてやろう』くらいの気持ちだったが、『これは使えるのでは』と実行に移した。
「貴方との結婚ではなく、『誰とも結婚したくない』という我儘を通したかったみたい……なのに」
そこで少し黙ってから、クロードを真っ直ぐに見て口を開く。
「──クロードさん」
「はい」
「今更謝罪はしないけれど、これでも貴方には酷いことをしたと思っているのよ。 だからせめて私はセリーナをちゃんと躾直そうと思っていたし、旦那様も貴方への選択の幅を増やそうと考えていたみたい」
夫人の話は前置きで、ここからが本題だった。
それは『改めて、セリーナと婚約をしてほしい』──ということ。
伯爵にどう伝えていいかわからない、というのは建前で、本当はそれが言いたかったのだろう。
「謹んでお受け致します」
即座にそう答えたクロードに、夫人は安堵したようだった。
「躊躇わないのね。 断られるかとも、少し思っていたわ」
クロードは不自然な今の自分の状況と、『伯爵家』というコミュニティから孤立しているセリーナのことは気にしてはいても、もう自分の立場にあまりこだわってはいない。
侯爵邸で会ったアリシアに不快感を顕に言われたように、本当に『家令』になっても構わなかった。
アリシアを失ったクロードの目には、あんなにも夢中になっていた彼女と話した計画や未来が、色褪せて見えてしまっていた。
一部の計画を任された今も。
それを彩っていたのはアリシアだったことに気付いてしまってからは、以前のように心が弾むことはない。
だが──
「……それこそ今更です」
後悔してももう、彼女は戻ってこない。
いつも後悔はしている。
だがクロードには『アリシアが幸せなら、それで』とは到底思えなかった。
ましてや 『アリシアに恥じない自分でいよう』『アリシアと共に過ごした日々や、彼女の努力と献身を無駄にしたくない』などという殊勝なことなんて、考えたこともない。
それでもクロードは理解していた。
どうあれ、アリシアにしたことは許されないし、許すかどうかを決めるのは自分達ではないことを。
自分達にできるのは、彼女に押し付けていた諸々ややらかした後に残ったところからのリスタートで、そこにアリシアは最早関係がない。自分達のためだ。
唯一、辛うじて『彼女のため』と言っていいような、自分達にできることがあるとするなら。それは、繋がり続けること。
なるべくアリシアの新しい生活の邪魔をしたり、障害になったりしないように。
和解であれ決別であれ、彼女がなんらかの判断をしたいと思う時まで……密やかに。
それは結局、伯爵家の安定を意味している。
グランシール家がなにもしてこない、というのは、アリシアの意思もあるのだろう。
顔を合わせるような夜会では上手く避けている様子から、決して許してなどいないにせよ、彼女は伯爵家の没落を望んでいない。
(当然か……もう他人であれ、わざわざ不幸を願う女性じゃない)
クロードに都合よく作られた幻想の部分は確かにあったにせよ、その中にも正しくアリシアは存在した。
一人になった部屋で思い出されるのは、いつものようにアリシアとのこと。
だが、いつもとは少し違う。
朧気だったものが徐々に見えてくるような感覚に、クロードはゆっくりと瞼を閉じた。




