第96話:真祖の対価と「五分」の重圧
西の森、昨日とは別の未踏区域。
カイト、リア、そして新たに加わったエリザの三人は、湿った土の匂いが立ち込める密林の奥深くへと足を踏み入れていた。
木々の隙間からは、獲物の気配を察知したアイス・ウルフたちの低い唸り声が、地を這うように響いてくる。
「……カイトさん。前方より五匹。さらに左右から二匹ずつ。計九匹がこちらを包囲しています。昨日よりも動きが組織的です。群れの中に、知能の高い年長個体が混ざっています」
リアが腰の短剣に手をかけ、鋭い視線で周囲を走査する。
昨日なら、この数に囲まれれば死を覚悟する局面だ。だが、今のカイトは落ち着いた動作で魔導銃『等価の天秤』を構えた。
「……いいテストケースだ。エリザ。その杖の調子はどうだ? お前の内側にある淀みを、その『逃げ道』を通して吐き出してみろ。ただし、出力は一割……いや、五分だ。この森の生態系を更地にするつもりはないからな」
「……五分ね。言うのは簡単だわ、カイト。この三百年、私は『加減』という言葉を忘れて生きてきたのよ」
エリザは黒い杖『もう壊さない杖』を両手で握りしめた。
その指先が、恐怖と高揚で僅かに震えている。
彼女の足元から、禍々しくも美しい紫色の魔力が陽炎のように立ち上るが、それは同時に、彼女の貧弱なLv.1の肉体を内側から削り取っていく激しい負荷でもあった。
「ガァァァッ!!」
狼たちが一斉に跳びかかる。
リアが最前線で風のように舞い、一匹の喉元を正確に裂くが、数に押され、その歩法が僅かに乱れる。
「……今だ、エリザ! 放て!」
「……ああ、もう……! 闇に溶けろ……『黒の奔流』!」
【魔法発動:指向性魔導攻撃 ―― 触媒:もう壊さない杖】
エリザが紡いだ言葉と共に、杖の先端から圧縮された闇の波動が放たれた。
それはカイトの指示通り、範囲を極限まで絞った一撃。
だが、杖の排熱機構が青白い火花を散らし、過剰なエネルギーを周囲の空気に逃がし始める。
ドォォォォンッ!!
爆圧が空気を震わせ、前方から迫っていた三匹の狼を真っ向から飲み込んだ。
一瞬前までそこにあったはずの生命が、闇の奔流に削り取られ、焦げた土塊へと姿を変える。
だが、その一撃と引き換えに、エリザはその場に崩れ落ちるように膝を突いた。
「……はぁ、……はぁ、……っ。なんて、燃費が悪いの……。たった一撃で、身体の奥が……空っぽだわ……」
「……十分だ。リア、残りの個体を片付けるぞ。重力演算Lv.2。座標、右側の三匹。一瞬だけ『二倍』に重くしろ!」
【魔法発動:重力演算 ―― 燃料:カイトの魔力を消費】
カイトは無理をせず、狼の自重をわずか二倍に引き上げる。
それだけで十分だった。空中を跳んでいた狼たちは着地のリズムを狂わせ、前足に想定外の負荷を受けて体勢を崩す。
その僅かな隙をリアの短剣が確実に刈り取っていく。
エリザの放った一撃と、カイトの最小限の干渉が、戦況を決定づけた。
最後の一匹が倒れた時、カイトは自身の肩を回し、内側に溜まった熱を吐き出した。
【ログ:アイス・ウルフ×9の討伐を確認】
【経験値を獲得 ―― レベルアップ】
【カイト:Lv.4 → Lv.5】
【リア:Lv.4 → Lv.5】
【エリザ:Lv.1 → Lv.2】
「……ふぅ。一気にレベルが跳ね上がるような甘い話はないか。だが、エリザ。お前の一撃のおかげで、昨日のような死の淵を見ずに済んだぞ」
カイトは膝を付いたままのエリザに歩み寄り、手を差し出した。
エリザはその手を取り、悔しそうに唇を噛む。
「……レベル2、ですって? 三百年前の私なら、あんな狼の群れ、瞬き一つで灰にできていたのに。この弱々しい身体……本当に、不自由だわ」
「……だからこその実地研修だ。魔力が満タンでも、肉体が追いつかなければ意味がない。お前の杖は、あくまで暴走を防ぐためのものだ。それを使いこなすだけの器は、これから自分で育ててもらうぞ」
カイトは満足げに頷いた。
真祖の吸血鬼を仲間に加えたからといって、すべてが解決したわけではない。
むしろ、彼女という高出力すぎるエンジンを、いかに壊さずに運用していくかという、新たな管理上の難題が増えたに過ぎない。
「……カイトさん。周囲に、この魔力反応を察知した別の魔物の気配があります。エリザさんの魔力が切れている今の状態で、連戦は推奨しません」
「……ああ。今日のところはこれで十分だ。戦果を回収して、街へ戻るぞ。銀貨を稼ぎ、エリザの栄養となる良質な食事と、俺たちの装備をさらに整える必要がある」
カイトはエリザの肩を抱きかかえ、リアと共に森の出口へと向かった。
強力な、だが危うい新人を加えたパーティ。
そのバランスを綱渡りのように維持しながら、管理者のハックはより深く、より慎重に、この世界の深層へと潜り込んでいく。
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