(5)
そして……現在。
「もういいや。なんか面倒臭くなってきちゃった」間宵は背伸びをしながら両手を伸ばした。「なんだかさー。雨降り出しそうだから、今日は海はやめにしよう」
「おお、それはナイスなアイデアだ!」
敦彦はぱちんと指を打った。大げさに喜ぶ兄を見て、間宵は少しだけ腹が立った。もともと彼はあまり乗り気ではなかったのだろう。生まれたころからの付き合いだ。彼の思考は嫌でもトレスできる。
「うん。今日は映画だ。映画にしよう」怒りを抑えたのち、努めて明るい声色で間宵はいう。
兄の反応をうかがっていたが、「……はい? 映画? 今、映画っていいました!?」一番に反応を示したのは沙夜だった。フローリングの床の上でくるくると回り、狂喜、いや狂気的なほどの乱舞を繰り広げた。異様なテンションの上がり具合に、間宵は彼女が気でも触れたのではないかと心配になった。「映画ですか! わおっ! 神様は私を見捨てていませんでしたっ!」
「はあ、なんの話よ? 変な夢でも見てたんじゃない?」
「なんでもありませんよー! ふふふ、ふへへへ……」
間宵は沙夜に指をさしながら敦彦に顔を向ける。
「お兄ちゃん。この子に変なキノコでも食わせたんじゃないでしょうね」
「それはずいぶんと語弊のある言い回しだな」二度寝起きの敦彦はどことなく機嫌を取り戻しているようだ。相変わらずテンションは低いけれど表情が穏やかだ。「それに沙夜はいつもこんな感じだろ」
「え、ここまでおかしな子だっけ?」
「ああ、そうだよ」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
主である敦彦があまりにきっぱりといいきったので、ひょっとすれば平素からこんな感じだったかもしれない。……などと間宵が思い直したところで、沙夜が警報のように騒ぎ出した。
「そんなことありませんよ! 私は奇跡を目の当たりにして、とってもテンションが上がっているんです! はい! いつも、常に、日頃から、こんな風にトチ狂っているわけではありません!」
「トチ狂っている自覚はあるんだ……」
敦彦は奇妙な舞いを踊っている沙夜を見限ってから、間宵の方へ顔を向けた。
「ところで映画って、どうして急に?」
間宵はにっと笑って、二枚のチケットをちらりと見せる。
「うん。ほらこれ、ちょっとしたルートから手に入れたんだ」
「なんだよそれ、怪しいなあ」いぶかしんだ顔をする敦彦。しかし彼はパッケージを見るなり、ちょっとだけ唇をゆがませた。「まあ、それなら出かけてもいいかな。じゃあ早速出かけようか」
まさかとは思うが、このチケットに魅力を感じたのだろうか。敦彦は鼻歌まで歌い出す始末である。いや、まさか……。
「お兄ちゃん、寝巻きのまま、出かけるつもり?」
「あ、そうだな。よし、着替えてこよう」
「わたしも着替えてこよーっと」
「なんで? もう着替え終わってるんじゃないのか?」
たしかに海へ行くために着替えは終えていた。それでも映画にいくというなら話は別だ。
「海に行く日と雨降りの日のコーディネートは使いわけるものだよ。お兄ちゃんには理解できないだろうけど」
「む、見くびってもらっちゃ困るな。僕だって使いわけているぞ。寝る時と学校と運動する時と……」
「はいはい、パジャマと制服と体操服でしょ。いいから早く着替えてきなってば」
「私も着替えてきまーす」沙夜がいった。
「沙夜ちゃんが? 他に服なんて持ってたっけ?」
「私にだってファッションを使い分けることができるのですよ、はい」
「へえ」
着替えに行く寸前。敦彦がいずれは思い至るであろう疑問の言葉を口にした。
「あれ? そういえばさ……。お前、どうして僕らを起こさなかったんだよ?」
やっぱりその質問がきた。
思いがけず頬が緩んでしまう。
咳払いをして表情をごまかした。
「さあね」さっきあった出来事はあえて敦彦には話さないでおくとしよう。間宵は目を細めて彼を見て、とびきりの麗しさを披露してやった。「なんでだと思う?」
記憶。残像。交々。錯綜。分裂。結束。
なんだか気分が清々しくなってきた。外は今もどんよりと沈んだ色をしている。この空模様が感情によって変化しているというならば、夕方ごろから天気が回復するかもしれない。そんな予兆を間宵は感じていた。
色々なことがあったこれまでの記憶。
これから起こるであろう様々な事象。
今年の夏も真っ新な状態から始まるなんてことはない。絶対にない。いつだって記憶は一つだけの図式で表現されることとなる。それらはすべて、新たなキャンパスにではなく、同じキャンパスの上にぐちゃぐちゃと塗り重ねられていくのだろう。
そうして……必要を迫られた時、乱れた絵から過去を探す。切望し、堪能し、追求する。思いを馳せる。なんてことはない。夏のありふれた記憶として。
(了)
この話はいうなれば『小娘つきにつきまして!(2)』の後日談。全編目を通してくださっている方にはにやりとしてもらえる作品だと思っています。けれど、全編まだ投稿し終わっていないので、私だけがにやりとする作品となっています。
次回は『観る・視る・満ちる』。沙夜パートです。




