クロードの仮初の婚約①
「君の婚約者をアリシアからセリーナに変更しようと思う」
伯爵からそう言われたクロードは、困惑した。
「不遜ですが、セリーナ嬢に当主は勿論、当主夫人も無理かと」
まず出た言葉がそれだ。率直に言えば『冗談じゃない』の一言に尽きる。
しかし伯爵は意に介さなかった。
「大丈夫だろう、君もアリシアもいるのだから」
「……アリシアをどうするおつもりですか?」
「アレは領地で然るべき男と結婚させる。 妻も『アリシアにはいい相手を探さなければ』と張り切っていてね。 まあ悪いようにはならんだろう」
「ですがアリシアは今まで継嗣として……!」
「クロード君、アリシアの優秀さは私も認めるが、所詮女だ。 女には女の分と幸福があろう? 幸いウチにはもう一人、君という優秀な人間がいる」
アリシアとセリーナ。
そもそもふたりの養育に強く差があるのは、両親の愛情に大きな偏りがあるからではない。
一番の理由はふたりが姉妹で、アリシアが継嗣だったこと──これに尽きる。
周辺国と比べても特別男尊女卑とは言えないこの国だが、それは法や制度的な点に過ぎない。一般論としての『義務』や『権利』や『幸福』にも、性差が如実に現れている。
当然、世代や個人で差があるけれど、伯爵夫妻にとっては、その一般論こそが常識。
それでも伯爵はアリシアにきちんと教育を施したし、娘の努力や成果を評価しなかったワケではない。
ただ『嫡男たれ』と育てられた伯爵は、継嗣だが女のアリシアを自分と同等の立場で見ることはなかったのだ。
必然的にその評価は『これからのために努力する継嗣』ではなく『家に尽くす役割を理解したいい娘』として、アリシアの意図するところとは別物に変化していた。
伯爵に父としてのアリシアへの愛情がないワケではないものの、そのことによりアリシアの今までを都合よく解釈していた。
そんな父だ。いい相手を見繕うつもりでいる以上、この決定に娘への罪悪感などない。
また優秀とは言い難くとも当主として無能でもない伯爵は、発展させるような難しいことはしないが、手持ちの計算はそれなりにする。
セリーナは対外的に見ても愛らしく育った。
だが多少容色に優れてはいても、その実『その中でもとりわけ目立つ』ほどではない。
またその利点を駆使して立ち回るような図々しさも、つい構ってしまうような謎の魅力も持ち合わせてはいなかった。
勉強も社交も、低位貴族を含めた同い年の令嬢の範囲で『できないワケではない』といった程度のセリーナに、良縁は見込めないだろう。
ならば望み通りクロードを充てがって家に残し、アリシアには領地で夫と共にふたりを支える役割を与えればいい──というのは、伯爵にしてみれば合理的な判断だった。
(……話にならない)
しかし、クロードが婿入り予定の格上の伯爵家で肩身の狭い思いをせずにいたのは、義父のこういう性質を理解し、義息子として気に入られていたからこそ。
今までそれを利用していたクロードは歯噛みした。
クロードは優秀だ。
怠惰と保身から発展を望まず、虚栄心を満たすためだけに夫妻が赴く夜会やパーティーに義息子として共に参加しては、この先を考えて立ち回り人脈を作ってきた。
だがそれはアリシアが基盤となり、今やるべきことをやってきてくれたおかげである。
そのことを、彼はちゃんとわかっている。
「不安そうだが安心しろ、アリシアは社交界デビューもまだだしな。 醜聞にはならんよ」
見当違いの慰めに、言葉も出ない。
アリシアでなくては駄目なのだ。
ましてやセリーナなど、論外でしかない。
──しかし、義父に今それを伝えることはできない。
なにしろアリシアとの婚姻を機に、なるべく速やか且つ穏便に退いて頂く予定だったのだから。
義父は変革を……というか、それに伴うリスクを嫌う。速やかに、とは言えども数年かかると予想していた。
だからセリーナの我儘をアリシアにやんわりと押し付ける側に、クロードも回っていたのだ。
婿という立場で自分なりの功績を作るのに、アリシアの社交界デビューが延期になったのは都合が良かったから。
それがまさか、こんなことになろうとは。
クロードは考えた末、一旦引くことにした。
伯爵を説得するよりも、セリーナと夫人から切り崩す方が早いと見てのこと。
元男爵令嬢の夫人は、美貌と愛嬌と立ち位置への敏感さで当時まだ垢抜けなかった伯爵に狙いを定め、特に誰かと揉めることなく夫人の座をもぎ取った。
ある意味で賢しい女性だが、その賢しさは最初から自分の目的と幸福のためにしか機能していない。
夫人はやはりふたりの娘を愛してはいるが、彼女が一番愛しているのは自分自身だろう。
夫人の姉妹の扱いへの差は、夫人にとってのアリシアが『真面目で聞き分けのいい可愛い娘』であり、セリーナが『甘えん坊の可愛い娘』だから──程度のもの。
母としての自覚や責任といった概念のなさが、差として現れただけだ。
セリーナは、欲深いものの己の程度を弁えている母親の、劣化版だ。
立ち回りの如才なさに加え目的のために努力をした夫人に対し、セリーナはずっと甘ったれで怠惰なだけである。
セリーナのクロードを見る目は、どんなに良く言い換えても、精々憧れ程度。
おおかたクロードを選んだのは、『それが一番早く確実に、自分の理想に近い未来を手に入れられるから』に違いない。
(冗談じゃない……!)
優秀なアリシアとは比べるまでもない上、向けられる気持ちは崇高な愛情でも眩しい恋心でもない。
彼女がその眼で見ているのは条件と、虚像のクロードでしかないのだから。
セリーナは悪い意味でとても女の子らしい。
そこまでの地位は求めず、婚約に積極的な彼女が今迄の相手では嫌だった理由は、なんとなく想像がついていた。
容色が優れようとも外で声を掛けてきた相手には警戒心を強く持ち、クロードを望んだのも踏まえると、尚更。
彼女が理想とする相手は、恋愛譚のヒーローというより絵本の王子様……それなりに容貌の整った、スマートで丁重に扱ってくれる、自分に劣情を向けない男だ。
その辺りが夫人との決定的な違いだが、あまりの馬鹿馬鹿しさに鼻で嗤う。
だが用意するなら都合がいい。
(セリーナに誰か充てがって、望みを変えさせればいい)
どうやら今までのかいあってか、『クロードが婿』というのは変わらない様子。ならばアリシアより先に、セリーナを外に出してしまえばいいだけのこと。
幸い人脈はある。
見目のいい劇団員や、結婚できない身分の恋人のいる男──
姉妹それぞれの特性に合った愛し方をしていると勘違いしている伯爵夫妻は、セリーナにそれなりの生活はさせるだろう。
精々、少し裕福な平民程度には。
たいした欲などなくとも生活の保障つきとあらば、ままごとのような生活の恋人・夫役に喜んで付き合う男は案外いくらでもいる。
セリーナに警戒されないよう、まず『友人』として会わせればいい。
(まあ……どうにかなりそう、か……)
そう思っていたクロードだが──




