第198話:霊峰の結界都市と、停滞する循環
雲海を完全に眼下に見下ろすほどの標高に達したとき、突如として険しい岩山が途切れ、広大な盆地が姿を現した。
大霊峰『エル・ミトラス』の九合目。
世界の魔力を統括する中枢の守護者たちが暮らす、聖なる結界都市『ミトラス・フィード』である。
白大理石で築かれた美しい都市の天頂には、巨大な魔力の渦がまるで巨大な漏斗のように渦巻いていた。世界中から吸い上げられた魔力は、本来ここから再び均等に大陸へと循環していくはずだった。
しかし、その渦はどす黒く淀み、不自然な回転を止めて完全に「目詰まり」を起こしている。
「……判定。世界魔力循環インフラの深刻な機能不全。分配効率は正常値のマイナス七十四パーセント。魔力が中枢に過剰滞留し、末端領域(周辺国家)への供給が枯渇しつつある。最悪レベルの社会的・環境的不備」
カイトは衣服に汚れ一つない漆黒のジャージを纏ったまま、無表情で四輪駆動車を都市の巨大な大理石の正門へと滑り込ませた。
連結された高級キャンピングトレーラーは、この極限の標高と気圧の中にあっても、完璧に室内環境を均質化し、静かにエアコンディショナーの駆動音を響かせている。
「カイト様、あの上のお空、すっごく苦しそうです。お水が詰まった川みたいに、魔力がドロドロして流れていません!」
助手席のリアが、ジャージの袖を少し余らせた手で窓の外を指差し、ピンと立てた耳を不快そうに震わせた。
トレーラー内の特製シチューによる完璧な栄養補給と、高反発マットレスでの睡眠を終えた彼女の五感は、この世界の「バグ」の根音を正確に捉えていた。
「ええ、本当に不愉快な淀み方だわ。本来なら世界に等しく行き渡るべき純真な魔力が、この街の結界のせいでせき止められている。カイト、この街に住む『守護者』とやら、自分たちだけが濃密な魔力を独占するために、わざとシステムを書き換えたんじゃないかしら?」
本革のローソファから身を乗り出したエルザが、調律杖の先端を弄びながら、赤い瞳を鋭く細めた。
完全に気圧と温度が管理されたラグジュアリーな車内空間のおかげで、彼女の真祖としての魔力は、大霊峰の重圧に一切目減りすることなく「満床」の状態を維持している。
「……その可能性は極めて高い。私的な利権による公共インフラの私物化。バル・ザザード帝国やバハル・ズラクの汚職総督と同質の構造欠陥だ。これより直接監査を行う」
カイトが車のドアを開けて外に降り立つと、世界中から集まった密度の高すぎる魔力の大気が、ジャージの裾を激しく揺らした。
直後、大理石の正門の奥から、純白の法衣に身を包み、豪華な魔導杖を構えた『霊峰の聖守護騎士』の集団、数十人が一斉に進み出てきた。その先頭に立つ高位の魔導神官が、カイトの漆黒のジャージ姿と、背後の異形な白銀の移動要塞を激しく睨みつける。
『何奴だ、聖域なるミトラス・フィードに足を踏み入れる不浄なる余所者め! ここは世界の平穏を司る神聖なる領域。速やかに立ち去れ、さもなくば神罰の魔力によって灰に還るぞ!』
神官が放つ声には、世界の中枢を握っているという絶対的な傲慢さが満ちていた。
彼らの背後にある都市の内部には、独占された濃密な魔力の恩恵を受け、贅を尽くした暮らしを送る特権階級の淀んだ「悪意」が渦巻いている。
「……神罰という名の排他的暴力インフラの誇示。判定、対話による不備の解消は不可能。これより、世界魔力循環の『強制上書き(デバッグ)』プロトコルを発動する」
カイトは衣服に塵一つつけないジャージのポケットから、静かに右手を引き抜いた。
世界の頂上において、かつてない規模のインフラ最適化の計算式が、今、静かに回り始めようとしていた。
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