第97話:街の視線と『ブルームーン』
リスタの街の西門をくぐった時、太陽は既に地平線の彼方へと沈みかけていた。
カイト、リア、そして大きなローブで身を包んだエリザの三人は、昨日以上の『重み』を背負って帰還した。
エリザはレベルが2に上がったとはいえ、魔力を使い果たした反動で足取りが覚束ない。
カイトとリアが左右から彼女を支える姿は、街の人々の目には『手負いの魔導士を連れ帰った凄惨な冒険者』として映っていた。
「……カイトさん。ギルドの入り口に、昨日の門番と、数人の冒険者が屯しています。エリザさんの魔力反応の余波を、一部の者が察知した可能性があります」
「……構わん。隠しきれない力は、正当な『幸運』として処理するのが一番だ。下手に隠せば、余計な憶測というノイズを招くだけだからな」
カイトは無表情のまま、ギルドの重い扉を押し開けた。
ギギィ……と古びた蝶番が鳴る。
喧騒に包まれていた酒場が、再び一瞬で静まり返る。
だが、昨日とは明らかに空気が違っていた。
そこにあるのは侮蔑ではなく、本能的な『脅威』に対する沈黙だ。
獣のような鋭い感覚を持つ冒険者ほど、カイトたちの纏う濃密な死線の気配を敏感に感じ取っていた。
カイトは周囲の視線を一顧だにせず、一直線にカウンターへ向かい、三枚の鉄プレートを叩きつけた。
「……報告だ。アイス・ウルフ九匹。それと、この女を正式に俺の仲間に登録する。名はエリザだ。あと、空欄だったパーティー名も決めた」
受付嬢は、震える手でプレートを読み取り機(魔導検知器)にかざした。
画面に表示される討伐ログ。
九匹の狼を屠ったという揺るぎない事実。
そして、新しく書き換えられたパーティー名の欄。
「……パーティー名、『ブルームーン』……。九匹の討伐、間違いありません。……でも、このエリザさんという方、レベル2なのに、プレートに記録された魔力の残滓が……測定不能を起こしています。これ、どういうことですか?」
受付嬢の声が上擦る。
測定不能。それは、検知器が想定している出力の限界を超えたことを意味する。
酒場にいた冒険者たちが、どよめきに包まれた。
「……『訳あり』の魔導士を拾っただけだ。一撃の威力は凄まじいが、一度撃てばこの通り、歩くこともままならん。使い勝手の悪い、ただの『一発屋』だよ」
カイトはエリザの肩を軽く叩いた。
エリザは不機嫌そうに鼻を鳴らし、深く被ったフードの奥で紅い瞳を僅かに光らせた。
その一瞬の輝きだけで、最前列にいた冒険者が思わず椅子を引いて後退る。
「……分かりました。特例として、今のログを証明に登録を認めます。討伐報酬、および新規登録に伴う調整を含め、銀貨七枚です」
カイトはカウンターに並べられた銀貨を無造作に掴み取り、その場で三等分した。
「……リア、エリザ。これが今日の取り分だ。自分の身を守るための最低限の資本だと思っておけ。カイトのパーティーの一員である以上、己のリソース管理は自分で行え」
「……あ、ありがとう。銀貨なんて、何百年ぶりに触ったかしら。意外と軽いのね」
エリザは震える手で銀貨を二枚受け取り、それを不思議なものを見るような目で見つめた。
かつて国を統治していた真祖にとって、この僅かな金属片が、自分の『労働』の正当な対価であるという事実は、何よりも新鮮な刺激だった。
リアは当然のようにそれを受け取り、懐へと仕舞う。
「……カイトさん。残りの銀貨は八枚。これでエリザさんの栄養補給《食事》と、私たちの継戦能力を上げるための備品を揃えますか?」
「……ああ。宿の食事だけでは、エリザの魔力回復効率が追いつかん。質の高い血、あるいはそれに準ずる高エネルギーの食材が必要だ」
カイトはギルドの奥に張り出されていた掲示板に目を向けた。
そこには、昨晩は無かった『緊急依頼』の羊皮紙が、赤い鋲で留められていた。
西の森のさらに奥、湿地帯での異常事態。
ギルドが『災厄』と称して騒ぎ立てる存在の名が記されていた。
「……ふん。街の連中が騒ぎ出すわけだ。今の俺たちのレベルでは、真正面からぶつかればリソースが枯渇する」
「……ブルームーン。青い月、ね。静かで冷たくて、なんだかあなたにぴったりの名前じゃない」
エリザがくすりと笑う。カイトは答えず、不敵な笑みを浮かべて銀貨をポケットに捻じ込んだ。
強すぎる新人と、脆すぎる肉体。
その危ういバランスを維持しながら、カイトのパーティーは着実に、この世界の深層へと手を伸ばし始めていた。
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