第24話:名前の対価と、先行投資の証明
倉庫から連れ出した少女は、カイトの宿のベッドで深い眠りに落ちていた。
「緊急食料生成」で生み出した高栄養の固形食が、彼女の極限まで枯渇した体力を辛うじて支えている。
カイトは窓際で「エコー・ロケーション」を最小出力で回し、街の喧騒から漏れ聞こえる「悪意」の残滓を拾い上げていた。
数時間後、少女は小さく震えながら目を開けた。
見慣れぬ天井と、柔らかな寝具。そして、椅子に深く腰掛け、無機質な瞳でこちらを眺めるジャージ姿の男。
「……起きたか。心拍数、体温、共に安定。……『自己再生』を使うまでもないな。魔法はコストが高いから助かる」
カイトの声には、慈悲も同情も含まれていない。
ただ、正常な動作を確認するエンジニアのような響きがあった。
「……ぁ、……あの……」
少女は細い指でシーツを握りしめ、掠れた声を絞り出した。
「……お、名前……は……?」
「……カイトだ。一度言ったはずだが、脳の栄養不足で記憶に欠落が出ていたか。……あんたの名前は?」
少女は悲しそうに首を振った。
「……ない、です。……ずっと、番号で……呼ばれて……」
【検知:少女の「自己喪失感」と「孤独」:+50 pt(潜在的感謝)】
カイトはふむ、と一つ頷き、システムメニューを視界の端に展開した。
名前を与えるという行為は、この世界において一つの「概念」を固定することに近い。
本来なら、これもまた高い「感謝」の対価が必要になる行為だ。
「……名前がないのは不便だ。俺の仕事を手伝わせる以上、呼び出し用の識別名が必要になる。……対価は、将来のあんたの働きで清算しろ」
カイトは少女の灰色の髪を眺め、最も合理的で呼びやすい音を脳内で検索した。
「『リア』。……今日からあんたは、そう名乗れ。……不満があるなら、別の名前を買い取るだけのポイントを稼いでから言え」
「……リ、ア……。……リア。……はい。……カイト、様」
【検知:少女――リアからの「存在の肯定」に対する深い感銘:+300 pt】
カイトの視界で、感謝ポイントが小気味よく跳ね上がる。
ただ言葉を与えただけで、これほどのリソースが返ってくるとは。
カイトは「感情という市場」のボラティリティの高さに、改めて興味を覚えた。
「……様はやめろ。俺はあんたの飼い主じゃない。契約者だ。……さて、リア。体が動くようになったら、まずは身の回りを整えるぞ。あんたのそのボロボロの服は、俺の『顧問』としての体裁に関わる」
カイトは「空間庫」から、数枚の銀貨を取り出した。
「『物』を創る……あるいは手に入れるなら、対価は【お金】だ。……服屋へ行くぞ」
カイトはリアを連れて宿を出た。
昨日までの怯えきった奴隷の姿ではない。
まだ足取りは覚束ないが、カイトのジャージの袖をしっかりと掴み、必死に前を向こうとする「リア」という少女がそこにはいた。
だが、街を歩く二人の背後には、昨日よりもさらに濃密で、湿り気を帯びた「悪意」が漂い始めていた。
揚水場の利権を奪われ、さらに闇の倉庫まで荒らされた『轟雷の牙』。
彼らにとって、カイトはもはや「目障りな新人」ではなく、早急に排除すべき「経営上のリスク」へと昇格していたのだ。
【検知:死角からの「執拗な殺意」と「組織的な包囲」:+450 evil】
「(……いい。ポイントの貯まりが良いな)」
カイトはリアに悟られぬよう、そっと指先を「等価の天秤(銃)」のグリップに触れさせた。
襲いくる悪意は、カイトにとっては「新魔法」を習得するための原資であり、リアを守るための武器を研ぐ「砥石」に過ぎない。
「……リア。服を選んでいる間、俺のそばを離れるな。……商談の最中に商品を紛失されるのは、俺の美学に反する」
「……はい、カイトさん」
リアは、カイトの冷たい言葉の中に、彼なりの不器用な「保証」を感じ取っていた。
ジャージ姿の男と、灰色の髪の少女。
凸凹な二人の影が、夕暮れの街に長く伸びていく。
等価交換の秤は、今、これまでにないほど大きな「変動」を予感させていた。
【現在蓄積リソース:2072 pt(感謝) / 1490 pt(悪意:蓄積中)】
【所持金:銀貨 14枚(※衣服代等で5枚消費)】
【新規登録:リア(識別名獲得、感謝リソース供給源)】




