第190話:砂海の追跡者と、冷徹な判定
交易都市バハル・ズラクからバル・ザザード帝国へと続く大砂海の巡航ルートは、日を追うごとにその過酷さを増していた。
地表から立ち上る陽炎が空間を歪め、時折発生する局地的な熱風が砂の壁となって行く手を阻む。だが、カイトの四輪駆動車と、その後ろに連結された高級キャンピングトレーラーは、そんな死の世界を嘲笑うかのように、時速六十キロの安定した速度で砂丘を駆け抜けていた。
遮熱装甲に覆われたトレーラー内では、空気清浄機が微細な砂塵を完璧に濾過し、マイナスイオンを含んだ爽やかな冷気が室内を満たしている。
「カイト様、お外はどんどん砂が激しくなっていますけど、お家の中はとっても静かです。……あ、お鍋のシチューがもうすぐ温まりますよ!」
連結通路から顔を出したリアが、ジャージの袖で手を覆いながら、嬉しそうにキッチンキャビネットの様子を報告した。
大型冷蔵庫に保管されていた新鮮な食材と、等価交換で最適化された現代の調理器具。それらを用いた栄養摂取により、彼女の獣人としての驚異的な身体能力は、実地研修の開始以来、最高数値を更新し続けている。
「ふふ、砂漠の真ん中で熱々のシチューが食べられるなんて、本当に贅沢な移動要塞ね。外にいる哀れなネズミたちにも、少し分けてあげたくなるわ」
本革のローソファで優雅に足を組み、冷えた完熟果物を口に運んでいたエルザが、不敵に口元を歪めた。
その赤い瞳は、遮光カーテンの隙間から、車の後方に広がる猛烈な砂嵐のさらに奥――そこに潜む「不快な気配」を正確に捉えていた。
「……判定。後方より追尾する魔力反応、計六。個体識別、バル・ザザード帝国軍・隠密強襲班。……追跡効率の上昇を感知」
カイトは衣服に汚れ一つない漆黒のジャージを纏ったまま、無表情でバックミラーを一瞥した。
大河都市で通信鏡を物証として失った帝国は、カイトたちの進軍速度と正確なルートに驚愕し、ついに本国周辺を守る精鋭の暗殺部隊を砂漠へと放ったのだ。彼らは砂の下を泳ぐ特殊な魔導索を駆使し、猛烈な速度でトレーラーの背後へと肉薄しつつあった。
「カイト様、お片付けですね! 私が後ろのハッチから飛び出して、あのトカゲたちを全部砂に埋めてきます!」
リアがピンと耳を立て、シチューのお玉を置いて前線への突撃を志願する。
「……否。リア、車外へ出る必要はない。速度を維持したまま、トレーラーの『防衛インフラ』のテストを行う。……等価交換」
カイトはジャージのポケットから、バハル・ズラクのギルドで換金しておいた数枚の銀貨を取り出し、ダッシュボードの空間へと提示した。
コインが淡い光の粒子となって消滅すると同時に、カイトの創造魔法によって、トレーラーの後部装甲パネルの内部に、現代の最新鋭『指向性高周波アクチュエーター(音響兵器)』の構造が完璧に具現化・結合された。
敵の接近速度と、大気の密度、そして捧げた銀貨の質量。そのすべてを等価の計算式で回し、カイトは車内から一歩も出ることなく、追跡者を排除するための「最適解」を物理的に構築した。
「……術式展開。局所音響破砕」
カイトがダッシュボードのコンソールを静かにタップした瞬間、トレーラーの後部から、人間の耳には聞こえない超高周波の不可視の衝撃波が、扇状に一斉に放射された。
ドバァァァン!!!
砂嵐を切り裂いて突撃してきていた六人の隠密強襲班は、何が起こったのかを理解する暇さえなかった。
彼らが乗っていた魔導索の術式基盤が、高周波の振動によって一瞬で内部から粉々に自壊し、同時に個体群の三半規管が完全に破壊される。
「が、はっ……!? な、何だ、この、頭痛は……っ!」
「魔導具が……爆ぜる……っ!?」
精鋭の暗殺者どもは、血反吐を吐きながら砂丘へと激しく転がっていき、そのまま砂の波へと容赦なく飲み込まれていった。
四輪駆動車の速度は一キロ弱すら落ちていない。ただの「自動デバッグ」のように、追随する不備が淡々と処理されただけだった。
「本当に、ただ座っているだけで全てが終わるのね。これなら帝国の首都まで、ただの退屈なドライブになりそうだわ」
エルザが可笑しそうに調律杖を翻し、ソファに深く背を預けた。
「……残存不備の排除を確認。これより巡航速度を維持し、帝国国境の防衛結界線の解析へと移行する」
カイトは感情の起伏がない声で告げ、さらに砂漠の奥へと車を滑らせた。
放った刺客が一瞬で音もなく全滅したという事実が、バル・ザザード帝国の総司令部をさらなる底なしの絶望へと突き落とす中、漆黒の移動要塞はその距離を冷徹に縮め続けていた。
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