旧坂越浦会所
海を目の前に臨む旧坂越浦会所。赤穂藩藩主専用休憩所としても使われた由緒ある古い建物で、現在は歴史資料館となっている。
2階の観海楼からは坂越湾を一望でき、当時のにぎわいに想いを馳せることができる。
「美久…」
2階で待っていると、大珂が現れた。
「来てくれてありがとう」
他に来館者もおらず、管理者も1階の事務室にいるため、ふたりで話すにはもってこいだ。
しばし沈黙の後、大珂が口を開いた。
「昨日はごめん、言い過ぎた」
「ううん、大珂は悪くないよ」
「…田原と仲良くしとったんは、あいつの兄ちゃんがオレの行きたい大学行っとるんで、話聞いたりしとったんや」
「そうやったん…?」
異様な2人の仲の良さは、理由がわかると納得。
「まぁあいつ相当ブラコンやって、自慢の兄ちゃんらしくってそういう話をようしてきたんやけど、オレと兄ちゃんを多分ダブらせてたんやろな。あいつん家両親が離婚して父親は仕事ばかりで、兄ちゃんが自分のすべてだったみたいで。誰かにあまえたかったんやろな」
「どうりで…」
私のことを引き離したかったわけか。
田原に言われたことやトゲトゲしい態度を思い出し、苦笑。
「実はさ、少し前から親とは東京の大学に行きたいこと話してるんよ。だけどおとんなんて頭っから反対してばっかで。話が進まんのに進路希望票は出さなあかんし、田原は兄ちゃんと同じ大学先輩も絶対行ったほうがいいとかプッシュしてくるし。フラストレーションたまるばっかりで…だからついあんな言い方を…ごめん。それが、八つ当たりしていい理由にはなれへんのに」
「そうだったの…もっと早く打ち明けてくれたらよかったのに」
「親を説得せんことにはまだどうなるかわかれへんから、ちゃんと決まってから美久には話そうと思って。でも昨日言ったみたいに、遠距離になってもつきあうつもりではいた」
それが…田原が行っていた足かせってことか。
「昨日はうっとうしいなんて言って、ほんまにごめん。本音ではそんなこと思ってない。ただすぐに後を継げっていう親の期待、田原のあまえ、よっかかられてばかりでちょっと気持ち疲れてたんやと思う。せやから、美久のこと受け入れる余裕がなかった」
「それでかな。2年になってからちょっと避けられてるような気がして…」
「いつかは美久にオレが東京の大学行きたいってことを話さなあかん。それを言いづらくて、無意識に距離おいてたかもしれん」
そうか
あらためて本人の口から聞くことで、腑に落ちる今までのこと。
「…私さ、昨日が人生で一番悲しかった。大珂に拒絶されたんやと思って」
「違う、そんなことない」
「…もう別れたいのかと思って」
「それは、ない。例え何年か離れ離れになろうとも、別れるっていう選択肢はなかった」
「でもわかんないよ。東京なんて派手で大都会で、大珂にはきっと似合う刺激的な街やから。向こうに行ったら、いろんなことが変わってしまうかもしれへん。価値観とか、考え方とか。それこそずっと勉強したいって思うかも。大珂頭いいんやから」
「…そんなこと言うてたら何もできひんよ。未来なんて誰にもわからん」
「ふふっ、ちょっと意地悪な言い方しちゃったね。ごめん」
ふわり
海側の窓から心地よい風が流れる。
「私ね、決めたの」
「決めたって、何を?」
ドキッ、と大珂が顔をこわばらせる。
「昨日大珂にあんなこと言われて…悲しかった。でも気づいたの。確かに私、自分で何も決めれなくて考えなくて、大珂にずっと寄っかかって生きてきたなって。こんな甘えん坊のままじゃ、大珂の重荷になってしまう。そんなの嫌やから」
ひと呼吸おいて、言葉を続けた。
「ここは風待ちの港。昔から北前船の船乗りたちが、良い風が吹くまで待ちしばし休息をとっていた場所。私はこの町が好き。大珂のことも好き。大好きだからこそ、解放してあげたい。自分のやりたいことを存分にやってほしい。私はここで待ってる。何があっても、ずっと大珂を信じて待ってるから。だから、ただ一緒にいたいから東京についていくなんて、軽々しくもう言わない。私は、大珂にベッタリあまえるのをもうやめる。私が強くならなきゃいけないんだって、気づいたの」
「美久…」
大珂の目には、彼女がひときわ大きく、輝いている様にみえた。
「大珂はこれから大海原に出ていくんだよね。まだ見ぬ世界をみて、きっと成長して戻ってくると思うから。応援してる」
ギュッ
そんな彼女を、彼は思いきり抱きしめた。
「ありがと…そう言うてくれて」
温かいぬくもり。何度も味わった感触。
広く大きな背中。
少しだけ…おあずけになるだけ。
「大珂が受験勉強にも集中できるよう、私はちょっとだけ離れるね。でも大珂への気持ちは変わらないから」
この日からふたりの間に少し、距離ができた。
心は通じあっていると、おたがいに信じて。




