クロードの仮初の婚約⑤
レオンと会った後から、クロードはアリシアに会おうとはしなくなった。
なにひとつ納得はしていなかったが、それでもレオンと話したことで彼は、自分の選べる選択肢が『諦める』か『立場を捨てる』しかないことをハッキリと理解した。
そして後者を選んでも、そこには砂漠の中に埋もれた小さな宝石を探すような、あまりにも僅かな可能性しかないということも。
なにより、レオンのこの一言が大きかった。
「『次はない』……そう言ったのにこうして呼び出したのは、伯爵に頼まれたからだ」
伯爵はクロードがアリシアを諦めてないことを見抜き、予め大事になる前にレオンに伝え『引導を渡してほしい』と頼んでいたらしい。
「伯爵様が……?」
「ああ。 どうやら伯爵は婿殿が可愛いらしい」
レオンは皮肉げに唇を歪める。
それは『本来アリシアが受けるべきだった配慮だ』という意味合いからなのだろう。
それを思い出しながら、クロードは机に向かった。
まだセリーナの婚約者でもないクロードは、肩書きという意味での立場こそ曖昧になったが、今までよりも責任の重い仕事を任された。
日々やるべきことを熟すという意味では今までと同じものの、周囲の目は明らかに違う。それは良くも悪くも期待であり圧でもあったが、クロードにとって不快ではなかった。
継嗣として教育を受けたアリシアの時とは違い、セリーナとの婚約ではクロードの『当主代理』が前提となる。
伯爵が退いた際、正式な次代が決まるまでのの中継ぎではあるが、それでも伯爵となる立場……伯爵の判断はそのための布石。
想像していた未来とは違うにせよ、ある意味アリシアがいなくなったことでより早く、欲していたものは手に入れたも同然の状態になっている。
それでも胸の内にある喪失感は消えず、より確かなモノになっていく。
アリシアはなにも悪くない。
だが彼女がいなくなってから、伯爵家は日々ハッキリと変わっていった。
すっかりパーティーや夜会に出なくなった伯爵夫妻の生活は地味になった。
だが意外にも夫人が不満げにしていたのは最初のうちだけで、彼女もなにかと忙しくしている様子。
いつまでも不満を顕にしているのは、厳しい家庭教師による教育が始まったセリーナだけ。
女伯爵になる予定だったアリシアのような教育は必要なくとも、伯爵夫人として恥ずかしくない教養と所作を身に付ける必要がある。
これには、今まで一番セリーナに甘かった夫人が厳しく彼女の監督・監視役を務めた。家庭教師の選定も彼女だ。
クロードは意外に感じたが、実はこの点に対し夫人は特に変わってもいない。
事実アリシアに対し、家政や高位貴族のしきたりなどの知識と経験の及ばない部分を除いた貴族淑女の所作や教養は、彼女が教えていた。
セリーナに教えなかったのは彼女が嫌がったからで、下位貴族や裕福な平民の中ではあるが好きに嫁ぎ先を選んでいい立場だったから。
蓋を開けてみれば、夫人は殊更子供の教育に関心がなかったワケでもなく、下の子は必要とせず、上の子はすぐ履修を終えてしまっただけだったようだ。
「セリーナの社交界デビューは来年に延ばしましょう」
ある日の夕餉の際、こう言ったのも夫人だった。
ようやくデビュタントとなるアリシアとグランシール侯爵家のことを考えたら、延ばすべきである、と。
当然皆賛成したが、セリーナだけは抵抗した。
「い嫌よ……! お友達は皆今年なのよ? 私だけ来年だなんて……どうにかならない?」
しかし夫人は顔色ひとつ変えない。
「あら、セリーナ、16のアリシアだってそれでも受け入れてくれたじゃない。 貴女も姉を想って受け入れなさいな。 それに貴女のためを思って言っているのよ」
「……私のため?」
「いくら嫁いだとはいえ姉妹が同時に出るのでは注目されるわ。 どうしたって貴女の拙い所作でアリシアと並べば見劣りするもの。 でも一年あればまだマシになるし、少なくとも同じデビュタントとして比べられることはないでしょう?」
「……」
にこやかに微笑みを浮かべたままの母は、娘に容赦なくそう言う。
涙目で睨みつけるもセリーナがそれ以上文句を言うことはなく、無言のまま勝手に退出した。
「クロードさん」
「はい」
声掛けを『追い掛けて宥めてこい』という指示だと思ったクロードは立ち上がったが、夫人はそれを制した。
「ああ、違うの。 立場上扱いに困るでしょうけど、貴方もあの子に厳しくしていい、と伝えようと思って。 ただ能力をアリシアとは比べないであげて頂戴、怠惰や単なる我儘に関しては引き合いに出してもいいけれど」
「……畏まりました」
「迷惑を掛けるわね」
セリーナは戻ってこないが、誰も追い掛けることはなく。
その夜は三人のままで食事を終えた。
「……あんなに厳しくなるとは、意外でした」
執務室で、伯爵とふたりになったクロードがそう言うと、彼は苦笑する。
「元々、彼女は負けず嫌いだからな。 今まではなにかと戦う必要がなかっただけで……あんなに生き生きするのなら、もっと任せれば良かったのかもしれん」
後半は、独り言のようだった。
(負けず嫌いか……)
クロードが見ていた夫人も、結局のところ一側面でしかなかった。
夫婦として仲睦まじい方といえるのに、夫の伯爵ですら今まで誤認していたところがあるのなら当然のことなのだろうが……それが当然だということにすら気付かなかった自分の浅慮に、アリシアのことを重ねて胸が痛む。
忙しい日々と環境の変化の中で、少しずつだがクロードも変わっていき、今は当初のような焦燥感はない。
ただ落ち着いた時間に、かつてのアリシアとのやり取りを思い出すことが増えていた。
デートのようなこともしたし、いつもより華やかなアリシアの姿や少し駆け引きじみた甘やかな時間に、相応にときめきはあったけれど。
強く思い出すのはいつも、特別ではない執務室で過ごす時間。
休憩の合間に、アリシアと少し先の未来について語り合い、時に意見を戦わせながらも具体化していく──あの時間が、クロードは一番好きだった。
彼女もそうだと、そう思っていた。
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