第99話:『最小出力』の定義
翌朝、カイトたちはリスタの街の北門を抜けた。
目的地は、街道から少し外れた場所にある廃村付近。
そこには昨日のアイス・ウルフを凌駕する個体――『ワイルド・ベア』の目撃情報が出ていた。
エリザの足取りは、昨夜のトマトソース料理とカイトによる回路調整のおかげで、幾分かは安定している。だが、その顔色は依然として青白く、少しの段差で肩で息をするほどに消耗していた。
「……カイトさん。前方五〇〇メートル地点に、標的の熱源反応を確認。……個体数一。しかし、筋力値および外皮の硬度は昨日の狼の三倍以上に設定されています」
リアが周囲の風景に溶け込むような動作で歩きながら、解析結果を小声で伝えてくる。
「……ちょうどいい負荷だな。……エリザ。昨日のような広域殲滅魔法は禁止だ。一発撃って膝を突けば、その瞬間に俺は貴様を置いていく」
「……厳しいのね。……でも、私の魔力は一度溢れ出せば止まらないの。……この不自由な身体で、どうやって『小出し』にしろと言うのよ?」
エリザは黒い杖『もう壊さない杖』を支えにしながら、不満げに紅い瞳を向けた。
カイトは歩みを止め、彼女の杖の先端にそっと指を触れる。
「……事象定義。……出力ポートを『単一点』に絞り込め。……拡散ではなく、貫通だ。……杖に込める魔力を十パーセント以下に維持しろ。溢れそうになったら、杖の排熱機構にお前の意識を同期させろ」
カイトの指先から、微かな情報の書き換えが杖へと伝播する。
エリザの表情が、驚きに変わった。
自分の内側で暴れていた魔力の奔流が、杖というフィルターを通ることで、極めて細く、鋭い一本の糸のように感じられたからだ。
「……っ。……これなら……、いけるかしら」
廃村の広場に、その『標的』はいた。
立ち上がれば三メートルはあろうかという巨体。
ワイルド・ベアが、侵入者を察知して地響きのような咆哮を上げた。
「……リア、足止め。……カイト、重力演算 Lv.2。……対象の『右前脚』のみを二倍の重力で固定しろ」
カイトの号令と共に、戦場がハックされる。
突進しようとした熊の右脚が、目に見えない錘に引かれるように地面へめり込んだ。
バランスを崩した巨体に対し、リアが風のような速さで接近し、急所を外した位置にミスリルの短剣を突き立ててさらに意識を逸らす。
「……今だ、エリザ! 針の穴を通すように、眉間を突け!」
「……ええ。……闇の杭!」
エリザが杖を突き出す。
放たれたのは、昨日とは比較にならないほど『小さな』光の弾丸だった。
だが、その密度は異常なまでに高く、一切の減衰なしに熊の眉間を貫通した。
ドサリ、と巨体が崩れ落ちる。
爆発も、周囲の延焼もない。
ただ標的の急所だけを物理的に破壊する、極めて「効率的」な一撃だった。
「……はぁ、……はぁ。……できた……。……私、まだ立っていられるわ」
エリザは杖を握ったまま、荒い息をつきながらも、その場に踏みとどまった。
魔力残量は六割。
意識は明晰。
肉体へのダメージも、許容範囲内だ。
「……合格だ。お前という『規格外のエンジン』を、この脆弱な肉体で運用する方法をようやく一つ覚えたな」
カイトは倒れた熊に歩み寄り、その強靭な毛皮の数値を解析し始める。
【ログ:ワイルド・ベアの討伐を確認】
【経験値を獲得 ―― パーティーの連携補正を適用】
【カイト:Lv.5 → Lv.6】
【リア:Lv.5 → Lv.6】
【エリザ:Lv.2 → Lv.4】
「……一気に上がったわね。……肉体が軽くなっていくのが分かるわ」
「……レベルという定義の上昇に伴い、肉体の『器』が拡張された証拠だ。……リア、素材を回収しろ。この熊の毛皮なら、俺たちの防具の耐久値を予定通り一割底上げできる」
カイトは満足げに頷いた。
劇的な勝利ではない。
だが、無駄なリソースを一切使わず、全員が健全な状態で得たこの結果こそが、管理者の求める『正解』だった。
銀貨はまだ増えていない。
だが、ブルームーンというパーティーの『性能』は、今この瞬間、確実に一段上のステージへとシフトした。
「……さて。帰ってまたトマトソースでも食え。お前の魔力回路は、冷やすよりも適度に動かして『循環』させる方が効率が良いことが証明されたからな」
「……ふふ。……あなたって、本当にロマンも何もない男ね」
エリザは杖を軽く回し、カイトの後を追う。
その背中には、昨日までの「いつ壊れるか分からない」という危うさは消え、確かな戦士としての輪郭が芽生え始めていた。
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