疑惑と励ましのピーチパイ⑦
「ライアン? まだ仕事してるの?」
執務室まで来たわたしは、正面の扉をノックした。しかし中から返事は返ってこない。
「ライアン……?」
扉に鍵はかかっていない。わたしはそっと扉を開けると、中を窺い見た。
奥にある執務机には書類が綺麗に整頓されて積み上がっている。そこにライアン様はいないようだ。
わたしは中に入ると、奥の続き部屋に向かった。
「いた……」
そこには本を手に、ソファーに腰掛けるライアン様がいた。目の前のテーブルには書類が広げられている。
(場所を移してまだ仕事をしていたのね)
ライアン様は私に気づかないほど集中している。
いつも仕事ばかりしているけど、今は無理に仕事に没頭しているように思える。
(失恋……のせいなの?)
ルース様の話を思い出して、胸がきゅうっとなる。
(朝は普通だったよね?)
わたしを魔法省に送ってくれたときはいつも通りだった。再び迎えに来てくれる前か、その後か……。
(相手は魔法省の人……?)
職場で女性と密会していたお兄様を軽蔑しながらも、どこか切ない声で去っていったライアン様を思い出す。
(やっぱりそうだ……。騎士団は女性禁止だし、ライアン様が接触する女性といえば、仕事で関わりのある魔法省の人だわ。でも失恋ってどういうこと? 想いを伝えた……とか?)
わたしはふるふると首を振った。ライアン様は仕事中にそんなことをしないだろう。じゃああの後に? でもライアン様の想いを断る人なんているだろうか。
もしかしたら相手の女性にすでに相手がいたか、伝えられないほど高貴な人とか? でもライアン様は公爵だから、身分に悩むことはない。王族にとって脅威になる相手とか……? そこまで考えてわたしは嫌な予測に至る。
(セシリア様だったらどうしよう……)
セシリア様は侯爵令嬢だけど、国で唯一の聖女だ。
(あれ? でもセシリア様は王太子殿下の婚約者候補なのよね?)
王太子様にはいまだ婚約者が決められていない。王族なのにめずらしいことだけど、国王陛下は慎重に事を進めたいらしい。お父様とお母様が話しているのを聞いた。
でもセシリア様で間違いないだろうと貴族の間では言われているそうだ。
(嫌だな……あの人はライアン様の命を狙っているのに)
でも、そう考えれば考えるほど、つじつまが合ってしまう。
ライアン様の想い人がセシリア様なら想いを伝えられないし、王太子争いの火種になりかねない。
もしかしたら、セシリア様と王太子殿下の婚約が水面下で確約されたのかもしれない。それを知ったライアン様は本当の意味で失恋をして……。
(だからお兄様はセシリア様のことをライアン様に伏せたのね)
きっとお兄様はライアン様の想い人に気づいているんだ。セシリア様がライアン様の命を狙うのも、婚約者の地位が脅かされないようにするため……。
(そんなのひどい……)
ライアン様は争いから身を引いたし、こうして国のために命をかけて戦っているのに。
「リーサ!? どうして泣いているんだ?」
「え……?」
ライアン様の慌てた声でわたしは思考の渦から我に返る。頬に生温かい雫が伝うのを感じて、泣いているのだと気づいた。
「すまない。仕事に集中しすぎて夕食の約束を破ったな。心配して様子を見にきてくれたんだろう? それなのに気づかず放置してすまない」
ライアン様は立ち上がると、わたしのところまで来てしゃがみ込む。優しい金色の瞳がわたしを覗き込み、頭を撫でてくれた。その作られた笑顔にわたしの胸が痛む。
(やっぱり……元気がないわ)
わたしは首を振ると、涙を拭った。
「約束なんてどうでもいいの。ライアンがご飯も食べずに仕事をしていることが問題なのよ!」
ぷんっとお説教気味にライアン様を見上げれば、彼の表情が柔らかくなる。
「そうか……すまない。リーサはやはり小さなルースみたいだな」
くすりと笑った顔は本物の笑顔だ。その表情に安堵して、わたしは手に持っていた籠を差し出した。
「これは?」
「甘いものだけど……何も食べないのはよくないから!」
「差し入れを持って来てくれたのか。ありがとう」
籠を受け取ると、ライアン様はわたしに片手を差し出す。
「リーサも一緒に食べよう」
「……うん! わたしがお茶を淹れるわ!」
約束の穴を埋めてくれるのだとわかり、わたしは笑顔で返事をした。
やっぱりライアン様は優しい。こんな優しい人の命を狙うなんて許せない。
(ライアン様の想い人でも許せない! 絶対にわたしがセシリア様からライアン様を守るわ!)
むんっと意気込んでいると、わたしの身体がふわりと宙に浮いた。
「ライアン!?」
「今日はおやつの時間もなかったからな。おいで」
ライアン様はわたしを抱き上げてソファーに座ると、膝の上にわたしを乗せた。
「ライアンの部屋だから安全じゃない……?」
定位置とはいえ、いまだ慣れない。できるなら普通に座りたい。わたしは必死に平常心を保ちながら訴えた。
「……俺が安心したいだけなのかもな。すまない」
ライアン様はそう言ってわたしの腰に手をかける。
「わたしもライアンの近くが安心だからいいよ!」
初めて見せるライアン様のしょんぼり顔に、わたしは思わず叫んでいた。
「……ありがとう」
わたしが気を遣って言ったのはライアン様もわかっているはず。それでもわたしから手を離し、膝の上から下ろすのをやめた。本当に元気がないみたいだ。
(小さな生き物を抱えると癒されるもんね)
ライアン様がとる行動はすべて子どもに向けるものだ。いちいち意識してはいけない。ドキドキと音を立てる心臓に、「わたしは子ども、わたしは子ども」とひたすら言い聞かせた。




