クロードの仮初の婚約④
アリシアに会えない間も、時間は留まってはくれない。
会うための手筈を整えるより先にクロードを待っていたのは、アリシアの抜けた穴の補填作業という現実だった。
クロードは敢えてその殆どを伯爵に投げ、そこでようやく伯爵は真にアリシアの価値を理解した。
なにか思うところがあったらしく、それからの伯爵は人が変わったかのように見事な采配を振った。
それは主にアリシアにしてしまったことの後始末であるとも言えるが……それでも夫人と娘に対する厳しい注意や指示を躊躇い先送りしたり、ふたりを甘やかしたりすることはなくなった。
それはクロードの予想に反しており、アリシアを取り戻すつもりでいた彼の計画を崩すモノだった。
一方、厳しい指示をした女性陣とは異なり伯爵は、クロードに頭を下げ謝罪した上で、同時に当主同然の役割を与えたのだ。
伯爵はクロードよりも、能力的に劣る。
だが子爵家令息に過ぎないクロードと、嫡男として育ち爵位を継いだ伯爵では、根付いた権力への意識が違う──彼が下の者に頭を下げるのは余程の事態を示している。
ましてやまだ婿ではないどころか、アリシアのことでセリーナとの婚約も宙に浮いたままの状態での、この対応。
これがどれだけ誠実であり全幅の信頼を預けた行為であるかを、今まで立場を弁えて立ち回ってきたクロードが理解できないワケがない。
光栄に思うべきで、真摯に務めるべき。
信頼に応えなければならない。
そう思い、クロードも精力的に執務に励んだ。
それでもクロードは、アリシアのことが忘れられない。『アリシアが必要』という想いだけが日に日に深まっていく。
そこに納得いく理由などなかったし、比較的冷静な時にいくら自分に問うても、彼自身よくわからなかった。
「──『次はない』と言った筈だ」
そんなクロードがレオンに呼び出されたのは、彼が再びメイドに声を掛けたことによる。
以前クロードを手引きしたメイド達は、強く叱責を受けたがそれだけで終わった。
これは『警備の点や守秘義務違反は侯爵家でメイドに注意するにしても、私だって自分の関係することで煩わせてしまったのを貴方に謝罪する立場だから』という、アリシアの意向だった。
もっとも彼女が回復したのもあって、メイド達にはマチルダと侍女達による厳しい指導と再教育が、今も続いているけれど。
再教育中とはいえ、既にレオンとアリシアの関係への誤解も解けている今、もうメイド達が迂闊な真似をすることもクロードの言を鵜呑みにすることもない。
逆に報告されてしまった結果、こうしてレオンに呼び出されてしまったのだ。
場所は侯爵邸ではなく、王都大神殿の一室。
しかし今のクロードには、場所がどこであれ理由がなんであれ、好機でしかなかった。
彼自身、もうレオンに頼み込むしかないと思っていたのだ。伯爵家のことを考えて、軽々に動けなかっただけで。
「お願いですグランシール様、アリシアに会わせてください……!」
「……会ってどうすると言うんだ。 貴殿は妻にとって不快な存在でしかない」
「そんなワケがない! それは記憶の混乱から──」
「記憶がどうとかは問題ではない。 婚約解消に至るまでのことをこちらが把握していないと思っているのか?」
「アレは立場上の建前に過ぎなかった!」
クロードは声を荒らげる。
最初こそ以前の警告を口にしたものの、レオンは彼の無礼を咎めることはなく、ただ眺めるような冷たい瞳を向けて彼を見ていた。
普段のクロードからは想像つかないほどの必死な姿ではあったが、無礼だと打ち切り問題とするには充分。ただ、レオンにそれをする様子はない。
「私はアリシアを愛していたし、彼女もそうだった筈だ……ふたりの間には沢山の培ってきたものがあった!」
クロードは言葉を乱しながらレオンに訴えても仕方のない話をする。
「その信頼を壊したのは、貴殿の方だろう」
そんな彼に対し、終始不愉快そうにしながらもレオンは淡々と返す。ただ、その一言には容赦がない。
「だから……それは誤解だと言っている! 一旦受け入れたフリをし、別から崩すつもりでいた! あの場ではそうするしかなかっただけだ、侯爵家の嫡男の貴方にはわからないだろうが……」
「ああ、わからんね」
卑屈さを滲ませ被害者ぶるクロードの言葉を、レオンは突き放すように同意し、続けた。
「君が継嗣である者の気持ちをまるで理解していないように」
「!」
アリシアの気持ちを理解しているようで、その実クロードは欠片も理解していなかった──当然といえば、そう。
「立場が違う君達は、もっと話し合うべきだったんだろう……今更だがね」
アリシアは自分の意見はきちんと伝えても、自分の気持ちを誰かにあまり伝えたことはない。そもそも彼女自身、向き合ってこなかったのだから。
違う価値観の家族と、優秀だが我の強い婚約者。
その環境下で継嗣の自分がなにを優先すべきかを考えると、アリシアはそうせざるを得なかった。
それを支えていたのは継嗣という立場と、皆への信頼が全てだ。
「君はアリシアの努力と献身を踏み躙り、信頼を裏切ったひとりだ、ヴェルナー」
たとえ彼も被害者だとしても、アリシアに関しては加害者でしかない。
「違う……アリシアなら、わかってくれる筈だ。 誤解を解きさえすれば……彼女は、アリシアは、いつだって私を支えて……だから」
「ヴェルナー」
まだ反論しようとするクロードだが、語気の弱さと乱れから、本当は理解しているのだとわかる。
現実を受け入れられない様はいっそ憐れで、レオンは静かに彼の名を呼んで遮り──
「それは貴殿の幻想のアリシアだ」
トドメを指すように真実を突き付けた。
アリシアを理解しているつもりのクロードが見ていた彼女もまた、セリーナの見ている彼と同じで、ただの自分に都合のいい側面。
ふたりの間に、確かに愛はあった。
だがそれはアリシアの支えのひとつに過ぎず、成り立っていたのは『継嗣』と『婚約』という契約の土台の上だ。
クロードの理想的な妻など最早どこにもいない。それは契約とともに消えてしまった、幻想のアリシアなのだ。




